~旦那さん手帖~
<12月24日>
チャンミンがいなくなって何日経ったのだろう。
クリスマスイブが明日に迫ってやっと、クリスマスツリーを飾っていないことに気づいた。
例年なら、チャンミンが12月に入ってすぐには飾りつけを済ませていたっけ。
<クリスマスツリーを飾る手順>
①ゴールドクレストの鉢を中庭から運んでくる。
(もみの木の縮小版みたいな姿形をしている。
数年前、フラワーショップのお姉さんに安くするからと押し付けられたもの。
チャンミンの誕生日祝いに花を買いに行った時だった。
クリスマスの売れ残りだったのだろう。
年々、すくすく育って、今じゃ私の腰の高さまである)
②床が汚れないよう、鉢の泥汚れをよく拭き取っておく。
③押し入れからオーナメントの入った箱を取って来る。
④バランスを見ながらオーナメントを飾ってゆく。
わが家のツリーは赤と青の2色でシックにまとめている。
⑤鉢の周囲を綿で覆う。
・
クリスマスツリーの片付けは私の役割だから、飾りつけくらい簡単なものだ。
電飾のスイッチを入れると、チカチカと点滅しだした。
ひとりで眺めるクリスマスツリー。
もし、長く交際してきた恋人、もしくは結婚相手や婚約者と別れてしまったという状況だったら、今の私は猛烈な寂しさに襲われ、男ひとり寂しく飯を食う光景は猛烈にわびしいものだろう。
涙でしょっぱい飯をぼそぼそと食べるのだろう。
私は単なる留守番をしているにすぎないのだ。
必ず帰ってくると確信があるから、不在を不安がる必要はない。
このままずっと、帰ってこなったらどうしようと、ちらとも思わなかった。
・
<カニの後、届いたもの>
・泥付きごぼう
・真空パック詰めされたハンバーグ
・大粒イチゴ2パック
・地ビールの詰め合わせ
・××テーマパークのマスコット『タミー』のぬいぐるみ
・草木染めのランチョンマット
・××名物鹿肉の佃煮
・××焼きのマグカップ
これらがどこの名産・名物なのか、チャンミンがどこを訪れているのか、ガイドブックの付箋を辿らなくても明らかだった。
最初の頃は、着日指定を操作することで、私の謎解きを攪乱するつもりだったのが、次第に面倒になってきたのだろう。
チャンミンはどうやら、北上しているらしい。
マグカップは2つあって、底面に『ゆの』『ちゃんみん』とある。
私を想ってろくろを回したのかと思うと...胸アツ。
・
先日届いた手紙に添えられたイラストを、これで何度目になるのか眺めていた。
これは、一体...何だ?
ひどい絵だ。
キツネ...か?
...いや、キツネにしては、尻尾が細い。
ネズミ...か?
...いや、ネズミにしては、尻尾が短い。
犬...っぽいな。
違う。
もっと素直に見てみよう。
三角耳にヒゲ...猫!
これは...猫だ。
なぜ、猫?
待てよ...ヒントは手紙にあるはずだ。
どこかで見たことがある台詞だ。
『おちこんだりもしたけど、私は元気です』
黒猫をお供に、黒いワンピースを着た女の子が魔女を目指すストーリーの!
だから猫か!!
とあるコピーライターが考えたとある映画のキャッチコピーで、劇場の実際の台詞とは違うらしい。
この映画の舞台は外国だから、まさかチャンミンはそこにはいない。
ひねくりかえすチャンミンの思考を追ってみよう。
このコピーライターの出身地だとか?
