(5)時の糸

 

 

「チャンミン、頭を熱でやられたの?」

 

ユノは、どぎまぎする自分を悟られないよう、冗談めかして言う。

 

「ああー!」

 

両手を空に向かって伸ばした。

 

「俺は腹が減ったぞ!

あと2時間で仕事だぞ?

大丈夫かな、俺?」

 

と、お腹の辺りを手でぐるぐるなでた。

 

ユノは照れくさくて、チャンミンの方を見られない。

 

この間無言だったチャンミンも、ハッとしたように再び歩き出した。

 

「ごめん、僕のせいで...。

あの...空腹にさせてしまって...」

 

「謝るな~。

そういうつもりじゃないよ」

 

(謝りポイントがズレてるんだけど...。

可愛いなぁ)

 

ユノはチャンミンの正面に回り込んだ。

 

チャンミンは本当に申し訳なさそうに、眉をひそめている。

 

(可愛い顔しちゃって)

 

「そうだ!」と、ユノはパチンと手を叩いた。

 

「チャンミン!

中華まんをおごってくれ」

 

チャンミンは、通りの向こうのコンビニエンスストアを指さした。

 

ちょっと驚いた表情をした後、再び眉をひそめてチャンミンは小さな声で言う。

 

「ごめん、僕お金がなくて...」

 

「あー!

そうだったね、ごめんごめん。

うーん、じゃあ今度。

今度、ごちそうしてな?」

 

「うん」

 

ほっとしたようなチャンミンのほほ笑みに、ユノの胸がグッとつまる。

 

(なんか、感動するんですけど...)

 

 

 

 

二人は、チャンミンの住むマンションの前に立っていた。

 

「チャンミン、今日は仕事を休むんだよ?

職場には俺が説明しとくから」

 

チャンミン頷いた。

 

「ちゃんと薬を飲んで寝ているんだよ?」

 

「うん」

 

じゃあね、と立ち去ろうとした。

 

「ユノ!」

 

ユノは振り向いた。

 

「ありがとう」

 

チャンミンには、これだけ言うのがやっとだった。

 

「どういたしまして」

 

にっこりとユノは笑った。

 

その笑顔に、チャンミンは目が離せなかった。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

僕は、感動していた。

職場に向かうユノの後姿が見えなくなるまで、僕はマンションの前に立ち尽くしていた。

彼が貸してくれたマフラーに、首をうずめる。

タクシーで香った、シトラスの香り。

マフラーからも、同じ香りがする。

いつまでそこに立っていたんだろう。

これから出かけようとする同じマンションの住民が、不審そうに僕を見ている。

​軽く頭を下げて、僕は早歩きで自室に向かった。

 

 

 

​いつもはそんなことしないのに、荷物を放り出して、ソファに身を投げる。

​「はぁ...」

目をつむって昨日の夕方から、ユノと別れたマンションの前までの出来事を、ひとつひとつ思い返してみた。

それから、今、僕の心の中に湧き上がっているものを味わう。

​僕は、感動していた。

そう、感動している。

ごろりと寝返りを打って、「はぁ」とため息。

しばらくじっとしていたけど、ソファから飛び起きる。

落ち着かなくて、僕はシャワーを浴びることにした。

いつもはそんなことしないのに、靴下、セーター、Tシャツ、パンツと床に脱ぎ散らかしていった。

​いつもと違う僕。

お湯の設定温度を火傷しそうなくらい上げて、蛇口をいっぱいにひねって、一気にお湯を浴びる。

勢いよく頭や肩に当たるお湯が気持ちいい。

体調不良でぼやけてた思考が、クリアになっていく。

熱いお湯のおかげで、頭痛もさらに治まってきたようだ。

僕の中で、ぐるぐる回っている「いろんなこと」が、整理されていく。

お湯を止めた後も、僕はシャワールームの中でたたずんでいた。

僕の体からぽたぽた滴り落ちる雫の音を聞いていた。

じっとしていられなくて、シャワールームを飛び出し、体を拭くのもそこそこに、ダイニング・チェアに腰かけた。

「はぁ...」

両ひじをひざに付き、両手で顔を覆う。

僕は滅多に笑わないし、無口だから、不愛想な奴だと周りから思われていると思うが、全くその通りだ。

体調が悪かったこともあったけど、昨夜の僕はユノに対して、不愛想過ぎたかもしれない。

あんなに親切にしてくれたユノに、「ありがとう」のひとことしか言えなかった。

次に会ったときに、ちゃんとお礼を言おう。

ちゃんと、言えるだろうか?

​こんな風に、自分の言動を振り返るのも初めてだ。

熱がきっかけで、性格が変わったのだろうか?

そんな馬鹿な。

うつろにぼんやりと暮らしてきた僕の視界に、ユノが現れた。

これまでも、ユノは僕の近くにいたんだけど、全然眼中になくて...。

​目をつむって、じっくり思い起こす。

僕の額に触れた、ユノの手の平の、さらりとした感触とひんやりとした体温。

僕の顔を覗き込んだ、切れ長のユノの目。

タクシーでユノの肩にもたれかかった時の、ユノの香り。

五感で、ユノの存在が、急に「生っぽく」、僕を刺激したんだ。

昨夜を境に、僕の視界が広がった。

 

​これまでモノクロだった僕の世界が、フルカラーになった。

停滞していた僕の思考や感情が、動き出したんだ。​

 

(つづく)

 

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