義弟(44)

 

 

 

~チャンミン17歳~

 

 

義兄さんの部屋に通されて、コートを脱ぎバッグを下ろした僕は、物珍しげに室内を見回した。

 

僕の部屋より広くて、ソファセットがあったり、ベッドもキングサイズで...イベントの主役だもの、さすが義兄さんだ。

 

でも、2つ並んだベッドにズキリ、と胸が痛んだ。

 

姉さんのためのベッドだ。

 

義兄さんと姉さんは夫婦なんだから当然のことなのに、その事実に押しつぶされそうだった。

 

「姉さんと別れないで」と頼んだくせに、彼らが夫婦である事実に打ちのめされた。

 

これは嫉妬だ。

 

僕がはっきりと嫉妬の念を覚えた瞬間だった。

 

週に一度だけ義兄さんのアトリエで時を過ごし、彼は姉さんの待つ家に戻り、僕も高校生に戻って両親と夕飯のテーブルを囲んでいた。

 

それだけで十分だったのに。

 

義兄さんを独り占めしたい...先日の自分の発言を後悔した。

 

でも今は駄目なんだ。

 

僕には片付けなくてはならない問題があるし、単なる高校生男子に過ぎないし、もっと自分に自信がついて、もっと大人になって、もっともっと義兄さんと繋がって...それからそれから...それからの話だ。

 

大きく深呼吸をして、自分の中に渦巻くもやりを逃した。

 

ルームサービスを依頼する電話をかけ終えた義兄さんは、突っ立ったままの僕に「落ち着かないから、座ったら?」と、ソファを指し示した。

 

「...すみません」

 

腰を下ろした僕は、義兄さんを正視できなくて、膝にのせたクッションの刺繍に見入るフリをして誤魔化した。

 

つい3,4時間前に、服を脱ぐのももどかしくて、肝心なところだけ出した格好で僕らは抱き合った(僕の方は下を全部脱がされてしまっていたのだけれど)

 

アトリエでは当たり前の行為でも、場所が変わり、我にかえると気恥ずかしさが勝ってしまうのだ。

 

「何か飲む?」

 

ミニバーの冷蔵庫を覗く義兄さんに、「み、水を」とどもってしまって、彼に笑われた。

 

「なにを緊張してるの?」

 

「...はい」

 

僕の隣に腰を下ろすかと思ったら、義兄さんは僕にミネラルウォーターを手渡しただけだった。

 

「シャワーを浴びてくるよ。

会場は暖房が効きすぎていて...汗をかいて。

...ん?」

 

僕のぽかんとした表情に、義兄さんには僕が考えていることなんてお見通しだったんだ。

 

「チャンミンと一緒にお風呂にはいりたいけれどね。

それは後にしよう。

揃って裸になったりしたら、したくなってしまうだろう?」

 

「...あ」

 

「それは後のお楽しみにとっておこう。

腹も減ったし、チャンミンにサプライズもあるし、ね」

 

義兄さんとヤルことしか考えていなかった自分が恥ずかしい。

 

火照った頬が義兄さんの両手で包み込まれた。

 

「ここではチャンミンがお客さんだったね。

チャンミンが先に入ってくる?」

 

「義兄さんがお先にどうぞ」

 

義兄さんは僕の額に唇を押しつけ、頭をくしゃくしゃと撫ぜると、浴室へ行ってしまった。

 

「ふう...」

 

ホントは今すぐ、僕は義兄さんと抱き合いたかった。

 

それは、性欲によるものだけじゃない。

 

不安に押しつぶされそうになっている僕を、義兄さんに抱かれることで安心させて欲しかった。

 

義兄さんを失ってしまうかもしれない恐怖心が、この2、3時間の間に芽生えたのだ。

 

念入りに愛された夕方のひととき、そして義兄さんの代表作品と共に並んだ僕の絵。

 

あんなものを見せられたら...現在進行形で僕がやっている行為の汚らわしいことといったら。

 

義兄さんは姉さんの夫であること。

 

僕に愛想をつかして、姉さんの元に戻ってしまうかもしれない。

 

僕が恐れているのがまず、これだ。

 

会場でX氏に声をかけられて、身体の芯までぞっとした。

 

ホテルまで戻る道すがら、義兄さんに「いつからだ?」と尋ねられた。

 

全身の体温が失われた。

 

とうとうバレてしまった。

 

あまりに唐突だったから、「あの...」だの「その...」だのと言うのがやっとだった。

 

でも、いい機会だと思った。

 

義兄さんに全部、ぶちまけてしまおうって。

 

会場で僕に近づいてきたX氏から逃れられなかった理由は、無下に彼の腕を払いのけたり、拒絶の言葉を吐いたりしたら、僕らのやりとりが目立ってしまうからだ。

 

何よりX氏がどんな行動に移すのか読めなかった。

 

だから大人しく従った。

 

10分か15分くらい辛抱すれば、X氏は満足するだろうから。

 

X氏とエレベーターを待っていた時...人のいない所に連れていって、コトに及ぼうとしていたんだと思う...義兄さんが僕を助け出してくれた。

 

あの時、どれだけ安堵したことか!

