~ユノ33歳~
あの午後を境に、チャンミンは俺の愛人となった。
チャンミンには申し訳ないが、今のところこれ以上の相応しい言葉が思いつかないのだ。
・
「僕は後でいいです」と遠慮するチャンミンを、浴室に押し込んだ。
チャンミンが身動きする度、尻の割れ目に当てがったティッシュペーパーも動いて、欲情を誘う光景だった。
制服をきっちり着込んでオフィスに戻ったチャンミンと入れ替わりに、俺もシャワーを浴びる。
後頭部でシャワーを受け止めながら、頭の隅にぽっと浮かんだ違和感と対峙していた。
男相手のセックスは初めての経験だった。
チャンミンとの行為は、成り行き任せ勢い任せなものだった。
それでも、なんとかなるもんだと満足していたところが、気になることがあったのだ。
女とは勝手が違うくらいの知識はあった。
痛がりもせず、俺のものを易々と受け入れていた。
...ということは、俺とこういう関係になることを見越して...準備をしていたのか?
繋がりやすい体位を既に知っているようにも見えた。
その手の情報サイトから仕入れた知識なのだろうか?
いや...まさか。
男相手は俺が初めてじゃないという可能性もある。
そう思い至ると、胸が焼け付きそうに痛んだ。
Mちゃん相手に感じたのとは比べ物にならない程の痛みだった。
まだ16歳だぞ?
人付き合いが苦手そうなあの子が、いつの間に...。
でも、あり得ると思った。
チャンミンの美しさにある程度の免疫がついていた俺でさえ、彼に手を出してしまった。
あれほどの美少年だ。
その手の趣味がある者だったら、裸に剥いて己のものにしたいと望んでもおかしくない。
「...くそ...」
浮かんだ疑問をチャンミンにぶつけていいものかどうか、俺は迷っていた。
~チャンミン16歳~
目に映る何もかもが、色鮮やかに息づいている。
研ぎ澄まされた僕の五感は、義兄さんの全てを吸収する。
あの日から、僕の目には義兄さんしか映っていなかった。
「好き...」
つぶやいた僕は、人差し指で義兄さんの身体の窪みを、ひとつひとつ確かめた。
ほっそりとしているのに、デッサン彫刻のように逞しく美しい義兄さんの身体。
「くすぐったいよ、チャンミン...」
くくっと笑って、義兄さんは僕の首筋を甘噛みする。
僕の心は幸福で満たされて、溢れたそばから「好きです」と言葉に紡ぐ。
義兄さんのお腹に、胸の谷間に、耳朶に...そして唇にキスをした。
脱ぎ捨てたズボンから、義兄さんを呼ぶ着信音。
「義兄さん...電話...?」
出て欲しくないと祈りながら、どうってことない風を装った。
義兄さんの腕の中から身を乗り出して、ソファ下のズボンに手を伸ばすふりをした。
「出なくていい。
後からかけ直すから出なくていい」
蛇みたいに僕の身体に手足をからみつけた義兄さん。
義兄さんの爪先が僕の網ストッキングに引っかかり、その個所を確かめたら、案の定、引きつれた筋が出来ていた。
「また買ってあげるから」
僕の脇腹に鼻づらを埋めて、義兄さんはそう言った。
・
週に一度のモデルの日が待ち遠しかった。
あらぬ方向を見据えた義兄さんの意識は、おそらく作品世界にどっぷりと浸っているんだ。
キャンバスに棲みついたあの少年に会いにいっているの?
描かれている自分の姿にすら嫉妬してしまう。
作品制作も、細部の描き込みに差し掛かっていた。
2時間たっぷり、義兄さんの前でポーズをとる。
そして、筆を洗う義兄さんの背後に忍び寄り、背中から抱きすくめる。
「ごめん、今日は時間がないんだ」と断られることもある。
腕の中でくるりと向きを変え、僕の唇を乱暴に吸いながら、オフィスのソファに押し倒すこともある。
本当はもっと会いたかったけれど、聞き分けのない子供みたいな真似はしたくなかった。
一度だけ「明日もここに来て、いいですか?」と尋ねた時の、義兄さんの困った顔。
がっかりした顔を見せたくなかったから、「冗談です」と誤魔化した。
きっと明日も、明後日も、僕じゃない子を描かないといけないんだろう。
待って...もしかしたら、再び姉さんを描き始めたのかもしれない。
・
不安であっぷあっぷしかけた僕は、Mの部屋を訪ねた。
僕を見るなり、服を脱ぎ出したMの手を押さえた。
「よかった。
チャンミンのはけ口にされるのも、キツくなってきたのよね。
私ってこんな見た目だけど、結構傷つきやすいのよ?」
「...ごめん」
Mの言う通りだった。
「ホントにゴメン...」
「ちゃんと謝ってくれたから、許す。
私って見た目通り、根にもたないタイプなの」
Mは肩をひょいとすくめて、解いた髪を束ねながら僕に尋ねた。
「Xさんと...どうだった?」
「あー、それは...」
「教えてもらった?」
「...うん」
「それで...ユノさんと...した?」
「......」
「したんだ...そっか...」
平静を保っていたつもりだったのに、あっさりとバレてしまった。
喜怒哀楽が分かりやすい人間にだけはなりたくなかっただけに恥ずかしかった。
「先越されちゃったなぁ...」
ぽつりとつぶやいて、Mは両手で顔を覆って俯いてしまった。
泣いてる...?
「M...ちゃん?」
自分の思い煩いに気をとられていて、Mのことなんて全然頭になかった。
恋は当事者以外にはとことん、無神経に振舞えるものらしい。
持ち上げた腕の行方に迷った後、ひくひくと震えるMの肩を抱いた。
義兄さんの固く分厚い肩とは全く違う...小さく華奢な肩だった。
「やだな...もう...。
チャンミン相手じゃ、かないっこないよ...もう」
「Mちゃんだって頑張れば...」
「馬鹿じゃないの?」
「!」
「ユノさんを落とせるように、私も頑張れって言ってるの!?
本気で言ってるの?
嫉妬しないの?
私の絵ももうすぐ完成してしまうのよ?
アトリエへ行く口実がなくなってしまうのよ?
せいぜい、チャンミンの彼女のフリをしてアトリエに行こうかと考えてたのに。
ユノさんとくっついちゃったチャンミンに、『彼女』がいたら変でしょ?」
「僕と義兄さんは、付き合ってるとか、そういうんじゃないんだ。
ただ会っているだけ...それだけだよ」
義兄さんとの関係性をMに説明しながら、あらためて思い知らされる。
僕らの繋がりはなんて曖昧で、頼りないものなんだろう。
欲しくて仕方がない。
求められたくて仕方がない。
抱きあう関係になれたけど、それだけだ。
義兄さんの恋人にはなれない。
「苦しそうな関係ね。
でも...ユノさんを好きになるって...そういうことだもんね」
「......」
義兄さんとこの先、どうなりたいかなんて、具体的なビジョンはなかった。
考えたって仕方がないのだから。
美しい義兄さんの瞳に、一糸まとわぬ僕の姿が映る。
それだけで十分、幸せなんだ...多分。
「ねえ、チャンミン。
私、心配」
「心配って、何が?」
「チャンミンって、思い詰めるタイプに見えるから」
「思い詰めるって...何のことだよ?」
「私はチャンミンが心配。
必死過ぎるチャンミンが心配」
Mの心配は見当違いで心外だ。
したいようにしているだけだし、僕はいたって冷静なんだ...多分。
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