(長い一日だった)
どっと疲れが出たチャンミン。
いざ薬局へと勇んで出かけようとしたら、ケンタたちに見つかってしまった。
「これでお菓子を買ってあげたら、おとなしくなるから」ってヒトミさんから駄賃をもらってしまったチャンミン。
彼らを連れて一緒に出掛ける羽目になってしまった。
目を離すとどこかへ行ってしまうケンタたちを見張りながらの、大人な買い物は困難極まった。
(「アレ」ひとつ買うのに、こんなに苦労するとは。
紙袋に入った「アレ」が気になって仕方がないケンタ君たちの気を反らせるのに、こんなに冷汗をかくとは)
「ミミさん」
チャンミンは、ドアひとつ隔てた向こうへ声をかける。
「一緒にお風呂に入っていいですか?」
シャワーの音で聞こえないのか、返事はない。
チャンミンは脱衣所に体育座りをしていた。
大家族の入浴タイムは、分刻みだ。
順番に次々と入らないと、真夜中になってしまう。
「僕は、ミミさんの次に入ります」
と、ミミとの関係を隠す必要がなくなったチャンミンは、大胆になっていた。
曇りガラスの戸の向こうに、肌色がちらちらしている。
チャンミンは、ごくりと唾を飲み込む。
(この扉の向こうに。
ミミさんの「裸体」が!)
「一緒に入ってもいいでしょう?
ミミさん、ずるいです。
僕は全てを見せたんですよ?」
(ミミさんの次の台詞は、分かりますよ。
『今夜、見せてあげるから今は我慢して!』でしょ?
ぐふふふ)
シャワーの音が止み、湯船にジャボンと浸かる音がした。
(お!
『せっかくだから、チャンミンも一緒に入る?』
ですか?)
「今からそっちへ行ってもいいですか?
公認の仲になったことですし」
パシャパシャと湯が跳ねる音がする。
「もう行っちゃいますよー」
チャンミンは、急いでTシャツを脱ぐ。
湯船から上がるザバっという水音がした。
(おー!)
曇りガラスに映る肌色が、近づいてきた。
チャンミンの胸は高まる。
ガラガラっとドアが開く。
「おらぁ!」
「!」
「さっきから何ごちゃごちゃ言ってるんだ!」
「!!!!」
「チャンミン!
そこにいたんだ」
脱衣所を覗いたのはトレーナー姿のミミ。
「今からみんなで、ドーナツを食べるんだけど?」
浴室で怖い顔をしたゲンタと、チャンミンを探しにきたミミとを交互に見た後、チャンミンはうわっと膝に顔を伏せてしまった。
「やだ...チャンミン、
なに裸になってるの?」
「どうしてミミさんは、そこにいるんですか!」
「チャンミンを呼びにきたのよ。
早いもの勝ちだから、好きな味を選んだ方がいいよって」
「どうしてミミさんは、お風呂にいないんですか!?」
「友達から電話がかかってきちゃったから、おじいちゃんに先に入ってもらったのよ」
(僕はゲンタさん相手に、あんなこと話してたんですか?
穴があったら入りたいです)
「うっうっうっ...」
「やだ...チャンミン、
泣いてるの?」
就寝前のおやつタイム。
居間でTVを観ながら、家族仲良くドーナツをかじっていた。
チャンミンは、ミミの隣に陣取って満面の笑顔だった。
「ミミさん、まだ食べますか?
太りますよ」
「うるさいなぁ」
「ミミさんが太っちゃっても、僕は全然OKですけどね。
抱き心地がよくなります」
「チャンミン!」
チャンミン発言に、一斉に大人たちの注目が集まる。
(調子に乗って!)
うんざりしたミミが台所に移動すると、チャンミンも後をついていく。
「ったく、金魚のフンみたいな奴だ」
ゲンタは、ずずずっとお茶をすすって言う。
周囲の浮かれた雰囲気にのって、子供たちの興奮は絶好調だった。
カンタは、金打ちの練習で留守だ。
「おじちゃんはねー、ミミちゃんのお風呂を『のぞきみ』しようとしたんだよー」
「おじちゃん、へんたーい」
「あれはっ!
こほん...ちょっとした...手違いです」
両耳を真っ赤にさせたチャンミン。
突然、ソウタがチャンミンの背中に、飛びついてきた。
「おじちゃんと一緒に寝る」
「えっ?」
(マジかー)
「いけません!
お兄さんは、明日は早いの」
叱りつけるヒトミの言う通り、明日の御旅(おたび)行列は早朝5時出発だ。
着物の着付けもあるので、遅くとも3時半には起床しなくてはならない。
ケンタたちは心底がっかりした顔をしている。
(今夜は大事な『任務』があるんです。
もう邪魔はされませんよ)
「“お兄さん”とプロレスごっこしようか?」
チャンミンはとっさに提案してしまった。
「わーい!」
「その代わり、”お兄さん”は一緒に寝られないからな」
ケンタもチャンミンの脚にしがみつく。
チャンミンがモンスター二人を連れて居間を出ていくのを見送ると、セイコはしみじみと言う。
「チャンミン君は、面白い子だねぇ」
「普段は静かな子なんだけど、ここに来て楽しんでるみたいだよ」
(あんなに笑ってるチャンミンを見るのは、初めてかもしれない。
無邪気過ぎて、さらに年下に見えてしまう)
「そろそろ、寝るね」
ミミはすくっと立ち上がると、洗面所へ向かったのだった。
一方、広間で子供たちととっくみあいの最中のチャンミン。
「痛い痛い!
