義弟(37)

 

 

~チャンミン16歳~

 

 

「結婚している身で、チャンミンとこんなこと...。

間違っていた」

 

「......」

 

僕の心は凍り付いた。

 

義兄さんは...僕とのことを、後悔しているの?

 

尋ねるのが怖くてたまらない僕は、義兄さんの次の言葉を待つ。

 

義兄さんは身体を起こし、僕の両肩に手を載せて覗き込んだ。

 

きっと...会うのはよそう、って言い出すんだ。

 

義兄さんを試すようなことを、口にしなければよかった!

 

黙っているべきだった。

 

義兄さんの視線を受け止められなくて、僕は顔を背けた。

 

「俺は、浮気とか不倫とか...したくないんだ。

Bとは好き合って一緒になった。

ところが、結婚して半年も経たないうちに、お前と...」

 

「......」

 

ついさっきの『Bと別れようか?』に、僕の心は喜びに満たされるのではなく、焦燥感でいっぱいになってしまった。

 

姉さんと別れてフリーになってもらったら、僕が困るからだ。

 

自分勝手な人間なことに、義兄さんには罪悪感を抱き続けて欲しかった。

 

義兄さんの罪悪感が、僕を繋ぎとめてくれるからだ。

 

「Bはもちろん...チャンミン、お前に対してフェアじゃない。

俺は...」

 

顔を伏せたままの僕の耳に、義兄さんは顔を寄せて言う。

 

「チャンミンによろめいてしまった時点で、俺とBの結婚は間違いだったんだ。

誤解しないで欲しいのは、チャンミン、お前とのことが間違いだったと言っているんじゃないんだ」

 

僕は義兄さんの胸に頭のてっぺんを押しつけて、呼吸に合わせて上下する彼のお腹を見ていた。

 

さっきまで自分だけのものだと思えた義兄さんの身体が、手の届かない遠いものに見えてきた。

 

結婚している人との恋において、その人の離婚は待ち望むものなんだろう。

 

高校生の僕には、結婚なんて遠い先のもので、実感がわかない。

 

義兄さんと姉さんが夫婦だという事実も、僕にとって遠かった。

 

義兄さんは、姉さんの夫でい続け、同時に僕と会い続けることに苦しさを覚えたんだ。

 

どちらかを選ばなければならなくなった時、多分、義兄さんはどちらも選ばない人だ。

 

姉さんと別れると告げた後、僕とも会わない、と宣言するんだろう。

 

そんな潔さを持った人なんだと思う。

 

でも、そんな潔さは義兄さんのエゴでしかない。

 

2人の間で迷った自分を許せないからって...じゃあ、僕の気持ちはどうなるんだ。

 

僕の思考は先へ先へと、短時間で暴走する。

 

『Bと別れようか?』なんて...僕の気持ちを確かめようとしてるの?

 

ムラムラと怒りが湧いてきた。

 

「チャンミンとのことは、遊びじゃない。

俺は、Bと別れるよ」

 

「...何、言ってるんですか!」

 

僕は怒鳴っていた。

 

「...え?」

 

目を見開いた義兄さんは、僕の肩から手を放し、その手で自身の後頭部をガシガシとかいた。

 

義兄さんの白い肌と、二の腕をあげたことで露になった脇のコントランス。

 

いつもなら鼻づらをこすりつけて甘えて、義兄さんの香りを吸い込むのに、今はひとかけらもそんな欲求が湧かない。

 

僕の反応は、義兄さんにとって予想外だったみたいだ。

 

そりゃそうだ、一般的には喜ばしいお知らせなのに、僕は喜んでいないんだ。

 

「駄目に決まってるでしょう?」

 

「...駄目?

Bと別れることをか?」

 

「はい。

義兄さんは姉さんと別れちゃだめです」

 

「俺には理解できないよ。

俺には妻...チャンミンの姉さんだ...がいて、嫌じゃないのか?

それでいいのか?」

 

義兄さんの話しぶりだと、姉さんと別れて僕を選ぶらしい。

 

姉さんと僕の両方とも切り捨てるのでは?、と見込んでいたから、僕は混乱した。

 

嬉しくなかった。

 

僕は左右に首を振った。

 

「嫌ですよ!

嫌に決まってるじゃないですか!

