~ユノ33歳~
キスひとつで、俺の心はいちいちかき乱されたりしない。
この程度で動揺するほど初心ではないのだ。
Mちゃんがどういうつもりでキスをしたかなんて、興味がないのだ、あいにく。
事務所のソファに座って会話を交わす二人を眺め、もやもやとしたものが渦巻いていた。
俺には入り込めない若者の世界。
Mちゃんからの唇が触れるだけのキスが、俺を苦しめた。
負けた。
あんな初々しく、爽やかなキスをされたら、16歳のチャンミンは参ってしまうだろう。
チャンミンにとって、5歳年上のMちゃんは魅力的に映っているだろう。
自身の10代後半から20歳頃の恋に思いを馳せると、当時のことは全て眩しく美しく記憶されている。
相手のことしか見えず、共に経験することのどれもが初めてなのだ。
チャンミンは今、その真っ只中にいる。
俺がもう戻れない場所に、チャンミンはいる。
妻がいる身である立場を忘れて、俺はその事実に胸を痛めた。
俺もせめて、10年若ければ...なんて。
だが、若ければいいっていうものじゃない。
10年若い俺じゃあ、チャンミンの魅力に気付けずにいただろう。
・
「来週は午前中ですね」
「ああ、時間変更して悪かったね」
つい15分前のキスなんてなかったかのように、Mちゃんはけろっとしている。
年上の男を余裕ぶって、からかっただけだったらしい。
Mちゃんは立ちあがり、遅れてチャンミンもそれに続く。
玄関に向かうMちゃんを追いかけるチャンミンは...俺の前を通り過ぎる瞬間...俺の方をちらりと見た。
意味ありげな眼差しだった。
「義兄さん、どうします?」と俺に問うているかのような挑戦的な目だ。
俺をじとりと睨みつけたり、欲情の光を浮かべてとろんとさせたり、チャンミンの目は、つくづく表情豊かだ。
無口で無表情なだけに、目は口程に物を言うとはチャンミンのそれを言うのだろうな。
チャンミンを無視できそうにない理由が、そこにあるのかもしれない。
「夕飯...食べにいかないか?」
若い二人が揃って振り向いた。
「もし、予定がなければ、だけど。
2人にご馳走するよ。
どう?」
チャンミンとMちゃん、2人で帰してたまるか...止めないと、と頭が考える前に言葉が出ていた。
Mちゃんは俺とチャンミンを交互に見ていたが、
「私は、友達と約束があるんです」と、申し訳なさそうに言った。
やっぱりこの後、チャンミンとでかけるところがあるんだ...。
ところが、
「チャンミンはユノさんとご飯に行っておいでよ」
チャンミンが「え?」といった感じで、Mちゃんを見る。
「高級なところに連れて行ってもらえば?
せっかくなんだし、ね?
ユノさん、また来週。
チャンミン、また電話するね」
Mちゃんは手を振ると、さっさと出ていってしまった。
「......」
俺はチャンミンと2人、アトリエに残された。
(つづく)
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