【20】添い寝屋

 

 

「...う...ん...」

 

ユノを後ろ抱きしているうちに、いつの間にか眠り込んでしまっていたようだ。

 

ユノのお腹の前に組んだ手が、ぬるりと濡れている。

 

「?」

 

ユノの首筋に埋めた頬が濡れていることに気付き、ちろりと舌で味わってみたところ、それが汗だと知った。

 

頭を起こした拍子にユノの肩にぽたりと落ちた水滴は、僕の前髪から滴ったものだった。

 

(...汗?)

 

額を拭った手の甲の濡れ具合に、驚いた。

 

僕の全身がぐっしょりと濡れていた。

 

ユノの身体に手を滑らせてみたところ、彼の肌はからりと乾いている。

 

全身が水浸しになるほど汗をかいているのは、僕の方だった。

 

ここ数年来、汗をかくことはほぼなかった。

 

冷え冷えと乾いていく一方で、日課のトレーニング中もタオルいらずだ。

 

半身浴をしてみても、かえって冷えを実感するだけで、自家中毒したみたいに気分が悪くなった。

 

汗をかいてすっきりしたいのに、体内に老廃物が溜まっていく感覚。

 

僕の身体は、そんな瘧(おこり)ごと氷結したもので出来ている。

 

そんな僕が、汗をかいている!

 

全身を点検してみたくて半身を起こしたら、胸の窪みに溜まっていた汗がさーっと動いてシーツを濡らした。

 

尋常じゃない汗の量に、唖然としていた時。

 

「...チャンミン」

 

掠れた呼び声に、横向きに横たわるユノの肩に手をかけ、こちらに向けた。

 

「起きた?」

 

「...ああ」

 

ユノは僕を眩しいものでもあるかのように目を細めて、口角だけを上げた笑顔を見せた。

 

濡れ髪のままでいたから、くしゃりと乱れて乾いた髪が、完璧に端正だったユノを無防備に見せていた。

 

ユノのプライベートに居合わせているみたいな気分。

 

ユノの額と耳下に手を当てて、熱っぽさを確かめた(自分の汗に気をとられていたのだ)

 

「よかった。

ちょっとはマシになったね」

 

「...チャンミンは大胆だなぁ。

俺たち、真っ裸じゃないか。

まさか...寝ている間に、俺を襲った?」

 

「襲う訳ないだろ!」

 

軽口をたたけるほど回復したんだと嬉しかったけど、堪えていたもので堤防が決壊しそうだった。

 

「お前、平気なのか?

汗をかいている...」

 

ユノの男らしい指が、こめかみから顎に向けてたどって、ぞくっとした僕は目をつむってしまった。

 

病み上がりのユノは気だるげで、とろんとした眼が色っぽかった。

 

細面の頬が、より削げたように見えた。

 

でも、目の下の隈がいくぶん薄くなったようだし、さっき触れた額も、数時間前よりは温度を下げていた。

 

横たわるユノの傍らで、正座した両膝に置いた僕の拳に力がこもる。

 

「...ユノの馬鹿」

 

「俺のどこが馬鹿なんだ?」

 

「心配したんだからね!

ユノが死んじゃうかと思って...。

びっくりしたんだから!

めちゃめちゃ焦ったんだよ?

僕...僕...僕はっ...。

助けなくちゃって...っ...くっ...くっ...」

 

「おいおい、チャンミン」

 

「とにかくね!

一生懸命だったんだから!

...うっく...ひっく...っく...っく...」

 

「分かった、分かったから」

 

ユノの両腕にかっさわれた僕は、彼の胸に着地した。

 

「ありがとう。

チャンミンに包まれて...気持ちよかったよ」

 

ずるずると鼻をすする僕の背を、ユノは擦ってくれる。

 

熱くて頼もしいユノの手。

 

「汗をかいてるね?

お前の方がキツイんじゃないのか?」

 

ぴったりとくっつけた耳に直接伝わる、ユノの力強い鼓動と低い声が心地よかった。

 

「うん...キツイ、キツイよぉ」

 

 


 

 

僕は、頼りない照明だけの薄暗い廊下を歩いていた。

 

今自分がどこにいるのか見失ってしまうような、迷路のようなルートを通って地上を目指す。

 

息苦しさを覚える低い天井と、不気味な染みが浮かぶコンクリート製の壁に囲まれたそこを、右に左にと何度も曲がり、階段を上って下って上ってエレベータ―に乗って、この間4つの扉を開けた末に外界にたどり着く。

 

朝日の眩しさに目を細め、繁華街のうら寂しい通りを、散らばるゴミを避けながら僕は歩く。

 

夜の間に雨が降っていたのか、濡れた路面を僕の革靴が不規則に引きずる音を立てている。

 

僕はフラフラだった。

 

昨夜は羽目を外し過ぎた。

 

今日は一日腕まくりをしないようにしよう、と手首についた赤黒い痣をさすった。

 

ウエストからはみ出したワイシャツの裾をたくし込む。

 

駅へ向かう勤め人風の者たちとは、逆方向に僕は歩いていた。

 

すれ違う彼らが、僕を見て何を思っているかは、手に取るように分かる。

 