嫉妬で苦しいですよ」

 

「じゃあ...なぜ?」

 

「不自由だからいいんです。

誰の目も恐れずに会えるようになったりなんかしたら...。

姉さんと別れてフリーになった義兄さんなんて...僕は嫌です」

 

眉をひそめて、泣き出しそうに目を潤ませた義兄さん。

 

こんな状況下で僕は、黒目がちの義兄さんの眼を綺麗だと感動していた。

 

僕の発言が、17歳も年上の綺麗な人を苦しめている。

 

『不自由だからいい』なんて、嘘に決まってるでしょ。

 

義兄さんを苦しめて悦ぶ余裕はなくなっていて、僕の方こそエゴがパンパンに詰まっている。

 

簡単には切れない繋がりを失ってたまるか、と僕は必死だった。

 

「僕は義兄さんが好きです。

ただそれだけなんです。

今のままがいいんです」

 

「チャンミンはそれでいいかもしれないが、俺は...。

俺が嫌なんだよ。

お前と正々堂々と付き合いたいから、Bと別れるっていう意味じゃないんだ。

俺の問題なんだ。

けじめとして、Bと別れるよ」

 

「!」

 

気付いた時には、僕は義兄さんを押し倒して馬乗りになっていた。

 

義兄さんの喉を押さえつけていた。

 

「姉さんと別れたりなんかしたら...」

 

「チャ...!」

 

僕の手の平の下で、義兄さんの喉仏がごろごろいっている。

 

「姉さんと別れたら...。

僕は義兄さんと、別れます」

 

「!」

 

呼吸を忘れた義兄さんは、硬直させた表情で僕を見上げている。

 

「僕のことを少しでも好きならば、離婚なんてよしてください」

 

義兄と義弟じゃなくなったら、僕みたいな退屈なガキ...義兄さんはいつか飽きて、捨てるだろう。

 

義兄さんをずっと僕の元に繋ぎとめるには、義兄弟である今の関係性が必要なんだ。

 

でも、そんな僕の弱い心、打算を義兄さんに打ち明けるわけにはいかない。

 

それに、義兄さんには姉さん...妻がいるから、バランスがとれていた。

 

義兄さんの愛情を丸ごと受け止められるだけの器が僕には無い。

 

他人のものを奪う過程を楽しんでいたわけじゃないんだ。

 

妻がいるのに、会わずにはいられない恋しい人...僕がいる。

 

それくらいが、僕にはちょうどよかった。

 

「俺には理解できないよ...」

 

義兄さんは僕から喉を解放され、咳きこんだ後にそうつぶやいた。

 

両膝に肘をつき、両手で顔を覆って「理解できない」と繰り返した。

 

「理解できないでしょうね」

 

「......」

 

「もし、姉さんと別れたりしたら、僕はバラします」

 

暴走した僕は、自分を止められない。

 

「チャンミン...!」

 

「僕と義兄さんとの関係を...毎週、裸になって、ヤッてヤッてヤリまくってたこと...全部、バラします。

姉さんはショックを受けるでしょうね?

僕の家族も、義兄さんの家族もみんな、傷つくでしょうね。

僕は家族のつまはじき者になるでしょうし、悪い噂で義兄さんも困るでしょうね。

僕のことも義兄さんのことも、みんなは許さないでしょうね?」

 

「チャンミン...」

 

「義兄さんは僕とずっと、これからも、今まで通りに、僕と会って下さい」

 

「......」

 

義兄さんの瞳の中に、怯えの色があった。

 

僕は余裕を取り戻していた。

 

勝った、と思った。

 

「僕は本気ですよ?

ねえ、義兄さん。

僕は、義兄さんが好きなんです。

大好きなんですよ?」

 

「俺は...」

 

言いかけて直ぐ、デスクに置いたスマホが振動し始めた。

 

ブーブーとしつこく震え続けるスマホ。

 

義兄さんは立ち上がり、僕に背を向けて電話に出てしまった。

 

『俺は...』の続きが聞きたかったのに。

 

義兄さんの通話は終わらない。

 

言葉の断片から、仕事の話をしているみたいだ。

 

仕方なく着がえようと、ソファから腰を上げ、アトリエからオフィスへと順に脱がされていった衣服を、拾い上げながら順に身につけていった。

 

オフィスの床に落ちた下着を、部屋境に落ちたボトムスを、アトリエの床に落ちたシャツをと、順に身につけていった。

 

(あ...)

 

キャビネットの上に光るアクセサリーが目にとまった。

 

プラチナ製のブレスレット...姉さんが義兄さんの誕生日に贈ったものだ。

 

絵画制作の間、僕を抱く間は、僕への礼儀として、義兄さんは必ずこれを外している。

 

義兄さんと関係を持って、もうすぐ一年になろうとしていた。

 

僕はそれをつかむと、ボトムスのポケットに突っ込んだ。

 

ここまでの動作は、無意識で当たり前で、自動運転だった。

 

義兄さんを独り占めする気はないはずなのに、僕は焦れていた。

 

 

 

(つづく)

 

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