~僕らはそれぞれに~
~チャンミン~
「あ~あ、冷たかったです」
民ちゃんはこめかみを揉みながら、僕の方を振り返った。
への字に眉を下げて「てへへ」と笑っていた。
民ちゃんのこの笑顔に弱いんだ。
「民ちゃん、ペディキュアが剥がれかけてるよ」
僕は胸がきゅっとしたのをごまかしたくて、民ちゃんの足先を指さして言った。
「え、嘘!」
民ちゃんは床に長々と伸ばしていた脚を、引き寄せて爪先を確認している。
「ホントに...どうしよう」
ゆるいTシャツから、民ちゃんの長い首と薄い肉付きの背中がのぞいて、僕は目をそらした。
僕はおかしい...。
民ちゃんのお胸を目撃してしまった日から、僕はおかしくなった。
わずかなサイズの差はあるものの、民ちゃんは僕と同じ顔をしていて、薄っぺらい身体をしているのに。
民ちゃんが妙に女っぽく見えてしまって、僕は動揺し通しだ。
例えば、耳。
洗面所の鏡に映した耳は、僕の耳、単なる耳だ。
けれど、民ちゃんの場合は単なる耳じゃなくて、そこはかとなく色気を漂わせている。
民ちゃんの感情が真っ先にあらわれる、ピンと立った耳。
彼女の柔らかそうな耳朶を、はむっと咥えたくなってしまう僕は、いやらしいオヤジと化している。
民ちゃんがすっくと立ちあがった。
「私、コンビニに行ってきます!」
「今から!?」
民ちゃんは、6畳間から愛用のリュックサックを背負って戻ってきた。
「チャンミンさんも、一緒に行きます?」
民ちゃんの誘いに、僕はこくりと頷くしかない。
・
民ちゃんは、コンビニで小さなマニキュア1つと、除光液を買った。
リアが持っているマニキュアの10分の1の安物だ。
「私に似合う色はどれですか?」と問われた僕は、5色しかないカラーバリエーションの中から選んでやった。
どれもが民ちゃんのイメージに、ピンとくるものはなかったのだけれどね。
(民ちゃんには、今塗っている黒か、血豆みたいな深い赤、くすんだ水色なんかが合うんじゃないかな)
蒸し暑い夜で、入浴でさっぱりさせた肌に、じわじわと汗がにじんできた。
アイスカフェオレを飲みながら、僕らはマンションへ向かう道を歩いていた。
シロップなしで、ミルクのほの甘いコクとコーヒーの苦みを舌で味わいながら、ちびちびとストローで飲みながら。
コンビニのカフェオレがこんなに美味しいなんて。
それはきっと、民ちゃんが隣にいるからだ。
勤め帰りのサラリーマンや、お喋りに夢中な女子大生風とすれ違った。
やたらデカい双子だな、と思っただろうな。
よりによって僕も民ちゃんも、黒いTシャツに黒いハーフパンツ姿で、双子のお揃い感甚だしい。
しかも、履いたサンダルの色が二人とも黒だった。
双子に見えてたとしてもいいんだけど。
「チャンミンさん」
「ん?」
「花火、いつしましょうか?」
僕の手に、手持ち花火セットの袋がぶら下がっている。
夏っぽいアイテムを見つけて気分が上がり、衝動買いした。
「そうだなぁ。
いつでも出来るけど、どこでやるかが問題だね」
「都会は大変ですね。
公園も駄目なんですよね。
河原だったら...怒られますか?」
「調べておくね」
夕飯後の、寝るにはまだ早い21時。
夜食でも買おうか、って近所のコンビニにぶらりと買い物に行くみたいな。
こんな過ごし方っていいな、と僕は思った。
・
そうそう!