まさか。
猫じゃなくて、キツネかもしれない。
キツネじゃなくてやっぱりネズミだったりして...。
結論。
分からん。
・
ひとりぼっちで過ごすクリスマスイブ。
15年間で初めてかもしれない。
ある意味、特別感いっぱいなクリスマスイブと言えそうだ。
<12月25日>
雪。
出勤。
テレビをつけると、クリスマスだと騒々しい。
一晩中つけっぱなしだった、クリスマスツリーの電飾のスイッチを消した。
明日になったら、ツリーを片付けよう。
・
ふと思った。
私たちは「なぜ」、今、離れているんだろう、と。
チャンミンが帰ってこないかもしれない不安は全くない。
けれども、離れ離れでいる生活も2週間を過ぎると、ここにはいない第3者の視線で見てしまうのだ。
これまでのプチ家出はせいぜい1週間ほどだった。
(自分はほいほい家出をするのに、私が出張で数日間留守にした時などは、今生のお別れかのように大騒ぎする。
ま、いいんだけど。
そんなチャンミンが気に入っているのだ、私は)
今回の家出は、何かしら重大な意味が実は込められているのでは?と、疑問に思うようになった。
おそらく、独りでクリスマスイブを過ごしたせいで、センチメンタルになっているせいだ。
実際のところ、深い意味などないのだ。
ここは小説でも映画でもない、地味でメリハリの欠ける現実世界なのだから。
・
チャンミンのプチ家出で思い出したことがあった。
一度、海外へでかけようとした時のことだ。
私に内緒でパスポートを取得していたほど、計画的な家出だ。
ダイニングテーブルに残された、書き置きの手紙を読んでいたまさにその時、がらりと玄関の戸が開く音と、「ただいま」の声。
「パスポートを忘れたのか?」と訊いたら、
「僕だけ海外に行くのがイヤになったんだ」だって。
「僕らは海外旅行に行ったことがないから、いつか行きたいね」と、話題に出ることもしばしばだった。
どこに行こうか。
チャンミンが帰ってきたら、話し合おうと思った。
・
隣家のおばさんも、チャンミンの不在に気付き始めたようだ。
(旦那の浮気疑惑で、娘さんが実家に身を寄せているお宅だ)
回覧板をまわしに来た際など、玄関に出てくるのはいつも私。
「あら、奥さんは?」と、家の奥を探る彼女の視線をつい私がさえぎってしまったことで、疑惑を持たれても仕方がないな。
「奥さんに逃げられたらしいわよ」とありもしない噂が、そのうち流れたりして。
ま、いいんだけど。
同性同士の私たちは、どうしても噂の種になりやすいのだ。
好奇の目で見られることは慣れている。
・
19:00。
連日残業だったため、久しぶりにほぼ定時であがれた。
ポストにクリスマスカードが届いていた。
送るタイミングとして若干、遅いような...。
にぎやかで子供こどもしたデザインだ。
ま、いいんだけど。
実は私もチャンミンにクリスマスカードを送っていたのだ。
ガイドブックに宿泊予定のホテルに付箋がつけられていた。
ただ、どのあたりにいるのかが分からない。
このあたりだろうと検討をつけた、5つのホテルそれぞれに、カードを送った。
ハズレだったホテルには、後日連絡を入れて破棄してもらえばいいのだ。
・
映画『グレムリン』を観ながら、夕食をとっていた時、私はすぐに分かった。
電話のベルの音が普段と違っていた。
慌てるあまり、口の中に放り込んだばかりのフライで喉を詰まらせそうになってしまった。
ゲホゲホむせてしまって、チャンミンの名前が出てこない。
「わあ!?
ユノ?
大丈夫?」
30代も半ばなのに、どこか子供っぽい話し方なのだ。
「大丈夫...ちょっと、待って」と、咳きこみながら息をととえつつあった時。
「迎えに来て」
「ああ、行くぞ。
いくらでも迎えにいくぞ」
「よかったぁ」
「今すぐ、だろ?」
壁時計を見上げ、最終列車には十分間に合うことを確認した。
欠勤の理由はどうしようかと、頭の中で練っていた。
「う~んと、明後日あたり」
「は?
今すぐ会いたいんじゃないの?」
「会いたいけど...。
今日はもう遅いし、明日もユノは仕事だし...。
明後日ならユノ、お休みでしょう?
僕ももう少しだけ考え事をしたいし、ホテルもあと2泊とってるし...」
もごもご言うチャンミンに、私は「わかった」とあっさり引き下がった。
15年も一緒にいれば、1分1秒待ちきれずに会いにいく...なんて、ドラマティックな展開にならない。
私にしてみれば、チャンミンから電話があったこと自体が、ロマンティックなハプニングなのだ。
私とチャンミンは、小さなハプニングとサプライズを、日々積み重ねていくのだ。
これまでもこれからも。
将来、揃ってじーさんになった私たちは、お茶を飲みながら語り合う...面白エピソードのネタが増えたと、ニヤニヤしてしまう。
おやすみを言い合って電話を切った。
今夜は早く寝よう。