~鏡の中の僕~
「チャンミンさん!」
「......」
「チャンミンさん!」
「ああ!ごめん!」
(昨日から、僕はぼんやりしてばかりだ)
「冷めますよ」
民の三白眼がチャンミンを軽く睨んでいた。
「ごめん!
民ちゃんがせっかく作ってくれたんだから。
では...いただきます」
卵料理を口に運ぶチャンミンの様子を、民は固唾をのんで見守っている。
「......」
「美味しいよ」
(見た目はぐちゃぐちゃだけれど、味はいい)
「嬉しい、です」
口を覆った両手の上に覗く、民の眼がにっこりと三日月形になっている。
(可愛いな...って、おい!)
チャンミンがこぼした笑みを見て、民は思う。
(チャンミンさんの笑顔って素敵だな。
クールなイメージなのに、笑うと可愛いな。
目尻のしわが、大人っぽいな)
見た目が全く同じのチャンミンと民。
朝食のテーブルをはさんで笑顔を交わす二人は、内心驚いたり、感動したりと忙しくて。
その時はまだ、互いが物珍しいから知らず知らずのうちに、観察し合っていたのであった。
・
「仕事に行ってくるよ」
食器を洗う民の背中に向かって、チャンミンは声をかけた。
「はい、はーい!」
濡れた手をTシャツで拭いながら振り向いた民は、チャンミンを見た途端に思わずつぶやいてしまった。
「カッコいい...」
「え!?」
紺色の細身のスーツを身につけたチャンミンを前にして、民はうっとりとした表情をしている。
「チャンミンさん...カッコいいです。
大人の男って感じですね...」
「あ、ありがとう」
民の直球の褒め言葉に、チャンミンの方がどぎまぎして、大いに照れてしまった。
靴を履こうとかがめていた腰を起こした時、バチっと互いの視線が間近でぶつかった。
「!!」
「!!」
民は、チャンミンの靴のサイズを確認しようとしていたらしい。
ついと目を反らした民は、ごまかすように前髪を耳にかけた。
チャンミンは、心の中で微笑した。
(目が合うと、照れて顔を伏せる時もあったかと思えば、まっすぐ食い入るように見つめる時もあったり。
さっきみたいに、憧れ交じりの眼差しを注がれたら...胸がこそばゆい)
「そうそう!」
チャンミンはポケットから鍵を出すと、民に渡した。
「鍵を渡さないとね」
「よろしいんですか?」
「スペアキーだよ。
今日、荷物が届くんだよね」
「はい、そうです。
着替えも今着ているのしかないんです」
民がTシャツを指さすと、チャンミンの視線が自然と民の胸の辺りに釘付けになりそうになった。
(こら!
僕はどこを見ているんだ!
民ちゃん、お願いだからブラを付けて欲しい。
〇首が透けているから!
目のやり場に困るから!)
「手伝って欲しいことがあったら、遠慮なく言うんだよ」
「はい」
「帰りは19時ころになるよ。
じゃあ、行ってきます」
(自分に見送られるなんて、奇妙なものだ...。
民ちゃんは自分みたいだけど、自分じゃないんだよなぁ。
それに加えて、女の子なんだよなぁ...)
民のTシャツの胸を思い出してしまったチャンミンは、ブンブンと頭を振って駅までの道を急いだ。
(いい加減、リアに民ちゃんのことを言っておかないと。
妹設定は無理があるかなぁ...)
(チャンミンさんって、かっこいい人だな。
私も男の人になったら、あんな感じになるのかなぁ)
民はチャンミンがマンションエレベーターに消えるまで見送った。
「あ」
玄関ドアを閉めた民のポケットの中の携帯電話が震えた。
発信者の名前を確認して、ふふふと民の頬が緩んだ。
『明日13時はどうですか?
家まで来てください』
(嬉しい!)
『分かりました。
お宅までの地図を送ってください』
と返事を送った。
リビングのソファに横になって、携帯電話の画面を何度も確認する。
「ふふふ」
チャンミン宅のソファは大きく、彼と身長がほとんど(3㎝差)変わらない民が脚を伸ばしても、十分余裕がある。
(『家へ来てください』...だって。
キャー、どうしよう!
ふふふふ)
昨夜、チャンミンとキッチンで別れた後、民はよく眠れずにいたため、うとうとと眠気に襲われてきた。
快活でいても、民は民なりに緊張して、気を遣っていたのだ。
(びっくりして、びっくりして、びっくりした!
びっくりし過ぎて...疲れたな...)
「民ちゃんは、物事に動じないんだな」とチャンミンは思っているようだが、民の心中も彼と同様だった。
(眠い....
荷物は午前中に届くはず。
チャイムが起こしてくれるよね。
...眠い)
ソファに横向きに寝そべった民のまぶたは閉じて、間もなくすーすーと寝息をたてた。
・
「チャンミ~ン」
「!!!」
どしんと背中に衝撃を受けて、民の眼がバチっと開く。
「チャンミ~ン」
(何!何!何!?)
横向きに寝た民の後ろから、誰かが抱きついてきた。
ふわっと甘い香水の香りがした。
民の胸元にまわされたのは、マニキュアを塗った白くてほっそりとした手。
(リアさんだ!)
民の首筋に吐息がかかる。
「ねぇ...ミ~ン」
(私はミンだけど!
リアさんの呼ぶ「ミン」じゃないから!)
「ねぇ、チャンミ~ン。
起きて」
(ひぃぃぃ!)
民の首筋に、リアの頬がこすりつけられた。
(間違えてるんだ!
私のことをチャンミンさんだって、間違えてるんだ!
チャンミンさんじゃないってことを、説明しなくちゃ!)
~リア~
私は落ち目のモデル。
観光フリーペーパーのモデル年間契約も先月で切れた。
最近の仕事といえば、ネット通販の着用モデル。
誘われて始めたのが、ラウンジ嬢。
時給は安いけど、ノルマもないし気楽。
同伴やアフターも余程のことがない限りない。
夜の仕事をしているなんて、チャンミンは何にも知らない。
毎晩帰りが遅いことに、外泊続きであることに、どうして疑惑の念を抱かないのだろう?
モデルの仕事で、あちこち飛び回っていると信じ込んでいるのだろうか?
飼い主の帰りを待つ大型犬みたいなチャンミン。
一途に「モデルのリア」のイメージを持ち続けているチャンミン。
純朴で善良過ぎるチャンミンを見ると、無性にイライラする。
私の一歩後ろに控えているようなチャンミンは物足りない。
それどころか、チャンミンのまっすぐな目を見ると残酷な気持ちになる。
どこまで私についてこられるかを確かめたくて、沢山のイライラをぶつけて、きつい言葉で傷つけたくなる。
疲れて、虚しくて、むしゃくしゃした時は、チャンミンの穏やかな低い声が聞きたくなるし、温かい腕が欲しくなる。
だから、いつまでも私の帰りを待ち続けて欲しいし、憧れ交じりの眼差しを注ぎ続けて欲しい。
私は、チャンミンを手放せないし、誰にも渡したくない。
身勝手で酷い女だってことは、重々分かってるけれど。
(つづく)
[maxbutton id=”27″ ]