「ふぅ...」
ため息をついた。
凝り固まった首と肩をぐるりと回した。
入口ドアの向こうが、アーケード屋根から降り注ぐ日光ではなく、電灯の灯りに変わっていた。
夕飯の材料を買って帰宅すべき時間が迫っているけれど、僕はこの失恋日記を最後まで読み終えたいのだ。
今夜の予定は外食に変更だ。
気が楽になって、テーブルに開いた大学ノートに視線を戻した。
15年前の僕が苦しんでいる。
過ぎ去ったことであっても、結末を知ってはいても、ページをめくるのに緊張する。
感情のディテールは覚えていなくても、とても重苦しい時期...重苦しさが喉にひっかかった不快さがつきまとっていた...だったと、身体が覚えているのだ。
自問自答とユノとの会話を通して、自分なりの落としどころを見つけようとあがいている。
そりゃあね、人生、恋が全てではない。
気楽な大学生ではあったけれど、恋を第一優先にできるほど暇じゃなかった。
15年後の今の僕には伴侶がいて、その伴侶とはユノだ。
この『失恋日記』はハッピーエンドだって、僕は知っている。
―15年前の2月某日―
CCの結婚式から2週間が経った。
春休み。
今年はCCのコンサートは開催しないそうだ。
(結婚という重大なイベントがあったんだ、コンサートの準備なんてできないだろう)
ぽっかりと予定が空いている。
欲しいモノも行きたい所もないから、バイトのシフトを増やした。
暇な時間があると、CCを想って涙が出てくるから、忙しくしていたいのだ。
僕は独身のCCが好きなのだ。
CCは別のステージへ行ってしまって、僕は追いつけない。
・
ユノとは3日前に、バイト先で顔を合わせたきり。
何か口実を作って、ユノと会えないか?
そんなことを考えるようになっていた。
でも、ユノには恋人がいる。
面と向かって尋ねたことはないけれど、ユノの恋人は男だ。
クリスマスプレゼントだといって買った腕時計が男ものだったから。
僕が男性アイドルCCに夢中になっていたことを知っても、ユノは驚いたそぶりを一切見せなかった。
「チャンミンは男が好きなのか?」と面と向かって、訊かれたことはない。
ユノの恋人が男であって欲しい!
そう願う自分がいるのはなぜだろう。
(※答えを出すことに躊躇しているようだ)
―15年前の2月某日―
【ファンクラブから会誌が届く】
・女性向け雑誌『××』
特集
『成熟した男たち~その色香に酔いしれる~』
CCがアラサー女性が選ぶ、セクシー大人男子20人に選ばれたのだそう。
この雑誌を買ってね、という意味だ。
しばし迷う。
CCのインタビューページを読んでみたい。
何を語っているんだろう?
結婚について触れているだろうな。
見たいような見たくないような。
・
僕は、CCから卒業すべきかとどまるべきか迷っている。
結婚という決定打を示されても、僕は彼から目が離せない。
雲隠れしていた数か月後、雑誌のグラビアを通して久方ぶりに姿を現した。
この情報だけで、僕の胸はドキドキしている。
・
【バイトの帰り道、ユノとの会話】
ユノ「楽になったか?」
僕「たまにぎゅうって激痛が走るけど、数秒後にはおさまる。
でも、常に心に靄がかかっている感じだ」
ユノ「卒業する、という道もあるんだぞ?
苦しいんだろ?」
ユノの言葉に、「卒業」の選択肢があることに、あらためて気づいた。
ユノ「俺は俳優や歌手を好きになったことがないから、チャンミンの気持ちはよく分からん。
前にも話したけど、彼らは...特にアイドルはファンたちに恋愛をさせるのが商売なんだ。
この恋愛ってのは、リアル恋愛よりも夢見心地であるべきだろ?
だから、楽しいことが大前提だ。
そりゃそうだろう?
理想の姿しか目にしないで済んでいるんだから」
僕「そんなこと...分かってるよ」
ユノ「つまりだな。
彼らの仕事は、理想の姿を見せることなんだ。
その理想の姿ってのは、有料なんだ。
アイドルとファンとの間で結ばれている契約みたいなものなんだ。
冷たい言い方かもしれんが、商品に瑕疵があればクレームを付けて当然だ。
クレームのつけ先がないから、チャンミンは苦しんでるんじゃないのか?」
ユノの言いたいことはよく分かってる。
ユノ「ファンたちは楽しさを買っているんだ。
わざわざ金を払ってまでして、苦しみが欲しいか?」
僕「いらない」
ユノ「だろう?
離れることを選択肢に入れておくだけでも、楽になれるんじゃないかなぁ?
チャンミンが本気で苦しんでるのは分かってる。
でもなぁ...見てらんないんだよ。
好きな奴のことを想像した時、そいつに対して、好き...ハート付きの好きな気持ち...よりも、
不快感が大きくなるようなら、その恋愛は辞め時なんだろうなぁ。
これは、俺の自論。
不快感っていう言い方はちょっとキツかったね。
嫉妬も不快だろうけど、嫉妬心は辞める理由にならないんだよなぁ...。
う~んと...そうそう!
恐怖心だ。
いよいよ卒業せねばあかんネタが上がってくるのが怖いんだ。
これは、チャンミンを見ていて、思ったことなんだけどさ。
怯えるドキドキが出て来たら...よくないと思うよ」
ユノは僕を思って話してくれたんだって、頭では理解していた。
でも、僕の心の答えは揺らいでいない。
卒業する気なんて、さらさらないんだ。
迷ってるフリをしているだけなんだ。
しがみついているから辛いってことは、重々承知なのだ。
・
僕を構ってくれてありがとう、とユノにお礼を言った。
ユノは「お互い様だ」と笑っていた。
「お互い様だなんて、僕は何もしてやっていない」と言ったら、
「いつか、世話をして欲しい時がくるかもしれんから、そん時にな」と、ユノは答えた。
・
ユノとは親友になりかけているような気もするけれど、
何でも話せるほどの仲までには至っていない。
「恋人はどんな人?」と近いうちに尋ねてみようと思った。
僕は気づいた。
僕は暇なんだ。
CCに費やしていた時間がぽっかりと空いたのだ。
CCに向けていた心のやり場を失っていて、その心のエネルギーが余計なことを考えさせていたんだと思う。
よし、小説を書こう、と思い立った。
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