義弟(76)

 

~ユノ34歳~

 

その日は曇り空だった。

 

午前の早い時間にチャンミンの自宅まで迎えに行った。

 

行き先については譲り合いで、なかなか決まらなかった。

 

夏服でも買ってやろうかとショッピングセンターを提案したが、首を振られてしまった。

 

「どこに行きたい?」と尋ねると、チャンミンは「どこへでも」と答えた。

 

「義兄さんは行きたいところ、ありますか?」と尋ねられ、チャンミンと一緒なら行き先なんてどこでもよかった俺は、「どこへでも」と答えた。

 

「じゃあ、どうする?」

 

「ホテルに行きたいです」

 

あのイベント以来、素直になったチャンミンははっきりと言った。

 

「ドライブしてホテルに行って、ドライブして帰るのです」

 

「...わかった」

 

俺たちは会えば必ずヤラずにはいられない。

 

言葉の交わし合いが必要だとこれまでを反省したそばから、こうだ。

 

仕方がない...俺たちはこうするしか、愛情確認ができない。

 

 

自宅から2時間離れた場所、その手のところではなく、ミドルクラスのシティホテルだった。

 

俺たちは不倫カップル。

 

手ぶらの男同士が連れ立って、真昼間にチェックインする姿は不自然か...そうでもないか、兄弟、先輩後輩同士の場合もあるわけで...。

 

いくつもの言い訳を思い浮かべてしまう点が、悪いことをしている後ろめたさの意識があるせいだ。

 

案内を断り、キーを受け取った。

 

エレベータでも廊下でも、チャンミンの身体にはあえて一切触れなかった。

 

ただし、部屋のドアを開けるまでは。

 

この焦らしがこれからする行為への興奮を高めるのだ。

 

物欲しげなチャンミンの熱い目と目が合えば、「あと少しだ、我慢だ」の意を込めて見返した。

 

入るなり、互いの顔を引き寄せ舌を絡め合う。

 

チャンミンはディパックを床に落とした。

 

むしり取るように服を脱ぎ出すチャンミンを制した。

 

「慌てなくていい。

時間はある」

 

チャンミンにはこう言ったが、時間は限られていた。

 

俺たちの邪魔をするのは時間だけだ。

 

時間に追われながら抱き合うのはこれまでと変わらないが、俺たちの邪魔をする者はいない。

 

スマホの電源を落とし、仕事上の友人たちからの、そして妻からの連絡手段を絶った。

 

「風呂に入ろうか?」

 

「...僕と?」

 

「他に誰がいる?

一緒は嫌?」

 

「いいえ」

 

チャンミンは泣き笑いの表情で、首を振った。

 

 

シャワーの下に立った俺たちは、キスの続きを再開した。

 

頭上から降り注ぐお湯により、唇から垂れ漏れる唾液は流される。

 

「足をここに乗せて」

 

チャンミンは片足をバスタブの縁にかけ、俺の首に両腕を回した。

 

俺の手はチャンミンの背中から谷間の先端の間を何度も往復し、焦れたチャンミンに手首をつかまれ、そこへと誘導された。

 

中心点を探り当てた指でほぐし広げてゆくのだが、1か月ぶりにしては、そこは早々と指を飲みこんだ。

 

「ひとりでいじってたのか?」

 

俺の肩に額を押しつけていたチャンミンは、こくりと頷いた。

 

「俺を思って?」

 

「...はい」

 

「毎日?」

 

「義兄さん!」

 

睨みつけるチャンミンをなだめるように、額に口づけた。

 

笑みの形になった眼に、俺も微笑んでみせた。

 

ほぐしの段階でチャンミンの身体は、俺が腰を支えてやらないと崩れ落ちそうになっていた。

 

埋めた中で2本の指が蠢くごとに チャンミンの膝は小刻みに震えた。

 

チャンミンのものも、ふるふると震えていた。

 

先端を濡らすとろみあるものは、水じゃない。

 

「義兄さんっ...早く...」

 

その頃にはチャンミンは立っていられなくなっていて、俺の胸にしがみついていた。

 

口は開きっぱなしになっている。

 

「チャンミンのお願いに応えてやるよ」

 

俺はチャンミンを肩に担ぎ上げた。

 

チャンミンはじっとしている。

 

過去にホテルの浴室で倒れていたチャンミンを、ベッドまで運んだことがあった。

 

X氏の一件だ。

 

あの時のチャンミンは唇を血で染め、酒に酔って朦朧としていた。

 

この子は出逢った時から今に至るまで、常に一生懸命だった。

 

危なっかしく不安定なこの子を、俺は全力で支えてやらないといけない。

 

俺の肩の上で大人しく身を預けるチャンミン。

 

むごいことにもうしばらくの間は...少なくともあと1年間は、チャンミンは我慢を強いられる。

 

たった今日一日の思い出が、今後耐えうるだけの支えになるはずはない。

 

そうであっても、今日一日は心を尽くして丹念に、愛そうと思った。

 

 

脱力したチャンミンを、優しくベッドに降ろした。

 

ベッドカバーが濡れるのも構わず、チャンミンを跨いで身体を伏せた。

 

額同士を合わせ、とろんと半眼になったチャンミンと目を合わせた。

 

「義兄さん...好きです」

 

「分かってるよ」

 

チャンミンの両目がうるんできた。

 

「今から泣くのか?

泣くのはこれからだぞ?」

 

「え...泣くようなこと!?

やだ...」

 

冗談のひと言を、チャンミンは違う意味にとったようだった。

 

「あまりにもよすぎて、チャンミンが泣いてしまうよ、って意味」

 

下がってしまった眉尻を、親指でもみほぐしてやった。

 

「...なんだ。

びっくりさせないでください」

 

「好きなだけ声を出していい」

 

「義兄さ...!」

 

チャンミンの口を手の平ですっぽり覆った。

 

「今日は『義兄さん』じゃない。

『ユノ』だ」

 

「......」

 

「呼べる?」

 

チャンミンはぷいっと顔を背けてしまった。

 

「...無理です。

癖になってますから。

それに...恥ずかしいです」

 

「『ユノ』って呼ぶのが?」

 

「はい。

...それに。

僕は『義兄さん』と呼んでますけど、『義兄さん』のつもりでいませんから。

最初から、義兄さんは『義兄さん』じゃないんです。

...僕の中では。

義兄さんは『義兄さん』っていう名前なだけです」

 

「名前が『義兄さん』?」

 

「はい。

...ダメですか?」

 

俺は言いかけた言葉を飲み込み、「ダメじゃないよ」と答えた。

 

「1年後には『義兄』じゃなくなって、『義兄さん』と呼ばなくて済むんだぞ?」と、チャンミンを喜ばせる台詞...過剰な期待を持たせるような台詞...は軽々しく口にできなかった。

 

チャンミンは分かっているようだった。

 

(つづく)

 

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