乱れた髪、うつろに呆けた顔...きっと首筋には紅い鬱血痕があるはず...しわくちゃなスーツでやや前かがみで歩く男。

 

しかもこの辺りは、供するものが酒だけではない店やラブホテルなどが多い一帯だ。

 

彼らの想像通りなんだけどね。

 

どう思われても構わない程、僕は馬鹿になっていたし、地上に出ることなくあそこにとどまり続けたいくらいだったのだ。

 

帰宅したら風呂に入って着替えをして...それから、朝食を摂る間はないから、先にコンビニエンスストアで何かを買っておこうか。

 

段取りを考えながら、自宅近くの店に足を向ける。

 

全身の節々が軋むように痛むし、叫び過ぎたせいで喉が痛い。

 

(昨夜は、無茶し過ぎた...)

 

今日はもう出社するのは諦めて、布団にもぐりこんで寝ていようか...いや...眠っていられるものか。

 

玄人向けのアレを使って慰めようか...それとも、店に戻ろうか。

 

スーツのポケットに入れたリモコンのスイッチを入れた。

 

「...っん」

 

痺れがずんっと腰を襲い、その衝撃に膝の力が抜けそうになるのを、堪えた。

 

熟れきったあそこは、使い過ぎて熱を帯び麻痺していても当然なのに、あいも変わらず敏感だった。

 

男だからあり得ないことだが、女の人みたいに湧き出すもので潤っている気もした。

 

そう...僕は、酒池肉林ワールドにハマっていたのだ。

 

今では想像もつかないが、ストッパーの外れた当時の僕は、性に狂い、ただそれだけの為に存在していた。

 

当時交際していた彼女との記念日となるはずのその夜に(プロポーズだかクリスマスだか...忘れた)、僕は3人の男に羽交い絞めにされ、文字通りさらわれて運ばれた先が、スワッピングクラブだった。

 

そのやり方は相当強引だっただけど、素質があると見込まれてスカウトされたようなもの。

 

僕はたったひと晩で、その才能(?)を発揮して、この手の世界にのめり込んでしまったのだ。

 

寝ても覚めても僕の頭を占めるのは『そのこと』ばかりだった。

 

仕事が手につかなかくなった。

 

無理をし過ぎて身体が辛いから、夜だけじゃ足りず自身の指や道具に頼るしかなくても、行為に浸りきりたいからって、仕事を休む気でいるくらいだ。

 

狂っていた。

 

交際していた彼女とどうなったかって?

 

彼女を抱けなくなって当然でしょう。

 

僕は挿れる側から挿れられる側に転換しただなんて、言えるわけない。

 

曖昧ににごさず、「君のことを好きじゃなくなった」と、冷酷に言い放って彼女を切り捨てたのだ。

 

そういえば昨夜は夕飯を摂っていなかったなぁ、と、腹が膨れれば事足りると、レジかごに品定めもせずに食べ物や飲み物を放り込んでいった。

 

僕の中で、小さな機械が振動し続けている。

 

自宅までの道のり、呻き声をこらえ耐えに耐えた末、玄関ドアを閉めた瞬間、最強モードする...それから、それから...。

 

その時が待ち遠しくて、公共料金の支払いに時間がかかっている前の客に、僕は舌打ちをいた。

 

イライラを反らせようと入り口ドアに目を向けた時、入店してきた者の姿に僕は、はっと息をのんだ。

 

その者も僕に気付いて、目を見開き頬をこわばらせた。

 

彼女だった。

 

僕が捨てた恋人。

 

引き返すかと思ったら、野菜ジュースだけを取って、レジ待ちする僕の後ろについた(そういえば彼女は、料理上手で健康管理に気を配る人だった)

 

知らんぷりを貫きたくても、「久しぶり」と声をかけられたら返答するしかない。

 

「...久しぶり。

元気?」

 

元気も何もないだろう、無神経な言葉選びもこれまでの僕にはあり得ないことだった。

 

「ええ。

あなたは...そうでもなさそうね?」

 

気まずくて、痛痒さを覚えていた首筋をぽりぽりと掻いた。

 

僕の手の動きにつられて彼女の視線はそこに固定され、眉をひそめた。

 

目で確かめたわけじゃないけれど、派手に付いたキスマークに咎める表情になってしまって当然だ。

 

「...不幸になればいいのに」

 

ぽそりとつぶやいた彼女の言葉に、僕は「え?」と聞き返した。

 

「なんて、冷たい人なのかしら。

最低。

それに...堕ちたものね」

 

「......」

 

「...不潔。

汚らしい」

 

彼女の顔が憎々し気に歪んだ。

 

蔑む視線を浴びても、ぞっと心が冷える思いすらしなかった。

 

僕の現在を言い当てた彼女に、腹も立たなかった。

 

僕の思考は阿呆に成り下がっていたのだ。

 

彼女の側から一刻も早く離れたくて、レジかごをその場に残し僕は店を出た。

 

この間、僕の中では、小さな卵型のものがじじじと震えたままだった。

 

そして僕は、会社を辞めた。

 

 

(つづく)

 

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