~チャンミン~
僕の脳みそはフル回転。
以下の通りだ。
・
アレを持ってきていない。
...それ以前に、調達していない。
(リア時代の時のものは、全部捨ててしまった。
引っ越し準備の時、民ちゃんに見つかってしまったんだよなぁ。
こっぱずかしい思い出だ)
彼女のことを思えば、『ナシ』で致すのはいかがなものか。
彼女は誘っているのだろうか。
それとも、いつもの冗談交じりのものだろうか。
困った。
こうやって迷っている時点で、したがっているじゃないか。
...民ちゃん、用意していないよね...まさか!
彼女のことだから、用意していそうだ。
尋ねてみようか。
・
「こんなこと訊くのは恥ずかしいんだけど...」
「さすがに今夜は無理です。
心の準備ができておりません」
「!」
民ちゃんは乗り出していた身体を引いた。
残念だったし、非常にほっとした。
「話題が『そっち方面』にばかりになってしまい申し訳ありません。
私の最大の心配ごとですので、頭の中はそれでいっぱいだったのです」
こういうところが民ちゃんらしいな、と思いつつ、男とは恋愛が全てになりにくいからか、ある程度の経験を積んだ年齢だからか、彼女ほどは重大事項にはなっていなかった。
だからと言って、適当にあしらうことはしたくない。
「そうそう!
もうひとつチャンミンさんに相談ごとがありました」
「どうぞ」
「...やっぱり、止めておきます」
「どうして?
遠慮しなくていいんだよ」
「彼氏だからと言って、全てを赤裸々に明かすのはどうかと思いました。
ですので、忘れてください」
「え~、気になるなぁ。
さっき言ったことは忘れていいんだよ?
なんでもかんでも話せばいいってものじゃない、って言ったけど、忘れて」
この言葉はいかにもキツかったと反省したのだ。
民ちゃんはONかOFFかの、極端な思考をしがちな子ではないかと、僕は判断していた。
状況を見てGOかSTOPを推し測るのが苦手な、不器用な子なんだろうなぁって。
だから、僕の言葉を受けて徹底的に口をつぐむんじゃないかなって。
「私の頭の中はアレでいっぱいなんです。
アレ関係の内容です。
...やっぱり今夜は止めておきます」
「ますます気になるなぁ」
「チャンミンさんの性欲に火をつけたくありません」
「そっか、分かったよ」
そう言いながら、民ちゃんがちらちら見ているものが気になっていた。
それはカラーボックスの上の置時計で、時刻は1時を過ぎていた。
僕はともかく、民ちゃんを寝不足にしてしまい、明日の仕事に支障が出てしまう。
立ち上がった際、自分がコートを羽織ったままだったことに気づいた。
「もうこんな時間だ。
遅くからごめんね。
帰るよ」
「ホントだ!」
今やっと、気づいた風を装った民ちゃんも立ち上がった。
乱れてもいない髪をなでつけ、ついてもいないパジャマのホコリを払っている。
(民ちゃんは僕以上に綺麗好きなようだ。室内は清潔に整えられている)
靴を履き終わった僕はドアを開け、玄関先に立つ民ちゃんと向き合った。
「......」
「......」
「ごめんなさい。
外は真っ暗だから気を付けて帰ってくださいね」
「僕は男だから平気だよ。
外は寒い。
見送りはいいからね」
「はい」
「......」
「......」
この沈黙は...何だろう。
民ちゃんは何か言いたがっているし、実は僕も。
「じゃあ、帰るね」
「はい」
「......」
「......」
「ユンのことは任せておいてね」
「はい」
「......」
「......」
共用階段へと進みかけたところ、僕は立ち止まった。
僕は振り向いた。
「ねぇ」
「あのっ」
僕らの呼びかけは同時だった。
「......」
「......」
一瞬間、僕らは顔を見合わせていた。
民ちゃんからの言葉を待つだなんて、奥手なことはしないよ。
「泊まっていってもいい?」
「泊まっていってください」
「......」
「......」
「!!」
「!!」
まるでアニメのように、民ちゃんの顔が赤くなっていった。
廊下に灯った頼りない照明の下でも、明らかだった。
僕は無言で玄関へと戻り、民ちゃんも無言で僕を迎え入れた。
コートを脱いでいると、民ちゃんは布団を敷いていた。
1LDKか2Kの部屋に引っ越して、民ちゃんと一緒に暮らしたら...なんて、妄想したっけな。
あれからどれくらいが経ったんだっけ?
一緒に暮らしていた時は、部屋が違った。
「狭いですがどうぞ」
僕の返事を待たずに、民ちゃんは布団にもぐりこんでしまう。
掛け布団から両目だけ出して、その目はきれいな半月型になっている。
涙袋もふっくらとしていて、掛け布団に隠されて見えないけれど、両ほほも高く持ち上がっているだろう。
笑った自分の顔ってどんなだっけ?
きっと僕も同じような表情になっているだろうな。
「電気を消してください」と頼まれた通りにした。
真っ暗になった途端、緊張度が増してきた。
(こ、この状況は相当...相当だぞ)
民ちゃんは端まで身体をずらすと掛け布団を持ち上げて、ぽんぽんと空いたスペースを叩いた。
なんだかよく分からないけれど、勢いでこんな展開になってしまいました。
三十路の男がここまで緊張するとは!
手の平にも脇の下にも汗をかいている。
別れがたくて、エロ心抜きでもう少しだけ一緒にいたいなぁと思った結果がこうだ。
明日が仕事じゃなければ、夜食を食べながら自然と思いついた自由で気楽な話題で会話を楽しみたかった。
スウェットの上下で駆けつけた僕は、そのまま就寝OK。
民ちゃんの隣に収まった時、猛烈に後悔した。
(ステップアップし過ぎだろう?
違う!
僕には『そういうつもり』はない。
今夜は一緒に『寝る』だけだ。
『寝る』とはSleepの意味だ!)
照れた僕らは揃って仰向けで、天井を見ていた。
・
今回の小さなすれ違い。
なるほど...恋人同士というのは、こういった小さなイベントを積み重ねていくごとに、繋がりを深めていくんだろうなぁ。
しみじみとそう思った。
どうしても、前の恋愛と比較してしまう癖になってしまうところはなんとかしないと。
民ちゃんに失礼だし、当然、リアに対しても同様だ。
前の恋愛と今の恋愛は全く別のもの。
「......」
ユンとの予定が入っているのは確か、明後日だ。
週末には、渋々受けたモデルとやらの依頼があり、それより先にユンに念を押すことができるから好都合だ。
...ところで、民ちゃんはどうしてユンの元から離れようとしないのだろう。
雇人と雇われ人の関係を超えるようなことが起き始めているのだから、辞める手もあるはずだ。
その辺りは、僕の念押し後のユンの変化次第だな、うん。
・
「ごくり...」
コチコチと目覚まし時計の音がやたら大きく聞こえる。
民ちゃんも眠りについた気配がしない。
ハグくらいした方がいいのかなぁ、と迷ってはいた。
民ちゃんの方からくっついてきてくれないなぁ、と期待もしていた。
民ちゃんに背を向ける格好で横向きになったら、彼女を傷つけるかなぁ。
かといって、民ちゃんと向かい合わせも...恥ずかしい。
仰向けでは寝付けない僕は、寝返りひとつに悩んでいた。
「はあ...」
思わずついたため息に、耳ざとい民ちゃん。
「なんですか、そのため息は」
「緊張してしまって...」
正直に認めた。
「ですよね。
私もドキドキです」
(つづく)