<12月某日>
頬杖をついて車窓を流れる景色を眺めていた。
真向いに座ったおばあさんに話しかけられ、最初は「放っておいて欲しいなぁ」と思いながらおしゃべりの相手をしていた。
(僕は礼儀正しい常識人なので、露骨に嫌な顔はしない。にっこり笑って、愛想よく対応する)
方言がきつくて聞き取れないところもあったけれど、おばあさんの話は面白かった。
傍らの買い物袋からミカンを取り出して、僕に1個くれた。
飴を舐めたばっかりで、とてもすっぱく感じられた。
喉が渇いていた僕はペロッと1個食べてしまった。
僕もお返しにチョコレートをあげた。
「うちのお父さんはねぇ、果物が好きなんよ。
特にミカンが好きでねぇ、手の平がまっ黄色になるまで食べるのよ」
「それは凄いですねぇ」
「あたしはミカンはそう好きなもんじゃないけど、買ってくるのよ。
スーパーのもんじゃ美味くないから、今みたいに買い出しに行ってるのよ」
ミカンが詰まったキャリーバッグを見せてくれた。
「...凄いですね」
おばあさんは僕の左薬指をちらりと見た。
「うちのお父さんはねぇ、カニやイカが嫌いなのよ。
でも、あたしはカニが好きだものだから、わざわざ買ってきてくれるのよ」
「分かります」と、しみじみ大きく頷いた。
ユノの好物って何だっけ?
ユノは僕が作るもの何でも、美味い美味いて食べてくれるから。
駄目だ駄目だ。
ユノのことを想ったらだめだ、涙が出てしまう。
じわってきた目尻をシャツの袖口でおさえた。
次の駅で降りるというおばあさんの、大荷物を持ってやった。
買い物袋の底が裂けてしまい、ホームにミカンがごろごろ転がった。
こりゃ大変だ、とホームにいた高校生2人組(平日の昼間、サボりかな?)と一緒に拾ってやった。
2人とも紺色のPコート(指定なのかな?)姿で、センタープレスばっちりのグレーのスラックス、黒のローファー。
ユノの高校生時代はこんな風だったんだろうなぁ...。
いけないいけない。
背が高くて顔が整っている若い男を見ると、ついついユノと重ねてしまうのだ。
発車ベルが鳴り、拾ったミカンをおばあさんに返そうとしたが「早くいけ」と手を振る。
僕は数個のミカンと共に列車に戻った。
2人の高校生もミカンを貰ったようだった。
遠ざかるホームの3人に手を振った。
・
宿泊場所は、最初の2日間は郷土料理自慢の老舗旅館にした。
早めにチェックインしたのち、温泉に浸かり浴衣で温泉街をぶらついた。
からんころんと石畳を下駄が蹴る音が非日常的で、塩をつけただけの茹で卵が美味しかった。
土産物屋をひやかした。
「俺だったら、こんなもの絶対にいらない」と、ユノじゃなくても却下しそうなモノを、ジョークで買ってみようか、と手にとったりした。
このまままっすぐ旅館に戻ってもいいし、足を伸ばして湖畔を望める広場まで行ってもいい。
「一人旅っていいなぁ」と幸せ気分に満たされた。
一人きままな旅だけど寂しくないのは、帰る場所がちゃんと用意されており、そこには僕のことを大好きでいてくれる人が待っていると知っているからだ。
この前提がなければ、積極的な孤独感を楽しむ旅は出来ないと思った。
・
ユノにカニを送ることにした。
今年はカニの豊漁で、例年の8割ほどの価格で手に入るという。
昨夜、地元居酒屋で飲んだ潮汁が美味しかったから、ユノに海産物を送ってやろうと思った。
わが家の冷蔵庫の中身を思い出す。
カニ1ハイがギリギリか。
サザエと牡蠣も送ってやりたいところだけど、留守番中のユノは持て余してしまうだろう。
「お!
一人では始末しきれない量を送ってくるとは...ははん、明日にでも帰ってくるな。
迎えに行ってやらなくていいってことか」
と、思ってもらったら困る!
今回の僕は、もうしばらく放浪の時が必要で、もうしばらく帰宅しないつもりなのだ。
市場の親父は、2ハイ買ったら1ハイおまけするとしつこかった。
ユノもそうだけど、僕らは何かと過剰に手に入れることが得意なのだ。
・
海鮮尽くしの夕食後。
旅館の濡れ縁のテーブルに便箋と筆記用具を広げた。
旅に出て初めて書くユノへの手紙だ。
手短にまとめなければ。
ユノへの想いを書かせたら、長編大作になってしまう。
ユノを泣かせたらダメだからね。
さて...ヒントはどうしようか。
窓ガラスはびっしり細かな結露で濡れている。
両手で囲ったうえで外をうかがうと、雪は降っていないようだった。
ヒントがうまく描けなくて、これまで5枚の便箋を無駄にしている。
9回目にノートで描いたものが比較的マシに見えた。
(僕は致命的に絵が下手なのだ)
ユノはこの絵を見て、ヒントに気づいてくれるだろうか?