(3)時の糸

 

<午前5時の待合室>

 

 

身体が重く、多少は和らいだとはいえ頭痛はひどく、綿がつまったかのようにぼんやりする。

 

チャンミンに続いて乗り込んだユノは、チャンミンの頭をぐいっと自分の肩に乗せる。

 

「!」

 

「チャンミン、俺にもたれていいよ。

苦しいんだな?

可哀そうに」

 

しばし、身体を硬直させていたチャンミンだったがふぅっと、力を抜いて、ユノに身を預けた。

 

「......」

 

チャンミンのまぶたは半分閉じられて、まなざしはうつろだ。

 

「チャンミン、お前んちはどこ?」

 

「......」

 

ユノはチャンミンに尋ねるが、チャンミンは何も言わない。

 

「えっ!?

寝ちゃった?」

 

(よくある小説じゃあ、酔いつぶれた主人公がいて、それを主人公の片思いの人が、自分の部屋に連れていく。

で、翌朝、主人公は目覚めて、自分が居る場所に気づいてドキドキ。

っていうのがよくあるパターンだったっけ。

俺たちは単なる同僚同士で男同士。

そんなパターンにはなりようはない)

 

ユノはチャンミンの両こめかみに両手を添える。

 

チャンミンはユノの冷たい手が気持ちよくて、なすがままになっていた。

 

ユノの指先は、チャンミンのこめかみの下の血管が、ドクドクと脈打っているのを感じ取っていた。

 

ポーンと電子音がして、

『目的地を教えて下さい』

前座席の背もたれにあるモニターから、音声が流れる。

 

ユノは、ほんの少し逡巡したのち、

「M大学病院へ行ってください」

と、モニターに向かって指示をした。

 

ユノの声をチャンミンは、ユノの肩にもたれた状態で、聞いていた。

 

ユノの髪から、シトラスの香りがした。

 

 


~チャンミン~

​薄黄緑色の壁にかかったディスプレイをぼんやりと眺めながら、僕はベンチに腰かけていた。

風に吹かれて揺れる木々の葉陰からもれる日の光。

 

その光が反射して水面がきらきら光る風景を、ディスプレイは映している。

いまどき樹木や草花が茂る光景は、ほぼ目にすることは出来ない。

かつてそうだったかもしれない緑あふれる景色を、ディスプレイに映し出すことで、この場の陰鬱な空気を和らげようとしているのかもしれない。

どこもかしこも金属や樹脂やコンクリートに覆われていて、清潔に管理されている世の中だ。

唯一、仕事場では植物にたっぷりと触れ合える。

控えめに照明された無人の待合室のベンチに、僕は今座っている。

壁に設置されたデジタル時計は、時刻が5時なのを教えてくれる。

一体、僕はなぜここにいるんだろ?

僕は、一体、何してるんだろう?

昨日の夕方から今までの流れはおぼろげで、あれやこれやで病院のベンチにいることが信じられない気分だ。

ユノは会計だか、処方薬をとりに行っているのかで、ここにいない。

僕はユノを待っている。

なんとなく心細い心情になっている自分に気づく。

日頃、職場では僕にちょっかいを出してきたり、おしゃべりで声が大きいユノのことを、うるさく、うっとおしく感じることも多いのに。

僕は元来人見知りで、誰かと一緒に過ごすより、一人でいることの方を選択する人間だ。

いつごろか分からないけど、淡々と変化のない一日一日を繰り返すのが、僕の精神状態にはいいみたいだ。

感情が大きく起伏することもなければ、心の奥底から何かに対して喜んだり、悲しんだりすることもない。

 

変化は嫌いだ。

真正面から誰かと精神的に、物理的に接触することも避けてきた。

うーん。

変化を嫌って避けているのか、避けてるから変化がないのか...。

何で、こんなこと考えているんだ?

 

でも...、何だろう。

ちょっと前に、胸の奥がが小さくはねた覚えがある。

平坦だった僕の心にパルスが起きたみたいに。

独りベンチに残されて寂しい気持ち、ユノの顔を見てホッとしたい気持ち。

あぁ、もう...。

身体が弱っているせいかなぁ。

​いつだったけ?

タクシーに乗せられて病院に連れていかれて...。

思い出してみる。

ユノは、僕を無理やり病院に連れて行った。

僕が弱ってぐったりとしているのをいいことに、強引に車いすに乗せてしまった。

「大げさ過ぎるよ、ただの風邪なんだから」

と、抵抗してみたけど、

「だーめ!」

​と、ユノは聞く耳持たずで、てきぱきとどこかへ電話をかけ手続きを済ませて、ずんずんと僕の乗る車椅子を押していった。

​診察室で待っていたのは、40代くらいの男性医師だった。

 

青いプラスティックの手袋をはめた手で僕の頭をはさんで、僕の下まぶたを引っ張ったり、ペンライトで照らしたりした。

大の男が、大きく口を開けて喉の奥を見せたりする姿は、間抜けすぎた。

事が大げさになってきていることに、腹がたった。

僕を無理やり病院に連れてきたユノに腹がたった。

気分が悪かったせいもあって、僕はひどく機嫌が悪かった。

医師は看護師にいくつかの指示をすると、デスク上のコンピュータに入力を始めた。

​​

今度は、毛深いごつい腕をした看護師に車椅子を押されて、血液検査、頭部には電極も付けられたし、頭を固定されて大きな機器の中をくぐらされたりした。

検査室から検査室へのはしごには、自分のバッグの他に、僕のバッグとコートも持っての大荷物のユノが付き添ってくれた。

「...ちょっと大げさだよ。

風邪気味で、ここまで検査するかなぁ?」

僕はユノに不満をもらした。

先ほどの医師に打ってもらった注射のおかげで、重だるさも消え、ひどかった頭痛はほぼ消えた。

「ごめん。

高熱で、意識もうろうで、頭が割れそうに痛むみたいですって、大げさに伝えたからかなぁ?」

片目をつむって、両手を合わせてごめんのポーズのユノ。

「でも、本当にそうだったでしょ?」

膝を折って、車いすの僕の目線までしゃがんだユノは、

「よしよし、いい子だぞ、僕ちゃんは。

俺、すごく心配したんだぞ。

これで何ともなかったら安心するから。

もうちょっと我慢してな?」

と、僕の頭をなでた。

「子供扱いするなよ」と、ユノの手を払いのけた。

真正面からユノの黒曜石の瞳にのぞきこまれて、僕の息が止まった。​

​意外に長いまつ毛や、弓形の眉や、すっと刷毛で描いたかのような切れ長のまぶたなどに、僕の視線はロックされたんだった。

 

​そうだ、あの時か?

違う、もうちょっと前だった。

​僕はじっとしていられなくて、立ち上がって待合室に並ぶベンチの間を歩き回った。

事務所で、僕はソファに倒れ込んで・・・。

冷たくて気持ちよかった。

ユノのひんやりとした手。

僕の目を覗き込んだ、暗がりに光る瞳...。

「チャンミーン!お待たせ」

ユノが戻ってきた。​

 

 

(つづく)

 

 

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