週末の度、僕は帰郷してはキキと抱き合った。
遠慮のなくなったキキは僕の前で堂々と「食事」をするし、その傍の僕は自分の弁当を広げるだけの図太さを身につけた。
山中で動かなくなってしまったキキを助けた方法とは実に野蛮な行為で、もう一度やれと言われたら足がすくんでしまうだろう。
「キキ...それはその...美味しいの?」
ファストフード店のカップに移し替えたそれを、ストローで吸うキキにおずおずと尋ねた。
初めて襲われた日も、こんな風にキキは「食事」をしていた。
あの時は、ストローを通るものの正体は知らなかった。
「まあまあ。
もっと美味しいものを知っているけれど、それは我慢して代わりにこれを飲んでいるだけ」
僕は唾を飲み込んでから、おずおずと尋ねた。
「キキは...僕のを吸いたいと思ったことはないの?
でも...噛みつかれたら僕も...キキみたいになるの?」
「あはははは!」
キキのはじけるような笑顔が、工場に響き渡った。
お腹を抱えて笑っている。
「酷いな...そんなに笑わなくたって」
ムッとした口調の僕に対して、目尻に浮かんだ涙を拭うとキキは、
「何回私に噛みつかれたと思っているの?
その通りだったら、チャンミンはとっくに『変身』してるよ」
「確かに...」
「チャンミンは、本の読みすぎ、テレビの見過ぎ。
人の血を吸い、日光と十字架とニンニクに弱いって?
噛まれた人間は、吸血鬼になっちゃうって?
そんなんじゃないよ、あたしは」
「じゃあ、何だよ?」
「動物の血を食糧としている、寿命の長い、人間の姿をしたバケモノ。
野生動物みたいなものだから、夜行性なんだ」
キキは顔を寄せると僕の唇を塞ぐ。
血の味がするキス。
その血は僕のでもキキのでもなく、イノシシの血なんだから怖気がたつ。
ちょっとしたことでは驚かなくなった僕は、この程度では怯まない。
あの朝、Sおじさんは檻の中の猪を僕に手伝わせて、処理場内まで運搬した。
そして、その喉をナイフを一突きし、勢いよく吹きだす血液を巨大なたらいで受けた。
ここからが凄かった。
キキに大きな漏斗を咥えさせると、なみなみとたらいを満たしたものをひしゃくですくって、漏斗に注ぐ。
キキの口から外れないように漏斗を支えるのが僕の役目だった。
最初のうちはただ、キキの口を溢れさせるだけだったのが、ごぼっと一度むせた後はごくりごくりと喉を鳴らして飲み込むキキの様子に、僕は安堵したし、ぞぅっとした。
ここで踏ん張らないと、生まれて初めてつかんだ恋を失ってしまう。
立ち去るのも、留まるのも全て僕の意志任せだ。
「生き血が一番いいんだ」と、Sおじさんは言っていた。
SおじさんとSおじさんの伯父さん、キキがどういう繋がり方をしたのかは、僕は知らない。
「ギブアンドテイクの関係」だとSおじさんは言っていた。
過去に何らかの形でキキに助けられたことがあったんだろうけど、僕には関係のないことだ。
獣を「処理」する際に出る捨てられるだけの大量の血液を、Sおじさんはポリタンクに詰め、それを指定の場所に置く。
キキはそれを定期的に回収していく。
「魅入られてしまったら、もうお仕舞いだ」のSおじさんの言葉通り、僕は「なかったこと」にして立ち去ることは出来なかった。
「あの日、僕を襲ったのは、僕の血を...吸おうとしたから?」
僕はキキを横抱きにして、柔らかくて冷たい耳朶を舌先でくすぐった。
「半分は正解、半分は外れ」
「と、言うと?」
「あの時は、空腹だったんだ。
若くて美味しそうなチャンミンを見つけて、後を追っていた」
キキの足音も気配も、一切なかったことを思い出した。
「僕を殺そうと?」
アハハハと、またキキが笑った。
「失血死するまで吸うのは、大変だよ。
4リットルも飲めるわけないでしょう?
