~やきもち~
~チャンミン~
ドアの前にたたずんで、僕は民ちゃんのシャワーを浴びる音をしばらくの間聞いていた。
ドア越しに、民ちゃんに声をかけようとしたが、言葉が見つからない。
このシチュエーションは覗きに近いと気付いた僕は、仕方なくリビングに戻った。
そこは無人で寝室をそっと覗くと、身体を丸めたリアがベッドで横になっている。
リアに対しての罪悪感が僕を襲う。
リアのプライドを傷つけてしまった。
「抱いて」の言葉に応えたところ、リアの豊満な身体を前にしても僕の方は萎えたままだった。
別れを決心したくせに、リアのことを可哀想だと思って一瞬でもリアを抱こうとした自分に嫌気がさした。
自身の喉元に刃物を向けたリアの姿が、頭に焼き付いている。
ここまでリアを追い込んでしまった自分の不甲斐なさにも嫌気がさした。
「はあ...」
僕はソファに寝っ転がって、広い天井に並ぶダウンライトを見上げた。
この部屋には、男ひとりと女ふたり。
2人の女性の間で右往左往している僕だったが、決して彼女たちに振り回されているとは思わなかった。
本心は口にせず、その場限りの優し気な言葉を吐いていた結果がこうだ。
僕との別れを拒絶するのなら、リアを置いてこの部屋をさっさと出て行けばいいことだ。
けれども、それにストップをかける。
リアを「捨てる」みたいじゃないかって。
ここを出るのなら、リアには僕らの別れに納得してもらいたいし、リアの今後の生活のことも心配だった。
無責任なことはしたくないし、無責任な男だと思われたくなかった。
「そういうことか...」
どう思われたっていいじゃないか。
穏やかで寛大な男に見られたかっただけじゃないか。
本音に従って行動すればいいことなのに。
民ちゃんのことを想う。
もし今、僕の想いをぶつけたら、民ちゃんは困るだろう。
男物の洋服が似合う民ちゃんが、ワンピースを着るくらいだ。
お洒落した姿を見てもらいたかったんだろう。
あんなに綺麗で可愛いワンピース姿を見せられたら、『例の彼』もぐらっときただろう。
民ちゃんの恋が順調そうな時、僕の身勝手なタイミングで想いを告げたりなんかしたら、民ちゃんは悩むだろう。
民ちゃんとどうこうなる可能性が低くなったからといって、リアと別れることを思いとどまることは決してない。
僕は恋人が欲しいわけじゃないんだ。
「はあ」
ふわっとシャンプーのよい香りが漂ってきた。
湯上り民ちゃんは、ソファの背もたれのこちら側に居る僕に気付かず通り過ぎると、6畳間に入っていった。
ワンピースを脱いで、いつものオーバーサイズのTシャツに黒いレギンス姿を見て、「いつもの民ちゃんに戻った」とホッとした。
綺麗に着飾った民ちゃんを見ると、胸がザワザワする。
なぜって、綺麗になるのは僕のためじゃなくて、『例の彼』のためのものだろうから。
おい、チャンミン、思い出せ。
民ちゃんにリアと抱き合っているところを見られてしまったんだぞ?
