(5)結婚前夜

 

~ユノ~

 

 

「チャンミン...風呂に入れ。

俺が洗ってやるから」

 

チャンミンはずずっと鼻をすすると、こくんと頷いた。

 

「しっかりつかまっていろよ」

 

チャンミンの腋と膝裏に腕を差し込み、俺は立ち上がる。

 

難なく抱き上げられて、チャンミンの痩せた身体に泣きそうになった。

 

憎くて、愛しい男。

 

俺の首にしがみつき、チャンミンはじっとしている。

 

チャンミンをバスタブに下ろした俺は、腕をまくり、シャワーの湯加減を彼好みに合わせた。

 

「痛かっただろ?

ごめんな」

 

チャンミンの汚れた尻を洗ってやる。

 

「...平気だよ」

 

さっきまでの威勢はなりをひそめ、ぼそりと小声でチャンミンは答えた。

 

続いて、チャンミンの首、肩、胸と石鹸をつけた手で撫ぜ洗いする。

 

「頭を洗ってやるぞ」

 

お湯に濡れて、素晴らしい形の頭が露わになった。

 

たっぷりの泡で丁寧に、優しく髪を洗ってやる。

 

「目をつむっていろよ。

泡がしみるからな」

 

チャンミンの肩は未だひくひくとして、泣き止まない。

 

「泣くなチャンミン」

 

「っだって...」

 

すすぎ終えて、額にはりつく前髪を後ろに流し、滴る水滴を拭ってやる。

 

そうだった。

 

チャンミンはこんなにも、美しい人だったんだ。

 

5年間、忘れられなかった

 

それだけか?

 

もっと以前を思い出すんだ。

 

俺とチャンミンが出逢った時のことを。

 

「...ユノ。

行ったら駄目だからね。

結婚式も中止だからね」

 

「簡単に言うんだな」

 

そう言ってチャンミンの額をついたが、簡単に口にできる台詞じゃないことは分かっている。

 

俺はチャンミンの頭を引き寄せ、濡れるのも構わず力いっぱい抱きしめた。

 

「ユノぉ...」

 

チャンミンも俺の首に腕を回し、もっと激しく、子供みたいにごうごうと泣く。

 

「僕を選べ。

僕は...っ...ユノがいいんだ。

ユノも...っく...僕といた方が幸せになれるって」

 

「わかってる。

わかってるよ」

 

「ユノは僕がいないと駄目なんだ」

 

「お。

言ってくれるなぁ」

 

「だって、そうでしょ?」

 

「ああ、その通りだ」

 

俺の台詞を横取りしたのは、チャンミンの優しさだ。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

僕が分かったこと。

 

「僕たちは最低な男だね」

 

古臭い場末のホテルのバスルームで、僕はバスタブの中でバスタオルにくるまり、ユノはバスタブにもたれてタイル敷きの床に足を伸ばして座っている。

 

「確かに」

 

ユノは唸るようなため息をついた。

 

「彼女たちを酷い目に遭わせた。

傷つけまくった」

 

「ああ。

俺はこれから、もっと酷いことを彼女に告げにいかなくちゃいけない。

はぁ...」

 

「頑張って」

 

「他人事だと思って...ったく」

 

僕はバスタブの縁にあごを乗せた姿勢で、天井を仰いだユノの横顔に見惚れていた。

 

そうだった。

 

ユノはこんなにも綺麗な人だったんだ。

 

そして、自分のことで精一杯だったけど、疲れの滲んだユノのやつれた頬に今さら気付く。

 

人生の門出を前にした、幸福そうな者の顔じゃなかった。

 

ユノは苦しんでいる。

 

それなのに、充血したユノの目から彼の本心が伝わってきて、僕は幸福に満たされた。

 

誰かの不幸との引き換えに得られるもの。

 

その事実にぞっとするけど、だからといって怯むつもりも、引き下がるつもりもない。

 

恐ろしく利己的な自分に、吐きそうになるほど嫌気がさすけど、僕は貫くよ。

 