ちょっとだけ、舐めてみたかっただけ」
戯れ程度に舌や唇、耳たぶに噛みついていたのは、僕の血の味を楽しむためだったのだ。
「チャンミンが小さな坊やだった時。
あの頃、処理場の案は既にあったの。
Sさんの仲介でね。
当初は、この工場を活かして建設する予定だったのよ。
でも、あなたのご両親の事故があって、周囲が騒がしくなったから延期することにした。
下見に来ていた時...血の香りに誘われて行ってみたところ...あなたに会った、というわけよ。
血まみれのあなたが美味しそうだった。
でも、止めた」
「止めたのは...なぜ?」
「子供過ぎたから」
キキの太ももの間に手を伸ばして、中指を挿入してゆっくりとかき回した。
キキは喉の奥からくぐもった低い声を漏らした。
「ねぇ、思ったんだけど...。
僕の側にずっといたら、キキは飢えずに済むよ」
「それが出来たらいいのにねぇ...。
でも無理なのよ」
哀しそうに苦しそうに、キキは笑った。
群青色の大きな瞳に、僕の顔が映っている。
僕らは交わりながら、体位を変える合間に会話をする。
もしくは、激しく互いを貪るようなセックスの後に裸のまま。
「人間の血の味に慣れると、大変なんですって。
もっともっと欲しくなるんですって。
力がみなぎって感覚が研ぎ澄まされて...人間でいうと、麻薬をやったみたいになれるんだって。
これは、同じ種族の者に聞いた話」
キキはするすると僕の股間まで頭を下げて、勃ち上がりかけた僕のペニスの亀頭にちゅっとキスをした。
唇を離すと、つーっと僕の先走りが糸を引き、キキはそれを舌で舐めとった。
「チャンミンの味がする」と耳元で囁いたりするから、僕は赤面するしかない。
「飢えて苦しむのは目に見えてるから、人間の血にだけは手出ししないようにしてた。
私はせいぜい、恋人のものを一滴舐めるだけ。
何度も噛みついてしまってごめんなさいね」
僕を射精に導いたキキは、口を拭いながら枕の高さまで戻ってきた。
「本当は、飲んでみたいんでしょう?」
「そうね...。
でも、私は生きている人間から直接吸った経験はないからなぁ。
その魅力がどれくらいのものなのかは、私は知らない。
憧れるけどね」
「僕を...もっと美味しくしてから、食べるってどういう意味なんだ?」
「愛する恋人っていうのを、食べてみたかったんだ」
「恋人?」
「食べるって言い方はおかしいな...。
恋人の生き血を飲んでみたかったんだ。
老いさらばえて死を迎えるのを待つことに、ウンザリしていた」
心など摩耗してしまったとキキは言うけれど、本当は恋人を亡くし続けて悲しくて仕方がないんだ。
キキの言う「ウンザリ」とは、そういう意味に僕は捉えていた。
「一度だけでいい。
自分の手で恋人の命を奪ってみたかった。
若く、美しい姿でいるうちに」
キキの指が僕の顎を捕らえた。
顎の骨が砕けそうな力加減ではなく、ふわりとしたタッチで。
キキの中に残る優しい気持ちのあらわれなんだ、きっと。
内出血で青黒い痣が浮かびかけた両手首をさすりながら、僕はそう思った。
「チャンミンを惚れさせ、服従させ、怯えた視線を浴びながら、
じわじわと少しずつ血を抜いてやろうと思った。
残忍でしょ?」
キキが言うと、全然残忍じゃなかった。
僕はごくりと喉を鳴らす。
恐怖じゃない。
キキの小さな頭が僕の肩にもたせかけられ、その軽さがキキの命の重さなんだと想像して哀しくなる。
命を節約しながら生きているキキは、僕らから見ると生きているとは言えないくらい薄い命なんだ。
「でも、途中で気が変わった。
あたしは、チャンミンに惚れた。
生かしておきたい」
僕もキキに惚れている。
命がけで。
近くまで『調達』しに来るというキキと、僕は街中で待ち合わせることもあった。
キキの廃工場には電話がないから、キキから誘いの電話がかかってくるのを僕は下宿先で待つ日々だった。
僕は毎日でも交わりたかった。
がむしゃらだった僕のセックスも、コントロールする術を身につけてきていた。
「チャンミンもうまくなったわね」とキキに褒められると、僕は赤面してしまい、そんな僕の様子をキキは笑った。
キキのX5のラゲッジスペースには大きなクーラーボックスとスーツケースが積み込まれていた。
X5はホテルの地下駐車場のスロープをゆっくりと下りていく。
この日のキキは、ノースリーブのサマーニットとタイトスカートというシックないでだちで、係員にキーを預けたキキは僕にもたれるようにして腰を抱かれる。
エレベータの中で、股間をつかまれた。
デニムパンツの上からでもくっきりと僕のものが浮かび上がるくらい、高ぶっていた。
部屋に入るなり、互いの唾液でどろどろになるような深いキスを交わす。
「あっ...あ...あっ...」
マットレスについた僕の両腕の間に、スカートを太ももまでまくれ上がったキキの白い太ももに、僕は欲情で沸騰しそうになる。
キキの両膝を割ろうとすると、「触るな」と鋭い声が飛んできた。
上からぶら下がる僕のペニスを喉をのけぞりながら咥え、破裂音を発せながらしゃぶった。
ペニスの先をしごきながら、僕の睾丸を口いっぱいにふくんだり、柔く吸ったりする。
イキそうになると、ぴしゃりと僕の尻は叩かれる。
僕の両ももの間から抜け出たキキは、傍らに膝まづいて僕の両尻の間に顔を埋めた。
「やっ...何する...!」
身をひるがえそうとしたら、腰を凄まじい力で押さえ込まれる。
「汚い...からっ」
僕の肛門をキキの舌先がちろちろと遊んで、これまで経験したことのない快感がぞくぞくと貫いた。
「ひぃっ...うっ...」
なんだ、これ。
「いい子だから、じっとしていて...」
気付けば僕は、うつぶせになって尻を高く突き出した姿勢でいた。
快感を逃そうとシーツを握りしめる。
ホテルのシーツはパリッと糊がきいていた。
「ここに挿れてやろうか?」
「え?」
僕の尻にたっぷりとローションを垂らした。
「やっ...そこは」
「チャンミン...こんなに濡らして...いやらしい子」
キキの指摘通り、僕の先端からは先走りがぽたぽたと滴り落ちていた。
「それはっ...あっ...あぁぁ...!」
キキの細い指がつぷっと僕の中に侵入してゆき、切な過ぎる痺れに僕は肩からベッドに倒れこんだ。
腰が砕けるような恍惚の世界を知ってしまったら、僕はキキにひれ伏すしかないじゃないか。
僕らの蜜の池は水深100メートルまで深くなり、黄金色の水面は遠すぎてもう見えない。
浮上したくない。
水面から顔を出したら、モノクロの世界が広がっているだけなのだから。
幸せなのに不幸せな思いが僕を混乱させる。
(つづく)
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