僕は民ちゃんのために、脱衣所に専用の引き出しを作ってやったんだ。
着替えを忘れた民ちゃんがリビングを裸で走らなくてもいいようにね。
メール着信音に気付いた。
ポケットから携帯電話を出して確認すると、
『20時。
お店は任せる』
と、リアからの返信メールが届いていた。
明日、僕はリアに別れを告げる。
「民ちゃん。
明日の夜はいないから、夕飯は適当にやっててよ」
「了解です」
足元に視線を落とすと、僕の足と民ちゃんの足が、同じ歩幅で交互にアスファルトを繰り出している。
違う。
僕の筋張ったすね毛のある脚に比べて、民ちゃんの脚は白くてつるりとしていた。
「私も明日の夜は、用事があるんです」
「出かけるの?」
「例のカットモデルの美容院へ行くんです。
衣装合わせです。
衣装は手作りなんですって」
「思ったんだけどさ。
カットモデルってことは、髪も切るんでしょ?」
「え!」
「今の髪型のままってことはないでしょ、絶対に。
髪の毛短くなっちゃうんじゃない?」
「えー、それは困ります。
チャンミンさんみたいに短くなっちゃったら...」
泣き出しそうな顔で民ちゃんは、僕を見た。
みずみずしい瞳。
「男度があがっちゃうじゃないですか...」
・
僕は民ちゃんの長い前髪が気に入っていた。
でも、モンチッチみたいに短いヘアスタイルになっても、僕は全然かまわない。
なぜって、君の可愛らしさは、僕だけがわかればいいんだから...って思ったけど、口には出さなかった。
~民~
ユンさんの作品作りのアシスタントをするのも私の仕事だ。
ユンさんはアーティストでもあるのだ。
オフィスの端に設置されている螺旋階段を使って7階に上がったところに、ユンさんのアトリエがある。
「半分以上は道楽だよ」って謙遜しているユンさんだけど、ユンさんの雅号は聞いたことがあった。
ユンさんに名刺を渡された翌日、ユンさんは「見せたいものがある」と私をドライブに誘った。
連れて行かれた先がホテルだったから、凍り付いた私の様子を気付いたユンさんに
「食事をするだけだよ。
君は何を想像してたんだい?」って笑われた。
ホテルのラウンジ中央に鎮座していたのが、鳳凰を象った真っ白な彫刻像だった。
「俺の作品だ」
そう紹介した時のユンさんの目がギラっと光って私を射貫き、「この人は嘘はついていない」と確信した。
(他人の作品を指して『俺が作った』と、いくらでも嘘はつけるものだから)
料理の味なんてほとんど覚えていない。
鳳凰の頭部が人間のものというシュールな造形だった。
ナイフで荒く刻んだ鳳凰の部分に対して、人間の頭の部分(女性の頭だった)は精巧だった。
1つの彫刻作品の中で、男性的で荒々しいところと、女性的で繊細なところの両方が表現されていて、心をわしづかみにされたみたいに、私は感動した。
口を開けて間抜けな顔をしていたんだろうな。
「そこまで魅入られてもらえると、光栄だね」って、
ユンさんが私の背中を押すまで、ぽかんと突っ立っていた。
粘土の捏ね方の指導を受けている間、粘土を捏ねるユンさんの手を食い入るように見ていた。
ユンさんの大きな手の中で、石膏粘土の真っ白な塊が形を変える。
ユンさん手の甲に浮かんだ血管だとか、節が太くて力強そうな指だとか、短く整えられた爪だとかに目を奪われていると。
「民くん?」
(ユンさんは私のことを『民くん』と呼ぶ)
「届いたばかりの粘土は固すぎるから、水を少し加えて練ることで、手の平の体温でほど良い柔らかさになる」
ユンさんは、ポリ容器からどろりとしたものを、捏ねかけの粘土にひと垂らし加えた。
「これは水を加えてゆるくした粘土ペーストだ。
液状にまでゆるくしたものも、完全に硬化させたものも使うよ。
作品の部位によって、使い分けているんだ。
君には、こういった『頃合いのいい』粘土をあらかじめ作っておいてもらいたい」
ステンレス製のラックにずらりと並んだポリ容器を指した。
「へぇ...使い分けるんですね」
「君の仕事になる」
「はい」
ユンさんは脇にどき、私が粘土を捏ねる番になった。
べニア板を貼っただけの作業台にかがんで、両手でぎゅっと押し、ひっくり返してまた押しを繰り返した。
ユンさんの高い身長に合わせて作られた台だったから、高さはちょうどよい。
(ひっ)
耳の後ろに生温かい息がかかった。
ユンさんが私の真後ろに、触れそうで触れない距離に接近している。
近いです。
近すぎます。
(つづく)
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