チャンミンとの試験勉強は、楽しかった。
進級すれば受講すべき講義も減り、研究室でのゼミや卒論研究でお互い忙しくなる。
俺をなだめすかしながら、試験勉強をする機会も減るんだな。
惚れた腫れたにうつつを抜かす生活から、卒業すべき時期を俺たちは迎えようとしていた。
・
試験最終日、ファミレスのテーブルをチャンミンと囲んでいた。
「...で、チャンミンはどこにするんだ?」
俺の場合、希望研究室はとっくに決まっていた。
用紙には、第2希望まで記入する欄がある。
第1希望が定員オーバーになった際は、第2希望に回されることもあるらしい。
俺の希望するところは、基礎研究寄りで派手な実験をすることは少なく、ひたすら文献を読み漁る地味な研究室だ。
バイトやサークルの時間も大事だった故の選択だった。
応用研究を行うところの人気は高いそうだから、第1希望で決まるだろう。
一方、チャンミンの用紙は真っ白だった。
「おい...、まだ決まってないのか?」
「うん...」
「提出期限は迫ってるんだぞ?」
チャンミンの料理は手をつけられないまま、冷めていく。
「分かってますって...。
...S君と同じとこにしようかな...」
「アホか!」
俺は声を荒げていた。
「いい加減にそういうところ、直せよ!
自分の将来を決める時だろう?
恋愛を差しはさむなよ!」
チャンミンに対して、腹が立った。
「...ユノ...」
目を見開いて固まるチャンミンに気付いて、俺は一息ついて苛立ちを落ち着かせる。
「チャンミン...。
男に合わせるんじゃなくて、自分の意志を大事にしろ。」
「そんな風だから、彼らは振り向いてくれないんだ」とは言えない。
「だって...」
「お前は、何をしたいんだ?」
「...わからないんだ」
チャンミンはうつむいて、ぽつりとつぶやく。
俺はチャンミンが話しやすいよう、頷くだけにとどめた。
「僕ったら馬鹿だよ。
4年間、一体何をしてきたんだろ。
恋にうつつを抜かしてばかりで、気付けば、何がしたかったのかも見失ってました」
「その通りじゃないか」なんて口が裂けても、チャンミンに言えない。
真面目で勉強ができるくせに、肝心な目標は定まっていなかったチャンミン。
『で、ユノはどうしたいのです?』と問うくせに、チャンミン自身があやふやでどうする?
チャンミンの4年間とは、恋愛がらみのことで消費するだけのものだったんじゃないかと、呆れたこともあった。
けれど、チャンミンに呆れる俺は何様なんだ。
俺の方こそ、性欲に任せて女の子をとっかえひっかえ、数をこなすだけの馬鹿野郎だ。
俺の4年間は、ひたすらチャンミンの側に居続けた事実が、全てだ。
十分じゃないか。
余白にびっしりと手書きの文字が並んだ、執念すら感じられたドイツ語の辞書。
あれを目にした瞬間、「お、こいつやるな!」って興味をもった。
ぞっとするほど怖い目をするくせに、言動はふわふわと危なっかしかった。
ちゃんとチャンミンがついてきているか、俺は何度もふりかえった。
そんな4年間だった。
・
「提出まで一週間あるからさ。
いくらでも相談にのるよ」
うつむくチャンミンの顔を覗き込んで、俺は彼の頭に手を置いた。
「初めからやりたいことが決まっている奴は少数派だと思う。
何かしらやっているうちに、自分に向いてることが分かってくるんだって。
な?」
チャンミンの目尻に、涙が今にもこぼれ落ちそうに溜まっていた。
指を伸ばして、チャンミンの涙を拭ってあげたかった。
触れかけた指を、俺は引っ込めた。
第2ボタンまで開けたシャツの衿から、細くて長い首が伸びている。
今触れたら、ここがファミレスだってことを忘れて、チャンミンの頬を包んでキスしてしまいそうだった。
代わりにチャンミンの肩を叩いて言う。
「食わないのなら、俺が貰うぞ?」
「ああっ!
それは困ります!」
真っ赤な目をしたチャンミン。
男相手におかしな心理だが、チャンミンを守ってやらないと、と思った。
惚れやすく危なっかしいチャンミン。
俺が側にいてやれる間だけでも。
俺の部屋で酒でも飲むかと意見が一致して、俺たちはファミレスを出た。
アルコール類を大量に買い込んだコンビニの袋が重かった。
「...で、どうだったんだ?」
チャンミンがなかなか話題にしないから、しびれを切らした俺の方から尋ねた。
先週のうちに、チャンミンはSと初デートを済ませていたはずだ。
いつ報告するのかと、気になって仕方がなかった。
「んー...」
歯切れが悪いチャンミン。
「何かやらかしたのか?」
「全然。
ユノに言われたように、おとなしくしていました」
「楽しかったか?」
俺は立ち止まって、後ろを歩くチャンミンをふり返った。
チャンミンは俺の問いに答えず、何か言いたそうな目で俺を見つめている。
「どうした?」
「...ねえ、ユノ」
「ん?」
「何回目のデートで、最後までいくものですか?
ほら、僕ってば付き合った経験がないでしょ。
わからないんです」
「Sに何かされたのか?」
俺は引き返して、チャンミンの腕をつかんだ。
「されてません...けど」
前髪が冷たい夜風に流され、秀でた額が露わになった。
「痛いかな」
「は?」
「ユノ、詳しいでしょ?
そっち方面は?」
「はあ...」
俺は膝に手をついて、深いため息をついた。
突然、何を言い出すかと思ったら。
「あのな、俺に聞いてどうする?
俺は男とヤッたことはないんだ。
知り合いにそっち系の奴はいないのか?
そいつに訊けよ」
「それができないから、ユノに聞いてるんだって」
「聞けないって、どうして?」
「そういうコミュニティに参加していませんし、
学校じゃ僕は気持ち悪がられてるし。
ユノだけなんです。
普通にしてくれてる男子は。」
「チャンミン...」
立ち尽くすチチャンミンのなで肩を抱いた。
手の平に感じる肩の弾力に、そっか、チャンミンは男なんだと実感する。
柔らかさとは無縁の、骨ばった固い身体。
「俺に訊かれてもなぁ...経験がないからなぁ...。
よし。
リサーチしてきてやるよ。
それでいいだろ?」
その瞬間、俺はハッとした。
身体が一気に冷えた。
そうだった。
その気のある男同士がくっつけば、そういう展開になるのが普通だ。
意識が遠のくほどの胸の痛みを感じた。
いつまでも誰のものにならなかったチャンミンに、俺は長い間、安心しきっていた。
玉砕するチャンミンを慰めるそばで、安堵のため息をついていたのだ。
「Sは経験豊富だから、Sに任せればいいことだ」
心と裏腹なことを言った。
「ユノ...」
「ん?」
コートの袖を引っ張られた。
「ユノ...。
お願いがあるんだけど」
「今度は何だよ?」
「僕のバージンをもらってくれないかな?」
「え?」
俺はフリーズした。
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