~君が危ない~
~チャンミン~
数日前のことだ。
民ちゃんとコンビニデートをした日のことだ。
ユンのオフィスに呼び出された。
後輩Sは別の案件で外出中だったため、僕が出向くことになった。
ライター同席のインタビューを終え、その草稿をメールで送ると伝えたら、直接会ってその場で添削したいとの要望を受けたのだ。
ユンは若いくせに、メールや電話を信用せず、面と向かうことに重きを置く人物のようだ。
こういうタイプは珍しくないけど、ユンのことがどうも苦手な僕だったから、この面談は気が進まなかった。
気温は30℃、額やうなじから吹き出る汗をハンカチで拭った。
エレベーターを6階で降り、ゴージャスな歯科医院の前を通り過ぎて、ユンのオフィスのインターフォンのボタンを押す。
『お待ちしておりました』
ユンの低い声に続きドアが開くと、相変わらずスマートで涼しげな美青年が僕を迎い入れた。
今日は長髪を束ねず、背中に真っ直ぐ垂らしている。
「暑い中ありがとうございます」
スタイリッシュな打ち合わせスペースに通され、一旦奥に引っ込んだユンがアイスコーヒーを乗せたトレーを持って戻ってきた。
「早速見せていただきましょうか」
ライターが書き起こした原稿をフォルダーごと、「どうぞ」とユンの前に提出した。
ユンは顎を撫ぜながら、無言で書類に目を落としている。
「メールで済む話なのに、わざわざ足を運んでいただいて申し訳ない。
しかし、こうやって顔と顔を突き合わせると」
ぐいっとユンの鋭い眼差しが、直球で僕に刺さる。
眼力の強い奴だ。
「言葉で説明しきれないニュアンスも、伝わります。
チャンミンさんは、そう思いませんか?」
なるほどその通りだったため、「そうですね」と同意した。
僕の視線に気づいたユンが、肘までまくった腕をちらっと見て苦笑した。
「作品を作っていたもので。
全身粘土まみれになるんですよ」
目線で螺旋階段の上を指した。
「アシスタントの子が見つかりましてね。
今どきなかなかいない、『使える子』です」
訂正箇所が記された原稿を手渡すと、キャンバス地のスリップオンを素足に履いた脚を組んだ。
ユンの熱い視線が僕の腕に注がれていることに気付いて、「何か?」の意味を込めて見返した。
「申し訳ない。
美しい造形を目にすると、つい観察してしまうのです」
「はあ」
「失礼」
ユンが僕の腕を手に取った。
「!」
「筋肉の付き方がいいね」
(おいおい)
僕の手首を持って、ひっくり返したり、肘を曲げたりした。
額の真ん中で分けたストレートヘアが、ユンの彫の深い美貌によく似合っている。
それは認める...が。
「腕に力を入れてみて」
「はあ」
気味が悪いと思いつつも、落ち着いた口調でありながら逆らえないユンの命令に従ってしまう。
手の平が汗ばんできた。
「!」
力を入れたことで浮き上がった筋肉に沿って、ユンの指につつーっとなぞられて、思い切りビクッとしてしまった。
こいつ...気味が悪い。
「男に腕を撫でまわされて気持ち悪いでしょう。
次の作品は『腕』がテーマなんですよ」
「腕?」
「ええ。
3本の腕を柱として...」
僕の腕から手を離したユンが、身振りで1,2、3と3本の腕を交差させてみせた
「中央に『顔』があります。
モデルとなる顔については未だイメージが湧いていません。
腕の1本は男の腕でして、チャンミンさんの腕を目にしたら、作品のイメージにぴったりだと思いましてね。
つい、拝見させていただきました」
さぞかしモテるだろう、浅黒い精悍な頬をゆがめてほほ笑んだ。
「是非とも、作品のモデルに。
スケッチさせてください」
「あ、あの...今日はこれから...」
次のアポイントなんてなかったが、早くここから逃げ出したくなった僕は首を振る。
こちらは大いに動揺していたというのに、ユンは落ち着き払った余裕ある態度で、からかわれているように感じられて不愉快だった。
悪いが僕には「その気」はない。
脇の下にじっとりと汗をかいていた。
「チャンミンさん」
呼び止められた。
「ご兄弟は?」
「います...が?」
「そうですか。
変なことをお尋ねして申し訳ない」
口の片端だけ上げた笑みを浮かべたユンに見送られて、僕はオフィスを後にした。
次からは、後輩Sを僕の代わりに行かせよう。
~民とK~
「頭皮がピリピリするかもしれません」
髪の生え際にワセリンを塗ってもらい、額をテカテカにさせた民は「大丈夫です」と答えた。
「私って、丈夫に出来ているんです」
鏡に写る民は真っ白なブリーチ剤で髪をてっぺんにまとめ上げられ、ピンと立った耳にはビニールのイヤーキャップを付けている。
「ご家族やご友人は驚かれたんじゃないですか、急に金髪になって?」
この日のKは、カーキのワイドパンツのウエストに、細い赤いベルトを巻いている。
「目を丸くしてました。
Kさんはいつもお洒落ですね」
「ありがとうございます。
これは古着です。
パーマ液ですぐに汚してしまうので、高い洋服は買えないんですよ。
民さんが着ている洋服もよく似合ってますよ」
「これは、借り物なんです」
民はケープから覗く黒いパンツの裾と、白いスニーカー履きの足を揺らしながらはにかんだ。
「私は身長があるので、女もののお洋服だとサイズが合わないんです。
普通の男ものだと、ホントの男の人みたいになっちゃうし、きちんとしたお洋服も持っていなくて。
そんな私のために、親切にも貸してくれる人がいるんです。
コーデもその人がしてくれてるんです」
「その方も背が高い人なんですね」
Kは加温機のタイマーを設定しながら、鏡の中の民に笑顔を見せた。
「そうなんです。
私より3㎝高いんです(ここ強調)
その方と一緒に暮らしているんです」
「ご兄弟か...それとも、彼氏さんですか?」
「へ?」
民は一瞬きょとんとして、それから顔を赤くして手を振ったが、ケープに隠されていて、Kには見えない。
「いえいえ、まさか!
兄は私より背が低くて、ごっついんです」
(チャンミンさんはお兄ちゃんのお友達で、私のお友達じゃない。
短期間だけど一緒に暮らしていて、仲良しになった。
ホテルにお泊りした時は、首にキスされたし。(ホントにびっくりしたんだから!)
うーん、チャンミンさんは...私にとって何だろう?)
考え込んでしまった民に、Kは弾けるように笑った。
「あははは。
その人は民さんのことを、よく分かってらっしゃるんですね」
「へ?」
「民さんの柔らかい雰囲気をひきたてる洋服を選んでいるようですから」
(確かにそうだ。
私の薄い上半身が目立たないよう、ほどよいゆとりがあるものや、淡い色使いのものだったりする。
ぐすん...チャンミンさんが優しくて、涙が出そう...)
「熱かったらすぐに教えてください」
民の頭の上で丸い加温機が回り始め、民はその日のユンとのことを思い出していた。
(つづく)
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