(3)セーラー服と運命の君

 

 

 

兄が帰ってきた。

 

腫れぼったい瞼をしているからどうせ、ユノさんと喧嘩でもしたのだろう。

 

学校を卒業してすぐ、兄は「ユノと一緒に暮らすから」と言って家を出た。

 

正確に言うと、ひと足先に実家を出ていたユノさんの部屋へ、兄は転がり込んだのだ。

 

兄は思い詰めたら猪突猛進、想い人のそばに居たい一心の人なのだ。

 

兄の部屋はとっくに物置部屋と化してしまった為、仕方なく私の部屋に布団を敷かせてやった。

 

「××...」

 

「んー?」

 

照明を消して眠りにつく前、兄がぽつりとつぶやいた。

 

「...恋って辛いね」

 

「...そうだね」

 

ちょうど不倫に近い恋を終わらせたばかりだったから、同意する私の言葉は切実だ。

 

「××も辛いんだ?」

 

「辛いよ...」

 

兄は、「恋って辛いねぇ」と繰り返した。

 

「兄ちゃん。

電話鳴ってるよ?

いいの?」

 

兄の枕元に置いたスマホが振動している。

 

「いいんだ。

無視していればいいんだ」

 

それならバイブレーションも切っておけよ、と思ったけど、黙っておいた。

 

「兄ちゃんは...ユノさんのこと、好き?」

 

「...好きだよ」

 

「どれくらい?」

 

「...運命の人だと信じている」

 

あらら。

 

「それなら、電話を放っておいていいの?」

 

スマホは振動し続けている。

 

「...そのうち切れるよ」

 

切れて欲しくなんかないくせに。

 

「意地張っていないで、出たら?」

 

「意地なんか...張ってない!」

 

子供みたいにムキになってる兄を見て、ユノさんも大変だなぁ、と同情した。

 

 

 

 

兄には内緒にしていたけれど、昼間、ユノさんが我が家に来ていたのだ。

 

「××ちゃん、チャンミン来てるよね?」

 

持参したケーキの箱を私に手渡しながら、そう尋ねた(ここのケーキは母のお気に入りなのだ。さすがだ)

 

玄関ドアの向こうに立つユノさんは、相変わらずのいい男っぷりだった。

 

実家に帰って来たものの手持ち無沙汰な兄は、出かけていて留守だった(恐らく、フィギュア作りの道具でも見に行ったのだ)

 

「来てますよ。

ユノさん、兄を連れて帰って下さい。

腹ペコの犬みたいにウロウロしてて、家族みんな落ち着かないんです」

 

「迷惑かけてゴメン。

無理やり引っ張り出したら、大騒動になるからなぁ...。

あいつのこと...分かるだろ?」

 

あらら。

 

『あいつ』の言い方に、愛がこもっていた。

「...さすがユノさん、よくご存じで。

兄と...何かあったんですか?」

 

人の恋愛に首を突っ込むようなことはしたくなかったけど、ユノさんの元を飛び出してくるなんて初めてで、よっぽど酷い喧嘩をしたのでは?と気になったのだ。

 

苦笑したユノさんは、親指でドアの外を指し、私は頷いてサンダルをつっかけて表へ出た。

 

昼下がりの住宅街を、兄の想い人と並んで歩いた。

 

「...兄のどこがいいんですか?」

 

変わり者の兄が、ユノさんを惹きつけているワケってなんだろう?

 

兄がユノさんに夢中になっているワケは分かっていたけど、ユノさんの方はどうなんだろう?

 

「あいつと初めて会った時...稲妻が落ちたんだ。

...運命だったんだろうね」

 

あらら。

 

無言になってしまった私に、ユノさんはくすっと笑った。

 

「転勤が決まったんだ」

 

「え!

どこへ?」

 

転勤先の地名を聞いて、「遠いですね」とつぶやくしかない。

 

「兄は?」

 

「あいつにも仕事があるからね。

好きな業界に入れて、昇進したばかりで...活き活きとしてるよ。

遠距離になってしまうけど、長期休暇の時に会えるんだからって、説得したんだけど...」

 

「兄がどんな人がご存知でしょう?」

 

「ああ」

 

「言うこときかないと思いますよ」

 

「その通り」

 

「ユノさん、兄をよろしくお願いします」

 

頭を下げたら、ユノさんは「できた妹をもって、チャンミンは幸せな兄貴だな」と言って笑った。

 

兄よ。

 

あなたは幸せ者だ。

 

こんなに愛されて。

 

運命の人だって、ユノさん言ってるよ。

 

ユノさんの元に早く帰りなさい。

 

 

 

 

「うん...うん...ゆの...ごめんね」

 

パジャマ姿の兄は、鼻をぐずぐずさせている。

 

ユノさんからの着信を無視していられたのも、わずか1分くらい。

 

(ユノさんからの電話をずっと待っていたんだから、それも当然か)

 

通話を切った兄は、突然「帰る」と宣言して、着がえだした。

 

「今から!?

もう遅いよ?

