(後編)男と男、25歳と50歳

 

 

この二人に肉体関係はなかった。

 

「セックスはできないけど、いいのですか?」

 

付き合って欲しいとユノがチャンミンに告白した日の、チャンミンの言葉だった。

 

「俺が若すぎるから?」

 

できない事情があるのだろうと思ったが、ユノはチャンミンを試すような質問で返した。

 

「僕はセックスが嫌いなんだ。

...嫌い、というか、いろいろと支障があってね」

 

悲し気な表情でチャンミンはそう言った。

 

「僕に問題がなかったとしても...。

裸になって抱き合って、アソコとアソコを繋げることに何の意味がありますか?」

 

そういうことにほとほと嫌気がさしていたユノは、「同感だ」と頷いた。

 

「僕といると溜まりますよ?

ムラムラしませんか?」

 

「そうだなぁ。

ムラムラっとするけど、その子とどうこうしたいとは思わないね。

自分で処理した方が、うんと気持ちがいい」

 

「ふぅん。

ユノは変わってる子ですね」

 

「俺に限らず、そういう人は一定割合でいると思うよ。

セックスが全てじゃあないよ」

 

「同感です」と言って、チャンミンはユノの方へ片手を差し伸ばした。

 

「俺は...」

 

ユノはチャンミンの手をぎゅっと握った。

 

「これくらいがちょうどいい」

 

「僕も」と、チャンミンは微笑んだ。

 

 

 

 

チャンミンは一度だけ、ユノをひどく怒らせたことがあった。

 

交際を始めてまだ日の浅かった頃、チャンミンは知り合いの娘をユノに紹介したのだ。

 

「ユノにぴったりだと思って。

お似合いです」

 

気取った感じのレストランで、案内されたテーブルで女の子を紹介され、ユノのワクワクした気持ちが一気にしぼんだ。

 

3人で食事をした後、女の子の家まで送るようにと2人をタクシーに押し込み、ユノの手に紙幣を握らせた。

 

タクシーを見送ったチャンミンは、「これでよかったんだ」とつぶやいた。

 

ユノと交際するようになってから、足が遠のいていた気に入りのバーで、気に入りの席につく。

 

ユノのような溌剌とした若者は、こんな店は似合わない。

 

ヤニで黄ばんだ時代遅れのポスター、薄暗く、何度も書き直されたメニュー、べたべたするテーブル、古くて汚い店内だけれど、美味しいおつまみを出してくれる店。

 

今ここでタバコが吸えたらサマになるのにな。

 

代わりに野菜スティックを齧る。

 

「これでよかったんだ」と何度もつぶやいた。

 

当時のチャンミンが、恐れていたこと。

 

ユノが...。

 

いつか自分を捨てて、若い子の元へ行ってしまうのかと、怯える毎日は御免だ。

 

それならば、自分からお膳立てしてやったほうが、うんとマシだ。

 

これでよかったんだ。

 

閉店までグラスを重ねたチャンミンは、ふらつく足どりで帰宅した。

 

霧のような雨が降っていて、息が白い。

 

「...ユノ...!」

 

門扉にもたれて両膝を抱えて座る美しい青年、ユノがいた。

 

「いつから居たの?」

 

髪がしっとりと濡れていて、唇が震えていた。

 

まだ一緒に暮らしていなかった頃だ。

 

ユノは突き刺すように鋭い眼光で、チャンミンを睨んだ。

 

「...二度とするな」

 

押し殺した低い声だった。

 

「......」

 

「ああいうことは、大嫌いなんだ」

 

チャンミンはユノの手を引いて立ち上がらせた。

 

氷のように冷たい指だった。

 

チャンミンは照明をつけ、石油ストーブをつけ、お湯を沸かした。

 

「ユノはどうして僕に構うの?

ユノからしたら、僕はおじさんですよ?」

 

湯気立つ紅茶のマグカップをユノに手渡した。

 

「おじさん、なんて言うな。

俺はおっさんと付き合ってるつもりはない。

世間一般的には、おっさんかもしれないけど」

 

「そうですね」

 

「チャンミンは、あのまま俺と別れるつもりだったんだろ?

俺とあの女の子をくっ付けて」

 

「だって...」と言いかけたが、チャンミンは口を閉じた。

 

若いこの子に、年老いていく恐怖を語っても何一つ理解できないだろう、と思ったからだ。

 

湖で羽を休める渡り鳥。

 

いつ、彼方へ飛び立ってしまうのだろうと、湖畔から怯えながら見守る僕。

 

僕の片手には、鳥籠がぶら下がっている。

 

ユノだったら...喜んで籠に入るだろう。

 

...出来ない。

 

出来なかったから、代わりに空砲を打った。

 

遠く彼方へ飛んでいきなさい。

 

ユノは飛び立たなかった。

 

自ら風切羽根を切ったのだ。

 

 

 

 

代わりに「二度としない」と約束した。

 

そこでようやくユノは笑顔を見せたのだった。

 

 

 

「何の本を読んでいるの?」

 

チャンミンとユノのいつもの日課、就寝前のお楽しみ。

 

ベッドに入って、思い思いのことをして過ごす時間。

 

静かで平和なひととき。

 

「『ヘンリ・ライクロフトの私記』。

架空の人物のエッセイです」

 

「面白いの?」

 

「だらだらと、ヘンリが死ぬまでの日々や思いを書き綴った本です。

身の回りのものひとつひとつを細かく描写していてね。

主人公は身近のものごとを、1つ1つ見逃さないで、1つ1つコメントしながら暮らしているんです」

 

「じゃあ、その人の毎日はさぞ楽しいだろうね」

 

チャンミンの性質を知っていたユノはそう言った。

 

チャンミンといてユノが感心すること。

 

それは、チャンミンが日々漏らすつぶやきが的確で、辛辣なときもあるが、そこに悪意が込められていないこと。

 

「そういう生活を送りたいです。

気楽にのんびりと。

大きな事件もなく退屈なんだけど、1日をかみしめるように大事に生きたい」

 

「俺とそういう風に暮らしたらいいじゃないか?」

 

「もう暮らしてるでしょう?」

 

「ははは、そうだね」

 

雑誌をナイトテーブルに伏せると、ユノは布団にもぐり込んだ。

 

「チャンミン...。

長生きしてね」

 

チャンミンのお腹に抱きつくと、頬をこすりつけた。

 

「口が悪い子ですね。

そこまで年寄じゃないですよ」

 

「俺も早く、おっさんになりたい」

 

「僕の方が先に死んでしまいますよ?」

 

「注意深く生きていれば、長生きできるよ。

でね、俺たちはほぼ同じ時期に、あの世に逝けるよ、きっと」

 

「そうなったら、素敵ですね」

 

「チャンミンが死ぬまで、俺は側にいるからね。

だから、チャンミンも俺の側にいて」

 

「いますよ」

 

チャンミンはユノの頭を優しく撫ぜた。

 

ユノのことが愛おしくて仕方なかった。

 

いつの間にかこの若者に、深い愛情を抱いていたんだ、と思った。

 

「長生きしますよ」

 

「もし、チャンミンが先に死んでしまったら。

俺も後を追うよ。

毒を飲んで」

 

「怖いことを言うんですね。

そういう仮定の話は、やめましょうね」

 

「うん。

ごめんね」

 

ユノは頭をチャンミンの胸に預け、彼の力強く打つ鼓動を聞いていた。

 

「俺はこの人が大好きなんだ。

泣きそうになるくらい、大好きなんだ」と強く思った。

 

 

(おしまい)

 

 

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