 

義兄さんの全身から青白い炎が揺らめいているのが、目に見えるほどだった。

 

それくらい、義兄さんは怒っていた。

 

その怒りが僕に向けられているものなのか、X氏に向けられているものなのか。

 

どちらであっても、義兄さんが腹を立てる理由が直ぐには分からなかった。

 

でも義兄さんのことだから、僕の肩を抱くX氏に下心があったのを見抜いたんだ。

 

義兄さんの背中に隠れる僕を見る目が優しかった。

 

だから、義兄さんの怒りはX氏に向けたものだ。

 

僕はホッとした。

 

そして、ニヤつくX氏に僕は確信した。

 

僕の好きな人は義兄さんだってことに。

 

今後会う度、X氏は義兄さんの名前を何度も持ち出しては、うろたえる僕を見て愉しむだろう。

 

X氏の前からさらうように、僕を外に連れ出した義兄さん。

 

会場をほっぽりだして大丈夫なのか、と尋ねたら、「チャンミンは心配しなくていい」と答えた。

 

義兄さんは僕を振り向きもせず、先をずんずんと歩く。

 

やっぱり僕に対しても怒っているんだ。

 

でも、ちょっとだけ嬉しかったのは本音だ。

 

義兄さんが僕を守ろうとしてくれた行動は、僕のことを大事だと思ってくれているこそ。

 

コートのポケットの中で、義兄さんの温かい手に包まれた時、僕の中に罪悪感が湧いてきた。

 

義兄さんの作品がここまで評判を集めるようになったのは、X氏から引き受けた仕事の成功もあるからだ。

 

展賞をさらうだけじゃ注目はされない。

 

X氏がオーナーを務めるカフェの内装を任されたこと、そのカフェがTVドラマの舞台となり、メディアに取り上げられたこと。

 

これをきっかけに義兄さんの作品は注目を浴び、高級ブランドの旗艦店内の壁画を手掛けるまでになった。

 

義兄さんの商業的な作品は、線画とビビッドなカラーが特徴的で、キャンバスに描かれる緻密で繊細なものとは大きく異なっている。

 

僕はもちろん、後者のものが好きだ。

 

恩があるX氏に対して、子供の僕から見ても失礼な態度をとってしまった義兄さんの立場が心配になった。

 

僕のせいだ。

 

「いつからだ?」の義兄さんの問いかけに、僕は曖昧な言葉しか返せなかった。

 

ホテルにたどりつくまでの数分間、何度も口にしかけたけれど、いま一歩踏み込んだことが言えず仕舞いだった。

 

でも、心に決めたことがある。

 

X氏にきっぱり断ろう。

 

そして二度と抱かれない。

 

ここにいる間に、「もう会わない」と伝えよう。

 

明日中にそうしよう。

 

義兄さんに例の写真を見せると揺すられたら、「どうぞご自由に」と言ってやろう。

 

それを目にして、義兄さんは僕を軽蔑すると思う。

 

もうひとつの僕の恐れが、これだ。

 

その時は、義兄さんのためだったんだ、って、X氏に抱かれるに至った理由も全部、打ち明けよう。

 

X氏とそういうことをしていても、義兄さんのことしか考えていなかったって。

 

同情を買おうとする僕は、つくづく狡い。

 

僕は必死なんだ。

 

何度も謝って、好きだと何度も言って、許してもらおう。

 

義兄さんだって結婚してるんだ。

 

姉さんを抱くこともあるはずだ、だって夫婦なんだもの。

 

義兄さんたちが抱き合っている光景を思い浮かべてしまって、その想像図に僕の胸がキリキリと痛んだ。

 

息ができないほどに。

 

義兄さんは結婚してる...だから僕の方だって義兄さん以外の男に抱かれていても、「おあいこ」だ。

 

...そんな幼稚な考えを、ほんの少しでも抱いていた僕は馬鹿だ。

 

 

 

 

 

 

浴室にはバスローブが用意されていたけれど、恥ずかしくって身につけられるはずがない。

 

シャワーに切り替えるレバーが分からなくてまごついてしまったり、どちらが髪用でどちらが身体用なのか洒落たボトルを前に途方にくれたり...。

 

僕に用意された部屋も十分、いいところだったけど、ここは修学旅行で一度だけ泊まったことのあるビジネスホテルとは、雲泥の差だ。

 

自宅から持参した、寝間着代わりのTシャツとスウェットパンツを身につけて、浴室を出た。

 

美味しそうな匂い...僕が入浴中に料理が届いたようだった...に、つい表情を緩めてしまったみたいだ。

 

「ちょうど届いたばかりだよ。

温かいうちに食べようか?」

 

僕と似たような格好の義兄さんは、僕に気付くとぷっと吹き出した。

 

「頭...びしょびしょじゃないか?」

 

首に引っかけていたタオルで、僕の髪を拭いてくれる。

 

その手つきが優しくて、僕は胸がこそばゆい。

 

大好きな人と一晩中、2人きり。

 

僕へのサプライズって何だろう?

 

X氏への危惧は脇に追いやって、今は義兄さんとのひと時を楽しもうと思った。

 

明日になったら、X氏とのことは片付けるから。

 

 

 

(つづく)

 

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