終電も行った後だよ?」

 

そう止めたけど、こうと決めた兄は誰も止められない。

 

ユノさんと仲直りをしたのだ。

 

一刻も早く会いたくて仕方がないのだ、その気持ちはよく分かる。

 

「歩いて帰る」と言い張る兄をどうしようもできなくて、仕方なくユノさんに「迎えに来てください」と連絡を入れた。

 

(ユノさんの電話番号を知っている妹に、本気でヤキモチを妬く兄。どうかしてる)

 

ユノさんは洗いっぱなしの髪にスウェットの上下にコートを引っかけただけの恰好でやって来た。

 

なんだ、ユノさんも兄に会いたくて仕方がなかったのね。

 

「じゃあね」とふにゃけた顔で、寝ぼけまなこの家族に手を振って、幸せ者の兄はユノさんに伴われて帰っていった。

 

そして一か月後、ユノさんは転勤先へと引っ越してゆき、兄もユノさんを追ったのだ。

 

 

 


 

 

 

鏡に映る自分の姿は、自分じゃないみたいだ。

 

長いスカートの裾から、足を伸ばして真っ白なパンプスの先を出してみる。

 

ホテルの控室、ふかふかのカーペット、父はタバコを吸いに外へ出て行き、着物姿の母は挨拶に顔を出す親戚たちの応対をしている。

 

ノックの音の後、名前を呼ばれて振り向くと、スーツ姿の兄とユノさんがいた。

 

あらら。

 

二人とも淡い色味のスーツで、このまま並んでバージンロードを歩いてもおかしくないくらい、お似合いだった。

 

「これ、僕とユノからの結婚祝い」と持ちかさばるものを渡された。

 

「...ちょっと!

彼はこんなにブサイクじゃないわよ!」

 

兄から贈られたのは、私と夫となる人を模したフィギュアだった。

 

「××...綺麗...」

 

兄は鼻をすんすんさせていて、「お前が泣いてどうするんだよ」とユノさんに背中を突かれている。

 

ユノさんといると、兄は子供っぽく甘えん坊になってしまうようだ。

 

こんな風だけど、子供の頃は妹思いの優しく頼もしい兄だったのだ。

 

ユノさんが10年近く兄といるのは、端正なルックスだけじゃなく、兄の情の深さに惹かれ続けているからだと思う。

 

真顔のユノさんが、頷いて私に合図を送ってきた。

 

私は兄たちにお茶を勧めにきた母に目配せした。

 

母ははっとして、喫煙から戻ってきたばかりの父の腕を引っ張って、部屋を出ていった。

 

「私もちょっと...」と立ち上がった私を、ユノさんは止めた。

 

「××ちゃんはここにいなきゃ。

居て欲しいんだ。

ウエディングドレスでウロウロしてたら駄目だよ」

 

「...でも」

 

きょとんとしている兄とドアを交互に見ながら、私は激しく迷ったけれど、ユノさんの言う通りだなと、すとんと椅子に腰を戻した。

 

天井のスピーカーからピアノ曲がごく控え目な音量で流れている。

 

「ユノ...××も...どうしたの?」

 

無言の私と、神妙な面持ちになったユノさんを、兄は交互に見る。

 

仕方がない、彼らの証人となろうではないか。

 

突如ひざまずいたユノさんに、兄はあっけにとられている。

 

「チャンミン」

 

ユノさんは兄の手をとって、その甲に唇を押し当てた。

 

「俺と結婚してください」

 

「......」

 

フリーズした兄。

 

ぽーっと立ち尽くす兄。

 

私は固唾を飲んで、兄の様子を見守った。

 

ユノさんも、天使の眼差しで兄を見守っている。

 

兄の頭は、ユノさんの言葉の意味と、それを受け取った自分の感情の処理でフル回転なんだと思う。

 

ひざまずいたユノさんを見つめる兄の焦点が揺らいできた。

 

そして、ユノさんを虜にした真ん丸の目からぽろぽろと、透明な雫がこぼれ落ちる。

 

「...っく...っく...ユノの馬鹿ぁ」

 

(馬鹿!?)

 

「...待ちくたびれましたよ」

 

「待たせてゴメン」

 

「7年待ちましたよ」

 

「俺と一緒になって欲しい。

チャンミンの返事が聞きたい、今すぐ」

 

「『はい』に決まってるでしょう!

はい!

はい!

はい!!」

 

私はユノさんに、ドレッサー前に置かれた物を視線で指し示した。

 

私のブーケと同じお花で編んだ花冠。

 

ユノさんから計画の協力を頼まれた時、これを思いついて用意しておいたのだ。

 

兄は100%どころか120%、頷くって分かっていたから。

 

「未来の花嫁みたいだな」

 

花冠に添えたユノさんの指先から、愛情が溢れ出る。

 

「...っく...うっ...花嫁って...何ですか、それ?」

 

悔しいけれど、花冠をかぶった兄は、花嫁の私より綺麗だった。

 

 

 

 

 

ユノさんが、家出した兄を迎えにきた日のことを思い出していた。

 

昼さがりの住宅街を、ユノさんと肩を並べて歩いた数年前のことだ。

 

「セーラー服を着た兄...どうでしたか?」

 

ずっと気になっていたことを、ユノさんに尋ねてみたのだ。

 

ずっと知りたくて、でも怖くて質問できなかった謎だ。

 

兄に貸したセーラー服。

 

兄はユノさんの前でセーラー服姿を披露したんだって、確信していたから。

 

兄ならあり得る。

 

兄はいつだって、兄らしく生きる人だから。

 

突然の私の質問に、ユノさんはぽかんとしていたけれど、「あーはっはっは!」と大声で笑いだした。

 

こんな眩しい笑顔を見せられたら...兄だったらイチコロだな、と思った。

 

「可愛かったよ。

すげぇ可愛かった」

 

あらら。

 

「××ちゃん。

セーラー服を貸してくれてありがとう。

あれが決定的だった」

 

セーラー服の何が「決定的」だったのか、私は首を傾げるしかないけど、二人だけの秘密なんだよね。

 

あの時、いつか二人にあのセーラー服を贈ろうと、心に決めたのだった。

 

妹からの洒落っ気たっぷりな贈り物。

 

セーラー服をどう使うのかは、彼らにお任せしましょう。

 

 

 

(おしまい)

 

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