(39)時の糸

 

 

 

チャンミンは、始業から2時間遅れで出社した。

 

M大学病院で先日と同じ医師の診察を受け、薬を処方してもらったのだ。

渡された処方箋を見ると、薬の種類が変わっていた。

(まあ、いっか)

待ち時間や人ごみに疲れていたチャンミンは、薬のボトルを無造作にバッグに放り込み、職場へと急いだ。

 

 


 

スタッフたちは持ち場についており、事務所にいるのは課長だけだった。

​​

「おはようございます」

​​

ひとり早々と昼食をとっていた課長は、口の中の物を咀嚼しながら、

「やあ、チャンミン君...今朝は病院だったね」

「はい、ご迷惑をおかけしています」

「気にしなくていいんだよ、のんびりやればいい」

課長は頭を下げるチャンミを、まあまあと手で制し、

 

「ひどいのか?」

「はい?」

​​

PCを立ち上げて、業務計画表を確認していたチャンミンは手を止める。

​​

「薬があるので」

​​

「無理はしないように」

​​

「はい」

(注目されるのは苦手だ)

給水ポンプ室のメーターパネルの数値を確認しながら、チャンミンは思う。

​​

(自分の様子をうかがわれたり、心配されるのは、居心地が悪い)

​​

周囲から気遣いの言葉をかけられる対象になっている自分を、かっこ悪いと思っていた。

​​

(周りからどう見られてるなんて、気にもならなかったのに...。

僕のことは、放っておいて欲しい)

診察では、頭痛の原因については「ストレスでしょう」とのことだ。

​​​

「予防薬は欠かさず飲んでください」

​​

(ストレス、と言ったって、何のストレスだよ。

​僕はこんなにマイペースに生きているのに)

モーターの低くうなる音が普段より大きく感じたが、数値は正常だ。

​​​

イラついたチャンミンは、メーターボックスの蓋を荒々しく閉める。

​​​

​コンクリートの階段を上がった先の、重いスチール製ドアを引き、ポンプ室を出ていった。

 


 

 

「ユノさん」

 

「わっ!」

ベンチにごろりと横になっていたユノは、跳ね起きた。

「カイ君か!

びっくりした!」

生垣の陰からひょいと現れたカイは、起き上がったユノの隣にどかりと座る。

カイは半袖Tシャツ姿で、腰に脱いだジャケットの腕を結んでいる。

ドーム屋根からやわらかに降り注ぐ12月の日光が、色素の薄いカイの髪色は金色に透かしている。

「こんなところでさぼってたんですね」

「そんなとこかな」

ユノは作成途中だったタブレットをスリープモードにすると、バッグに押し込んだ。

今日はポカポカと天気が良く、ドームの中は上着が必要ないほど暖かい。

ユノもジャケットを脱いで、枕代わりにしていた。

「いいところですね」

鉄製のガーデンテーブルとベンチが置かれたそこは、ぐるりと生垣で覆われている。

この場所はユノのお気に入りの場所だ。

「わざわざこんな端っこに誰もこないからね」

地面はコンクリート製で、排水、給水、電気系統の点検のため出入りできる鉄製のハッチが並んでいる。

「髪の毛、はねてますよ」

腕を伸ばしてカイは、ユノのはねた髪を優しくなでつけた。

「あ、ありがと」

カイの流れるような動作は、ユノはドキリとする間もないほど自然だ。

ユノはカイが触れたばかりの髪をなでつけながら、

「カイ君さ、モテるでしょ?」

「ハハハっ!

ユノさん、そればっかですね」

カイはぷっと吹き出した。

「手がかかる姉がいるからですかね」

「かまってちゃん、ってこと?」

「そうじゃなくて、おっちょこちょい度が異常なんです。

​それの後始末をしているうちに、身についたというか...」

「ふうん」

ユノもカイも、組んだ腕に頭をあずけてドームの天井を見上げた。

「ユノさんは、付き合ってる人はいないんですか?」

「いたらいいなぁ、とは思うよ」

チャンミンの顔がちらり、とユノの脳裏に浮かぶ。

​(チャンミンと、付き合うことはあり得るのだろうか?)

カイは、ちらりと隣のユノを盗み見る。

男性のものにしてきめ細かい肌や、うっとりと空を見上げる横顔をきれいだと思った。

「ユノさんは、今の髪型似合いますね」

「そう言ってくれると嬉しいわぁ」

「ユノさんの雰囲気に合ってます」

「ありがと。

​これな、自分で切ってんの」

「へぇ...ワイルドですね」

「美容院での会話が面倒なんだよな」

カイは横向きに座りなおす。

「あはは、ユノさんってそんな感じ。

​そうそう!

姉はサロンに勤めてるんですよ」

「お姉さん、美容師か何か?」

「いいえ、エステティシャンです。

​サロンに併設してるエステサロンです。

もしユノさんが、プロに髪を切ってもらいたくなったら、チケットあげますから、いつでも言ってくださいね」

「ありがと」

ユノも横向きに座りなおして、カイの方を向く。

「もっと、男らしくせんと、恋人なんてできんのかな」

カイは口角を上げて笑う。

(笑うとますます、お人形さんみたいやな)

「ユノさんはそのままでいいんです」

可憐で、同時に華やかな笑顔から目が離せないユノ。

「カイ君がそう言ってくれると、お世辞でも嬉しいよ」

カイはユノと目を合わせたまま、小首をかしげてさらに笑顔を深める。

(はぁ、カイ君よ。

その笑顔は反則だよ)

「僕も恋人が欲しいです」

軽くため息をついたカイは、肩をすくめる。

「はぁ?

何言っとんの!」

「女友達はいても、恋人はいないんですよ」

「贅沢な悩みやな!」

ユノはカイの肩を突くと、ケラケラ笑った。

カイは思う。

(ユノさん、今はまだ僕のことを眼中にない感じですね。

​僕は年下過ぎますか?)

「いい天気やなぁ」

「そうですね、眠くなってきますね」

ガタガタと金属音がする。

足元に並んだハッチのひとつがキィと開き、頭がぬっと現れた。

「わっ!」

ユノとカイは大声を出し、飛び上がる。

頭の持ち主は、チャンミンだった。

 

(つづく)

 

 

[maxbutton id=”23″ ]