髪の毛をつかむのは、反則だよ!」
腰にタックルしてきたソウタを、突き飛ばさないよう抱きかかえて、畳の上に倒す。
開いたふすまの隙間から、通り過ぎるミミが見えた。
(お!
ミミさん!)
「ちょっと待ってろよ。
“お兄さん”は、トイレに行ってくるから」
(僕は、ミミさんに話があるんだった)
ミミを追いかけようとしたら、
「あでぇっ!」
チャンミンは派手に転んでしまった。
畳に寝っ転がったソウタが、チャンミンの足首をつかんだからだ。
チャンミンは顎をさすりながら、うつぶせで倒れた身体を起こした。
「その技も反則だって!」
「おりゃー」
ケンタは飛びかかってチャンミンを突き倒すと、チャンミンの上に馬乗りになった。
「やめろー!」
チャンミンはいい加減うんざりしてきた。
プロレスごっこをしようと誘ったことを、深く後悔していた。
(ミミさん...助けてください。
この子らは、僕をおもちゃにするんです)
ミミは洗面所の鏡に映る顔を見つめていた。
(20代に...見えなくもない。
笑うと目尻にしわは寄っちゃうけど、優しそうに見えるよね。
ほうれい線はないし)
顔を左右に向けて、ためつすがめつ顔をチェックする。
(やだな。
どう見ても、チャンミンと同年代には見えない)
パジャマのパンツをめくって、お腹を見る。
(そんなにお腹は出ていないけど...)
ぐっとお腹を引っ込める。
昨日今日と、3度目撃したチャンミンの裸を思い出す。
(やだな。
チャンミンはあんなにいい身体をしているのに、それに引き換え私ときたら...。
彼とは釣り合わないのかな...。
自信がなくなってきた...)
パジャマの衿の中をのぞくと、パープルのブラジャーが。
(気合が入りすぎかな。
ちょっと派手かな...
やっぱりいつもの下着に、着がえよう)
部屋に向かおうとしたが、もう一度鏡の自分を見る。
(それから、
やっぱりあのことを、自分の口からちゃんと話そう。
チャンミンも、私の告白を待っているんだと思う)
「よし!」
洗面所の電気を消して、廊下へ出た瞬間...。
「はうっ!」
広間の方から、大声が。
(この声は、チャンミン!)
慌てて広間へ向かおうとすると、ケンタとソウタがこちらへ走ってくる。
「ピーポーピーポー」
「どうしたの!?」
ミミはすれ違いざまに、ケンタを捕まえて、問いただした。
「おじちゃんが、死にそうなんだ!」
「大変なんだ!」
「ええぇ!?
死にそう?
あんたたち、何したの!?」
(無茶をして骨でも折ってたら、どうしよう!)
さっと青ざめたミミが、広間に駆けつけると...。
チャンミンが、畳の上にうずくまっている。
「チャンミン!」
「うぅ...」
チャンミンは脂汗を浮かべて、うめいている。
「大丈夫?
どこ?
どこが痛い?」
「う...」
チャンミンはあまりの苦痛に、ミミの質問に答えられないようだ。
(出血はない)
「死にそうだって!?」
「救急車呼んだ方が!?」
ケンタたちに呼ばれて、居間にいた大人たちも駆けつけてきた。
その後ろから、こわごわケンタたちが顔を出している。
「あんたたち、お兄さんに何したの?」
ヒトミは子供たちを叱りつけた。
「居間に運ぶか?」
「頭を打ってたら、動かさない方がいいな」
「毛布持ってこい!」
チャンミンは、蒼白になった頬をゆがめ、目をぎゅっとつむっている。
「うぅ...」
(どうしよう!)
「どこだ?
どこを怪我した?」
「救急車呼ばなくっちゃ」
ヒトミはポケットからスマホを出して操作する。
脇に座って泣きそうになっているミミをどかすと、ショウタはうずくまった姿勢のチャンミンの肩を起こそうとした。
「お...」
ショウタの動きが止まった。
「救急車は呼ばなくていい!」
ショウタは立ち上がると、廊下のケンタとソウタにデコピンをする。
「しばらくすれば治る!」
「お父さん!」
「タマをやられただけだ」
「タマ?」
「死にそうに痛いはずだが、
しばらくすれば、治まる!」
「やだ...」
「こいつらに蹴られたんだろうよ。
しばらくそこに寝かしとくんだ。
ほら、みんな戻った戻った」
ショウタは、家族を急かすと広間を出て行ったのだった。
後に残されたミミは、チャンミンの頭を膝にのせ、苦しむチャンミンの背中をさすってやる。
確かにチャンミンの両手は、股間を押さえている。
「ミ、ミミさん...。
星が、星が飛びました...」
(チャンミンったら、
昨日に続き今日まで...。
可哀そうに)
「僕のが...負傷しました」
涙をにじませたチャンミンは、ミミを見上げてつぶやいたのだった。
(どうしてみんな、僕を邪魔するんですか!)
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