「他人事だとは思ってないよ。

僕にも責任がある。

ユノだけに負わせるつもりはない」

 

ユノはこの後に待ち構えている修羅場を想像して、ぞっとしているのだ。

 

「僕も殴られにいくから。

一緒に罵られるから」

 

ユノは「え?」といった表情で、僕を見る。

 

「チャンミンも一緒に登場したら、物事がややこしくなる。

余計に彼女を混乱させてしまうよ」

 

「実際について行くわけないでしょうが。

それくらいの意気込みだってことを言いたいんだ。

確かに、何でも正直に打ち明ければいい、ってものじゃないよね。

だから...彼女にどう話せばいいのか...ものすごく悩むよね」

 

「......」

 

ユノは立てた膝に額をつけて、ぎゅっと目を閉じている。

 

僕はその頭を撫ぜた。

 

「辛いね」

 

「ああ」

 

「最悪なタイミングだね。

よりによって、前日だなんて...」

 

「ああ」

 

結婚前夜。

 

このタイミングで想いを吐き出した僕を、ユノは責めなかった。

 

僕が引き留めるのを、ユノは待っていたに違いないんだ。

 

「大丈夫だよ、ユノ。

僕が支えるから」

 

彼女を深く傷つけたことへの罪悪感。

 

この罪の意識が一番辛いんだ。

 

どれだけ辛いかは、僕も経験者だからよく分かる。

 

長い間、ユノは苦しむだろう。

 

自身を責めるだろう。

 

引き留めた僕を責めるようになるかもしれない。

 

それでも僕は、どんと構えてユノを支えるつもりだ。

 

ユノに電話をかけてよかった。

 

勇気を振り絞って、捨て身でぶつかってよかった。

 

でも。

 

5年前にこうしていればよかったのに、とは思わない。

 

そもそも論、5年前の時点で遅すぎたんだ。

 

ユノも僕と同じことを考えていると思う。

 

「出会った時に、こうしていればよかったね」

 

ユノと初めて会った日のことを思い出す。

 

「なぜこうしていなかったんだろうね」

 

「俺たちにはゴールインはないからだよ」

 

「どういう意味?」

 

「いくら相性がよくて離れがたくて、ずっと一緒にいたくても、結婚っていうゴールは用意されていない。

寂しいよなぁ。

それでいて、普通の人生を経験したい欲もあるんだ。

結婚、とか、子供、とか」

 

「欲張りだよね。

彼女との恋愛も、ユノとの恋愛も同時進行できちゃってた自分に驚き」

 

「同感。

別腹みたいに軽く考えていたんだよ」

 

ユノの言う通りに、分け隔てなく2重生活を送れるものと、高を括っていた。

 

無理だった。

 

相当な危機感に直面して初めて、ユノと過ごす時間の貴重さに気付かされた。

 

真正面からぶつかっていかなければ、って。

 

「未来の嫁さんに嫉妬するくらいだぞ?

チャンミンは、彼女のものになってしまうんだって。

男相手に独占欲が湧くとは、な。

...重症だな」

 

「愛の告白みたいだね」

 

「ああ、その通り」

 

ユノは立ち上がりバスタブをまたぐと、僕を後ろから抱えるように腰を下ろした。

 

空のバスタブに、2人の男。

 

ユノは僕の肩にあごをのせた。

 

とても男らしいのに、優美なラインを描いた小さなあごなんだ。

 

「俺はチャンミンが好きだよ」

 

「うん」

 

掠れた頷き声しか出てこない。

 

「ははっ。

初めてだな、好きだって言うの」

 

「僕も、大好きだ」

 

この涙は嬉し泣きだ。

 

「ずっとユノの側にいたい」

 

「俺も」

 

多分、ユノも泣いてるはず。

 

「電話、ありがとうな」

 

「どういたしまして」の言葉は、ユノの唇で塞がれた。

 

 

(『結婚前夜』おしまい)

 

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