「チャンミン、頭を熱でやられたの?」
ユノは、どぎまぎする自分を悟られないよう、冗談めかして言う。
「ああー!」
両手を空に向かって伸ばした。
「俺は腹が減ったぞ!
あと2時間で仕事だぞ?
大丈夫かな、俺?」
と、お腹の辺りを手でぐるぐるなでた。
ユノは照れくさくて、チャンミンの方を見られない。
この間無言だったチャンミンも、ハッとしたように再び歩き出した。
「ごめん、僕のせいで...。
あの...空腹にさせてしまって...」
「謝るな~。
そういうつもりじゃないよ」
(謝りポイントがズレてるんだけど...。
可愛いなぁ)
ユノはチャンミンの正面に回り込んだ。
チャンミンは本当に申し訳なさそうに、眉をひそめている。
(可愛い顔しちゃって)
「そうだ!」と、ユノはパチンと手を叩いた。
「チャンミン!
中華まんをおごってくれ」
チャンミンは、通りの向こうのコンビニエンスストアを指さした。
ちょっと驚いた表情をした後、再び眉をひそめてチャンミンは小さな声で言う。
「ごめん、僕お金がなくて...」
「あー!
そうだったね、ごめんごめん。
うーん、じゃあ今度。
今度、ごちそうしてな?」
「うん」
ほっとしたようなチャンミンのほほ笑みに、ユノの胸がグッとつまる。
(なんか、感動するんですけど...)
・
二人は、チャンミンの住むマンションの前に立っていた。
「チャンミン、今日は仕事を休むんだよ?
職場には俺が説明しとくから」
チャンミン頷いた。
「ちゃんと薬を飲んで寝ているんだよ?」
「うん」
じゃあね、と立ち去ろうとした。
「ユノ!」
ユノは振り向いた。
「ありがとう」
チャンミンには、これだけ言うのがやっとだった。
「どういたしまして」
にっこりとユノは笑った。
その笑顔に、チャンミンは目が離せなかった。
~チャンミン~
僕は、感動していた。
職場に向かうユノの後姿が見えなくなるまで、僕はマンションの前に立ち尽くしていた。
彼が貸してくれたマフラーに、首をうずめる。
タクシーで香った、シトラスの香り。
マフラーからも、同じ香りがする。
いつまでそこに立っていたんだろう。
これから出かけようとする同じマンションの住民が、不審そうに僕を見ている。
軽く頭を下げて、僕は早歩きで自室に向かった。
・
いつもはそんなことしないのに、荷物を放り出して、ソファに身を投げる。
「はぁ...」
目をつむって昨日の夕方から、ユノと別れたマンションの前までの出来事を、ひとつひとつ思い返してみた。
それから、今、僕の心の中に湧き上がっているものを味わう。
僕は、感動していた。
そう、感動している。
ごろりと寝返りを打って、「はぁ」とため息。
しばらくじっとしていたけど、ソファから飛び起きる。
落ち着かなくて、僕はシャワーを浴びることにした。
いつもはそんなことしないのに、靴下、セーター、Tシャツ、パンツと床に脱ぎ散らかしていった。
いつもと違う僕。
お湯の設定温度を火傷しそうなくらい上げて、蛇口をいっぱいにひねって、一気にお湯を浴びる。
勢いよく頭や肩に当たるお湯が気持ちいい。
体調不良でぼやけてた思考が、クリアになっていく。
熱いお湯のおかげで、頭痛もさらに治まってきたようだ。
僕の中で、ぐるぐる回っている「いろんなこと」が、整理されていく。
お湯を止めた後も、僕はシャワールームの中でたたずんでいた。
僕の体からぽたぽた滴り落ちる雫の音を聞いていた。
じっとしていられなくて、シャワールームを飛び出し、体を拭くのもそこそこに、ダイニング・チェアに腰かけた。
「はぁ...」
両ひじをひざに付き、両手で顔を覆う。
僕は滅多に笑わないし、無口だから、不愛想な奴だと周りから思われていると思うが、全くその通りだ。
体調が悪かったこともあったけど、昨夜の僕はユノに対して、不愛想過ぎたかもしれない。
あんなに親切にしてくれたユノに、「ありがとう」のひとことしか言えなかった。
次に会ったときに、ちゃんとお礼を言おう。
ちゃんと、言えるだろうか?
こんな風に、自分の言動を振り返るのも初めてだ。
熱がきっかけで、性格が変わったのだろうか?
そんな馬鹿な。
うつろにぼんやりと暮らしてきた僕の視界に、ユノが現れた。
これまでも、ユノは僕の近くにいたんだけど、全然眼中になくて...。
目をつむって、じっくり思い起こす。
僕の額に触れた、ユノの手の平の、さらりとした感触とひんやりとした体温。
僕の顔を覗き込んだ、切れ長のユノの目。
タクシーでユノの肩にもたれかかった時の、ユノの香り。
五感で、ユノの存在が、急に「生っぽく」、僕を刺激したんだ。
昨夜を境に、僕の視界が広がった。
これまでモノクロだった僕の世界が、フルカラーになった。
停滞していた僕の思考や感情が、動き出したんだ。
(つづく)
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