(46)NO? -第2章-

~チャンミン~

 

民ちゃんは今、僕の部屋にいる。

床に正座し、両腿にこぶしを握ってカチンコチンになっている。

これから起こり得ることを思えば、民ちゃんの緊張も理解できる。

けれども、あんな風に緊張感丸出しにされると、僕にまで伝染し、グラスに飲み物を注ぐ 手がプルプルと震えてしまうのだ。

今夜、僕とカノジョは、初めてのアレをするために会っている...なんなんだ、この状況は。

 

「はい、どうぞ」

 

僕は民ちゃんにグラスを手渡すと、ローテーブルを挟んで彼女の真向かいに座った。

(僕の部屋で家具らしい家具はローテーブルだけだ。ソファを買うなら、民ちゃんとゆったり並んで座れるよう3人掛けサイズがいいな)

 

僕が飲んでいるのがノンアルコールドリンク(民ちゃんと同じ飲み物。彼女はお酒が弱い)だと知り、民ちゃんは

「あれ?

チャンミンさんは飲酒しないのですか?」と尋ねた。

「ああ...これね。

素面でいたいから」

「あらま!」

民ちゃんは驚きの声を上げ、パッと後ろに飛び退いた。

その目は大きく見開かれ、口を両手で覆っている...オーバーアクションはいつもの民ちゃんだ。

 

(言っちまった...)

 

民ちゃんを刺激する発言をしてしまった。

 

(あれ...?)

 

普段だったら、民ちゃんはニタニタ笑って僕をどスケベ扱いする(スケベな点は否定できない。男とはそういうものなのだ)

ところが今夜の民ちゃんは、無言のまま僕を凝視するだけなので、調子が狂う。

この後、何を言えばいいのか。

 

「そ、そうですよね。

アルコールが入ってしまいますと、記憶に残らない場合がありますからね。

私たちの記念すべき夜ですもの。

チャンミンさんには覚えていて欲しいですし、酔いにまかせて抱いて欲しくなんかありません」

「......」

「逆に私の方が、適度にアルコールを摂取した方がいいかもしれませんね。

リラックスした身体で、チャンミンさんに抱かれることができます」

「そ、そうだね...」

 

僕をからかっている台詞ではなく、民ちゃんは至極真面目に言っているだけに、こちらは反応に困る。

夜方面の意味合いの「抱く」や「抱かれる」の言葉は、「愛している」の言葉と同様、日常会話であまり使うことがない。

照れくさくて、発音するのにも勇気がいる。

そこで、「今日の恰好はいつもと違ってて、いい感じだね」と、僕は早々に話題を変えることにした。

民ちゃんが女性らしいふわふわとしたトップスに、ワイドパンツを合わせている姿は、スリムなシルエットのコーディネートを見慣れている分、新鮮だった。

 

「はい。

お洒落してみました」

 

民ちゃんは照れた風に肩をすくめて言う。

はにかんだ笑顔を見られただけで、ご馳走様だ。

 

「チャンミンさんこそ、着替えたどうです?

いつまでもスーツ姿じゃ、くつろげないのではないですか?」

「あ、うん...そう、確かに、そうだね、うん」

 

僕だって、民ちゃんを挙動不審だと笑えない。

「寝室で着替えてくるね」と、僕は寝室に引っ込んでスーツを脱いだ。

僕はここで、今さらなことに気づいたのだ。

 

敷布団なのだ。

 

リアと同棲していた部屋を出て、独り暮らしを始めた時、いかれた僕は 家具を揃えるならば、民ちゃんとの暮らしを想定したものにしようと、密かに夢見ていたのである。

一緒に眠るのなら大きなベッドがいいと、保留にしていた結果がこうだ。

シングルの敷布団か...これはこれで、侘びの雰囲気が出ていいかもしれないが...敷布団か...。

民ちゃんの背中が痛いかもしれない、僕の膝も痛くなるかもしれない。

どうして今の今まで、気付かなかったのだろう。

僕は案外、ロマンティストな男のようだ。

(カノジョとはスーパーに一緒に買い物をし、並んでキッチンに立ち、思い思いの時間を過ごす。ベランダでワインを飲みながら雑談をして、ベッドに入る、理想の交際...)

 

「チャンミンさ~ん」

 

僕が着替えに行ったまま戻ってこないから、民ちゃんに呼ばれてしまった。

ジャージの上下に着替えた僕は、顔を出すなりふざけて民ちゃんにこう言ってみた。

 

「ねえ、民ちゃん。

すぐにご飯にする?