床を這いつくばってリアとコンタクトレンズを探していた、なんて感じじゃなかったんだぞ。
民ちゃんの誤解を解きたかったが、うまい言いわけを思いつかない。
別れの条件を果たすためにリアと抱き合っていた、なんて言えるわけがない。
「はぁ...」
僕は立ち上がってキッチンへ向かった。
床に転がったカップケーキをひとつひとつ拾い上げた。
情けなく、そして泣きたくなるほど寂しい気持ちで。
「このカップケーキはね、豆腐や大豆粉で作られてるんだよ。
イソフラボンが含まれているから、民ちゃんのお胸が大きくなるかもよ」
「ひどいですー!」
民ちゃんは僕を睨んで頬を膨らませながらも、「でも食べまーす」って大きな口でパクパク食べるんだ。
「僕にも1個頂戴」っておねだりしたら、「1個だけですよ」って言いながらも、3個も5個も僕の手に乗せてくれるんだ。
民ちゃんはきっと、独り占めしない子だろうから。
「チャンミンさんはそれ以上、お胸を大きくしちゃダメです!」って、僕らは深夜のティータイムを過ごすはずだったのに。
~民~
ベランダの手すりにもたれて、夜景を眺めていた。
雨は上がっていて、雨上がりの涼しい風が湯上りの火照った顔や首を、ちょうどよく冷やしてくれた。
頭の中を整理しようと 熱めのシャワーを浴び過ぎたみたい。
「はあ...」
今日はイベント盛りだくさんだった。
ユンさんに美味しいものをご馳走になったことだけでも、嬉しすぎるイベントなのに、キスされちゃった。
「あー」っと声を出して、額を手すりに押し付けた。
ユンさんとのキスを、どう処理したらいいのか分からない。
嬉しいんだけど、素直に喜べない。
私にキスした理由が分からない。
深い意味はなかったんだよね、うん、きっと。
だって、ユンさんには恋人がいるだろうから。
もうひとつの処理できない気持ち。
チャンミンさんがリアさんと抱き合っていた。
2人とも床に座っていて、リアさんの髪もチャンミンさんの髪もぐちゃぐちゃに乱れていた。
2人とも赤い顔をして汗をかいていて...何をしようとしていたのか、私だって想像がつく。
チャンミンさん、リアさんとやり直すつもりなんだね。
「リアとは別れる」って宣言してたのに、気が変わっちゃったの?
「別れたい」ってホテルで泣いてたけど、チャンミンさんの本心はリアさんと別れたくなかったんだね。
チャンミンさんの...バカ。
心配したんだから。
リアさんと別れたチャンミンさんを元気づける方法を、いっぱい考えたんだから。
ここはチャンミンさんとリアさんのおうちだから、いつでもどこでもいちゃいちゃしてても、私には文句は言えない。
でも...リアさんを抱きしめてるチャンミンさんを見て、もの凄く動揺した。
「ラブシーンを見てしまった―!」っていう赤面ドキドキ動揺じゃないの。
呼吸が苦しくなる感じ、嫌な感じ。
この感情をひとことで言い表せる言葉を見つけた!
「面白くない」
チャンミンさんとリアさんがいちゃいちゃしているところを見たくない。
チャンミンさんには、リアさんといちゃいちゃして欲しくない。
でも...チャンミンさんを責める資格は私には、ない。
チャンミンさんは、お兄ちゃんのお友達に過ぎないし、チャンミンさんには恋人「リアさん」がいる。
それに。
私はユンさんのことが好きで、キスもしてもらって、嬉しくて、でもユンさんには恋人がいて...。
どーしよー、頭がパンクしそう!
手すりにゴンゴンと頭を打ち付けた。
「!!」
後頭部に何かが触れた。
驚いて横を振り仰いだら、チャンミンさんだった。
「チャンミンさん...」
リビングの方からバルコニーに出てきたチャンミンさんが、いつの間に私の横に立っていたのだ。
バルコニーは暗くてシルエットしか分からないけれど、チャンミンさんはきっと困ったような顔をしているんだと思う。
言葉が見つからなくて不貞腐れた顔をした私は、手すりの上にあごを乗せた。
心の中は沢山の言葉で溢れそうなのに、いざとなると1つも出てこない。
「おでこを怪我するよ」
私の頭を撫ぜようとするチャンミンさんの手を、はねのけた。
「民ちゃん...」
乱暴なことをしてごめんなさい。
リアさんを抱いていた手で触って欲しくないの。
それなのに。
チャンミンさんの言い訳の言葉が聞きたかった。
チャンミンさんが恋人のリアさんを抱きしめたからって、私に謝る必要なんてないのに。
チャンミンさんは私の「彼氏」じゃないのに。
どうしてイライラするんだろう。
(つづく)
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