「あのチャンミンって人...」
すするようにワインを飲むYKを横目に、カイは「知り合い?」と尋ねた。
「チャンミンさんは1年くらい前に、ここに就職してきた人」
「その前は?」
「さあ、知らないけど」
「いくつ?」
「えーっと、29か30かその辺り」
「やっぱり!」
「姉ちゃん、どうしたんだよ?
怖いよ」
今にも泣き出しそうに表情をこわばらせたYKに、カイは困惑していた。
(チャンミンさんには、思い出したくない過去があって、会いたくない人物が姉ちゃんで、知らんぷりを装ってんのかな。
でも、チャンミンさんは、『本当に』姉ちゃんのこと全然知らない風だった。
人付き合いが苦手そうなチャンミンさんが、あそこまで演技はできないだろう)
「他人のそら似じゃないの?」
「そんなんじゃない」
YKは激しく首を振った。
「彼『そのもの』なのよ。
年齢も合ってる」
「まさか、だけど...姉ちゃんの『彼氏』だったとか?」
「ええ」
大きく頷くYKに、カイはへえぇと眉を上げた。
「いつ頃?」
「5年前に別れた。
別れたというか、急にいなくなった」
「5年前って、あの時の?」
高校を卒業したばかりの頃、失恋で大荒れのYKの身の回りの世話に、南国まで出向いたことを思い出した。
「あの大恋愛だったやつ?」
「ええ」
(姉ちゃんの恋愛は、毎回大恋愛だったけどなぁ。
あの時の姉ちゃんは酷かった。
泣きわめいたかと思うと、しゅんと肩を落として無口になって。
結局、ほっとけなくて1か月ほどあそこに滞在したんだっけ)
「でもね...名前が違うのよ」
「彼氏の名前は?」
「マックス」
「偽名だとか。
どっちかというと、『マックス』の方が偽名かな。
『チャンミン』が本名」
「そんなハズはないわ。
パスポート上も『マックス』になってた」
「『マックス』が本名で、『チャンミン』が偽名?
うちに就職する時に、偽名なんか使えないしなぁ。
...やっぱり、姉ちゃんの勘違いだよ」
カイは意固地になるYKに気付かれないよう、心中でため息をついた。
(姉ちゃんの相手は面倒くさい)
「その『マックス』さんの写真ってある?」
と言いかけて、カイは「ないよなぁ」とぼやく。
思い出のものは全部、目の前から消したいとわめくYKに代わって、カイが一切合切捨ててしまったことを思い出したから。
デジタルデータはアカウントごと消去してしまったから、『マックス』の顔を確認すらしていなかった。
「やっぱり、彼はマックスよ!」
YKの大声に、カイは飛び上がった。
姉の支離滅裂な話はいつものことで、カイはユノのことを考え始めていたからだ。
事務所でのユノとチャンミンの、どこか親密そうな雰囲気が気になっていたのだ。
「びっくりするなぁ」
カイを見るYKの目はギラギラとしているのが、暗がりでも分かる。
「どうして?」
「だって...マックスは『チャンミン』でもあるから」
「姉ちゃん、頼むよ~。
僕には理解できないよ。
どういうこと?
筋道たてて説明してよ」
「それはね...」
YKはカイに説明を始めた。
5年前のことを。
~YK~
日差しは皮膚を焦がすほど強く、加えて常に皮膚の上に水分の膜が張ったかのようで、不快なところ。
吸い込む空気が、沸騰するヤカンの湯気のようなところだった。
30歳だった私は、未だ「自分探し」の旅の途中で、その国に滞在し始めて半年が経った時にマックスと出会った。
精悍な顔と引き締まった身体は日に焼けていて、笑顔が10代のように幼くなる24歳の男の子だった。
出会ってすぐに身体を重ね、その相性のよさに顔を合わせれば磁石のN極とS極みたいに、始終抱き合っていた。
20代前半の若者らしくマックスはどん欲に私を求め、物騒な地域だったため、5重にかけた鍵に閉じこもってのセックスに明け暮れた日々だった。
「俺たち...溶けてしまいそうだ」
汗まみれの顔で、白い歯を見せて笑っていた。
故郷にいる両親と弟には、『運命の人と、とうとう出会ってしまった』と惚気たメッセージを送った。
もっとも彼らは、「はいはい。またか」と呆れていたと思う。
マックスと離れがたくて滞在期間を無期延期した。
恋にうつつを抜かすだけで終わらせるのも惜しくて、本来の目的である『美容に効く』ものを求めて、ごたごたした地元マーケット内を探し歩いた。
デトックス効果のある泥があると聞きつけ、地元民に灰色に濁ったその沼に案内してもらった。
採取した泥を、自身の肌に塗りたくってはその効果を確かめていた。
いつか、世界中から集めた珍しいもの...泥や薬草、鉱石、マッサージ術...を使った施術を提供するサロンを開くことが夢だったのだ。
バスルームで、裸のマックスの背中に真っ黒なその泥を塗り広げ、手の平で感じる筋肉のくぼみにうっとりとしていた。
その泥が乾く前に、タイルの上で上になり下になりと、二人とも全身真っ黒になってしまった。
(つづく)
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