~チャンミン16歳~
「結婚している身で、チャンミンとこんなこと...。
間違っていた」
「......」
僕の心は凍り付いた。
義兄さんは...僕とのことを、後悔しているの?
尋ねるのが怖くてたまらない僕は、義兄さんの次の言葉を待つ。
義兄さんは身体を起こし、僕の両肩に手を載せて覗き込んだ。
きっと...会うのはよそう、って言い出すんだ。
義兄さんを試すようなことを、口にしなければよかった!
黙っているべきだった。
義兄さんの視線を受け止められなくて、僕は顔を背けた。
「俺は、浮気とか不倫とか...したくないんだ。
Bとは好き合って一緒になった。
ところが、結婚して半年も経たないうちに、お前と...」
「......」
ついさっきの『Bと別れようか?』に、僕の心は喜びに満たされるのではなく、焦燥感でいっぱいになってしまった。
姉さんと別れてフリーになってもらったら、僕が困るからだ。
自分勝手な人間なことに、義兄さんには罪悪感を抱き続けて欲しかった。
義兄さんの罪悪感が、僕を繋ぎとめてくれるからだ。
「Bはもちろん...チャンミン、お前に対してフェアじゃない。
俺は...」
顔を伏せたままの僕の耳に、義兄さんは顔を寄せて言う。
「チャンミンによろめいてしまった時点で、俺とBの結婚は間違いだったんだ。
誤解しないで欲しいのは、チャンミン、お前とのことが間違いだったと言っているんじゃないんだ」
僕は義兄さんの胸に頭のてっぺんを押しつけて、呼吸に合わせて上下する彼のお腹を見ていた。
さっきまで自分だけのものだと思えた義兄さんの身体が、手の届かない遠いものに見えてきた。
結婚している人との恋において、その人の離婚は待ち望むものなんだろう。
高校生の僕には、結婚なんて遠い先のもので、実感がわかない。
義兄さんと姉さんが夫婦だという事実も、僕にとって遠かった。
義兄さんは、姉さんの夫でい続け、同時に僕と会い続けることに苦しさを覚えたんだ。
どちらかを選ばなければならなくなった時、多分、義兄さんはどちらも選ばない人だ。
姉さんと別れると告げた後、僕とも会わない、と宣言するんだろう。
そんな潔さを持った人なんだと思う。
でも、そんな潔さは義兄さんのエゴでしかない。
2人の間で迷った自分を許せないからって...じゃあ、僕の気持ちはどうなるんだ。
僕の思考は先へ先へと、短時間で暴走する。
『Bと別れようか?』なんて...僕の気持ちを確かめようとしてるの?
ムラムラと怒りが湧いてきた。
「チャンミンとのことは、遊びじゃない。
俺は、Bと別れるよ」
「...何、言ってるんですか!」
僕は怒鳴っていた。
「...え?」
目を見開いた義兄さんは、僕の肩から手を放し、その手で自身の後頭部をガシガシとかいた。
義兄さんの白い肌と、二の腕をあげたことで露になった脇のコントランス。
いつもなら鼻づらをこすりつけて甘えて、義兄さんの香りを吸い込むのに、今はひとかけらもそんな欲求が湧かない。
僕の反応は、義兄さんにとって予想外だったみたいだ。
そりゃそうだ、一般的には喜ばしいお知らせなのに、僕は喜んでいないんだ。
「駄目に決まってるでしょう?」
「...駄目?
Bと別れることをか?」
「はい。
義兄さんは姉さんと別れちゃだめです」
「俺には理解できないよ。
俺には妻...チャンミンの姉さんだ...がいて、嫌じゃないのか?
それでいいのか?」
義兄さんの話しぶりだと、姉さんと別れて僕を選ぶらしい。
姉さんと僕の両方とも切り捨てるのでは?、と見込んでいたから、僕は混乱した。
嬉しくなかった。
僕は左右に首を振った。
「嫌ですよ!
嫌に決まってるじゃないですか!