それともお風呂?」

民ちゃんも負けていない。

「それとも『僕』?」

「民ちゃん!」

「あはははは」

民ちゃんは身をのけぞらせて、大笑いした。

「からかわないでよね」

「チャンミンさんったら、ガッチガチなんですもの。

私はともかく、チャンミンさんは百戦錬磨なんでしょう?」

「百戦錬磨って...?」

「ところでチャンミンさん」

 

民ちゃんはひょいひょいと僕を手招きした。

 

「ん?」

「キスされるのかなぁ?」なんて呑気なことを期待しながら、顔を寄せると...。

「これまで何回、エッチしたことがありますか?」

「はあ!?」

「言いたくないですか?

ですよね?

普通、訊くものじゃあありませんよね。

分かってます。

自分が変だってこと、ちゃんと分かってますから」

 

しょぼんと頭を垂れてしまった民ちゃんを見て、ここは正直に答えるべきかどうか、真剣に悩んでしまった。

これはガチで聞いているぞ、と。

 

「...嫉妬してしまいます。

だって...」

「終わったことはもう、覚えてないよ」

 

(って言っても、慰めにならないよなぁ)

 

でも、この言葉は本当のことで、覚えているのは事実だけで、デティールはぼやけてしまっているし、記憶にないと言い切ってもいいかもしれない。

今の恋と過去の恋、想いの比重、記憶の内訳。

心に占める位置関係。

民ちゃんには理解できないだろうなぁ、と思った。

この幼さは民ちゃんの魅力なんだろうけど、男によっては重く感じる者もいるだろうな。

僕は丸ごとオーライなんだけど。

(何も知らない彼女に手取り足取り...。

なんだよ、このエロい考えは!)

 

「チャンミンさ~ん」

「!」

 

民ちゃんに呼ばれて、僕の意識はいま現在に引き戻された。

「カウントは終わりましたか?」

「へ?」

 

きょとんとする僕に、民ちゃんはやれやれと呆れた風に首を振っている。

 

「チャンミンさんったら。

数えきれないほどなんですね。

あ。

ごめんなさい!

質問を間違えました。

エッチの総トータル回数じゃありませんでした。

さすがに数えるのは難しいでしょうから。

教えて欲しかったのは、過去に抱いてきた女の人の数でした」

「はあ...」

(民ちゃんときたら...)

 

僕は額に手をあて、がっくり首を折った

僕はしばし迷った末、「本当に知りたいの?」と訊ねた。

手を伸ばして民ちゃんの手を握った。

 

「僕にはそりゃあね、付き合っていた彼女は何人かいたよ。

民ちゃんから教えて欲しいと訊かれたら、隠さず教えてあげる。

隠すほどいないし、隠す理由もない。

でも、教えてしまったことで、民ちゃんはいい思いをしないんじゃないかな?

僕はそこを心配しているんだ」

「......」

 

民ちゃんは上目遣いでじっと、僕を見つめている。

いつ見ても綺麗な眼だなぁ、と思った。

「ほら、覚えてるでしょ?

僕なんて、民ちゃんがユンに片想いしていたって知っただけで、あの有り様だよ?

とても苦しかったから、民ちゃんを同じように苦しめたくないんだ」

 

僕は繋いだ手の指と指を絡めた。

「今の僕には、民ちゃんしか見えてないし、民ちゃんと出逢った時からの記憶しかないよ。

でも、不安なんだよね?

僕がそう言っても、全部は信じ切れないよね?」

 

(あ...)

 

民ちゃんの鼻の下が伸び、顎がしわしわになっている。

 

(泣いちゃうかも...)

 

民ちゃんはすん、と鼻をすすった。

 

「知りたいような知りたくないような...これからチャンミンさんと何回すれば、歴代の彼女さんを追い越せるか...。

そんなことを考えてしまって...」

「追い越すとか追い越さないとかなんて...」

 

「も~、すごい緊張しているんです!

私じゃチャンミンさんを満足させてあげられるかどうか、自信がなくなってしまって...。

呼吸も浅いし、変な汗をかくし、肩も凝っています」

「リラックスして。

大丈夫だから」

 

僕は民ちゃんの肩を揉んだ。

 

「ホントだ。

肩がガチガチだよ」

「あ~、いい感じです。

もうちょっと強くてもいいです。

チャンミンさんって肩もみ上手いですね~」

 

(なにやってんだ、僕らは?)

 

僕に肩を揉まれてぐらぐらゆれる頭、僕の目の前にさらされた、民ちゃんの細い首、白いうなじ。

 

(綺麗だなぁ...)

 

よかった...民ちゃんの不安の焦点は、『今』にある。

僕が心配するほど、民ちゃんは僕の過去に嫉妬していないんじゃないか、って思ったんだけど...楽観的過ぎるかな?

 

「民ちゃんにはリラックスしてて欲しいんだ」

「はい。

『僕に身をゆだねていればいいよ、僕が全部やってあげるから。

僕が気持ちよくさせてあげる』

...って、言わないんですか?」

「民ちゃん!!」

 

(つづく)