嫉妬で苦しいですよ」
「じゃあ...なぜ?」
「不自由だからいいんです。
誰の目も恐れずに会えるようになったりなんかしたら...。
姉さんと別れてフリーになった義兄さんなんて...僕は嫌です!」
・
眉をひそめて、泣き出しそうに目を潤ませた義兄さん。
こんな状況下で、黒目がちの義兄さんの眼を綺麗だと感動していた。
僕の発言が、17歳も年上の綺麗な人を苦しめている。
不自由だからいい』なんて、嘘に決まってるでしょ。
義兄さんを苦しめて悦ぶ余裕はなくなっていて、僕の方こそエゴがパンパンに詰まっている。
簡単には切れない繋がりを失ってたまるか、と僕は必死だった。
「僕は義兄さんが好きです。
ただそれだけなんです。
今のままがいいんです」
「チャンミンはそれでいいかもしれないが、俺は...。
俺が嫌なんだよ。
お前と正々堂々と付き合いたいから、Bと別れるっていう意味じゃないんだ。
俺の問題なんだ。
けじめとして、Bと別れるよ」
「!」
気付いた時には、僕は義兄さんを押し倒して馬乗りになっていた。
義兄さんの喉を押さえつけていた。
「姉さんと別れたりなんかしたら...」
「チャ...!」
僕の手の平の下で、義兄さんの喉仏がごろごろいっている。
「姉さんと別れたら...。
僕は義兄さんと、別れます」
「!」
呼吸を忘れた義兄さんは、硬直させた表情で僕を見上げている。
「僕のことを少しでも好きならば、離婚なんてよしてください」
義兄と義弟じゃなくなったら、僕みたいな退屈なガキ...義兄さんはいつか飽きて、捨てるだろう。
義兄さんをずっと僕の元に繋ぎとめるには、義兄弟である今の関係性が必要なんだ。
でも、そんな僕の弱い心、打算を義兄さんに打ち明けるわけにはいかない。
それに、義兄さんには姉さん...妻がいるから、バランスがとれていた。
義兄さんの愛情を丸ごと受け止められるだけの器が僕には無い。
他人のものを奪う過程を楽しんでいたわけじゃないんだ。
妻がいるのに、会わずにはいられない恋しい人...僕がいる。
それくらいが、僕にはちょうどよかった。
「俺には理解できないよ...」
義兄さんは僕から喉を解放され、咳きこんだ後にそうつぶやいた。
両膝に肘をつき、両手で顔を覆って「理解できない」と繰り返した。
「理解できないでしょうね」
「......」
「もし、姉さんと別れたりしたら、僕はバラします」
暴走した僕は、自分を止められない。
「チャンミン...!」
「僕と義兄さんとの関係を...毎週、裸になって、ヤッてヤッてヤリまくってたこと...全部、バラします。
姉さんはショックを受けるでしょうね?
僕の家族も、義兄さんの家族もみんな、傷つくでしょうね。
僕は家族のつまはじき者になるでしょうし、悪い噂で義兄さんも困るでしょうね。
僕のことも義兄さんのことも、みんなは許さないでしょうね?」
「チャンミン...」
「義兄さんは僕とずっと、これからも、今まで通りに、僕と会って下さい」
「......」
義兄さんの瞳の中に、怯えの色があった。
僕は余裕を取り戻していた。
勝った、と思った。
「僕は本気ですよ?
ねえ、義兄さん。
僕は、義兄さんが好きなんです。
大好きなんですよ?」
「俺は...」
言いかけて直ぐ、デスクに置いたスマホが振動し始めた。
ブーブーとしつこく震え続けるスマホ。
義兄さんは立ち上がり、僕に背を向けて電話に出てしまった。
『俺は...』の続きが聞きたかったのに。
義兄さんの通話は終わらない。
言葉の断片から、仕事の話をしているみたいだ。
仕方なく着がえようと、ソファから腰を上げた。
アトリエからオフィスへと順に脱がされていった衣服を、拾い上げながら順に身につけていった。
オフィスの床に落ちた下着を、部屋境に落ちたボトムスを、アトリエの床に落ちたシャツをと、順に身につけていった。
(あ...)
キャビネットの上に光るアクセサリーが目にとまった。
プラチナ製のブレスレット...姉さんが義兄さんの誕生日に贈ったものだ。
絵画制作の間、僕を抱く間は、僕への礼儀として、義兄さんは必ずこれを外している。
義兄さんと関係を持って、もうすぐ一年になろうとしていた。
僕はそれをつかむと、ボトムスのポケットに突っ込んだ。
ここまでの動作は、無意識で当たり前で、自動運転だった。
義兄さんを独り占めする気はないはずなのに、僕は焦れていた。
(つづく)
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