翌朝。
民はチャンミンを待っていた。
医師から簡単な診察を受け、薬剤師から処方薬の説明を受け、警察官の質問に答えた。
朝食として出されたお粥だけでは物足りず、午前10時の時点で空腹だった。
点滴も外れ身軽になり、待ちきれなかった民は兄Tから渡された紙幣を握りしめて、売店に行くことにした。
「何にしようかな...」
病衣のまま院内をうろついていると、「ホントの入院患者みたい」と、基本的に楽観的な民は軽く浮かれていた。
まだ少しふらつくのは、丸1日以上寝たきりだったせいで、後頭部の怪我も急に振り向いたりしなければ痛みはそれほどない。
「民ちゃん!」
「わ!」
民は手にしかけたチョコレートバーを、陳列棚に戻す。
呑気に買い物をしている民の様子に、片手にボストンバッグを下げたチャンミンは安堵する。
「お腹が空いたの?」
「えーっと...そうです。
ご飯が足りなくて...」
「ははっ。
そうだろうね」
「どういう意味ですか?」
ムッとした時に必ず見せる民の三白眼に、「いつもの民ちゃんだ」とチャンミンは笑う。
「どう?
退院できるって?」
「はい。
異常なしです」
「その...、事故のこと...ショックだろ」
昨夜、チャンミンはTに電話を入れ、事故の顛末を聞いた。
さぞかし怖い思いをしただろうに、ケロッとしている民のタフさに感心した。
(民ちゃんの性格は...僕とは全然違うんだな)と。
「酷い奴もいるんだな...。
盗られたものは残念だけど、
民ちゃんが無事で、本当によかった」
チャンミンと民は並んで病室に向かう。
民の足取りはしっかりしていたが、たまにふらつくこともある。
そんな時、チャンミンがそっと民の背中に手を添えるのだ。
病衣ごしに民の背骨や体温が伝わってきて、チャンミンはその細いウエストに、腕を回したくなる衝動を抑えた。
耳の後ろに拭き取りきれなかった血の赤がこびりついていて、痛ましく思った。
「あの時は、油断してたんです。
人が全然いない、寂しい道でした」
(引ったくりの被害者は大抵、女性や老人だと聞くけど、民ちゃんみたいな子が襲われることもあるんだ...。
なんてことは、民ちゃんには言えない)
「寂しい道を歩いていたなんて、どうしてなんだ?
うちから1時間以上も離れたところだったんだよ?」
「それは...」
チャンミンとリアとの緊迫したやり取りを目にして、いたたまれなくなって、あの夜はどこかホテルに宿泊しようとしていたとは、民はチャンミンには言えなかった。
加えて、リアがチャンミンの子を宿しているかもしれないことに、酷くショックを受けたことも。
二人は昨夜のことなどなかったかのように振舞った。
チャンミンは、民に聞かれてしまった話の内容に触れなかった。
民も、チャンミンとリアが抱えている問題について、問いたださなかった。
それぞれが抱えているモヤモヤを、話題に上げたくなかったのだ。
二人とも、昨夜の奇妙な、でも甘いやりとりを引きずりたかった。
チャンミンは、昨夜の嘘がきっかけで自身の想いが民にバレたのでは、と恥ずかしかった。
民は、記憶喪失のフリをした理由を知られたくなかったし、「彼氏」のフリをしたチャンミンの意図が分からなかった。
「えーっと...そう!
着替えを持ってきたよ」
「わぁ、ありがとうございます」
ボストンバッグのファスナーを開け、民に中身を見せる。
「あらら。
パンツも持って来てくれたんですね。
恥ずかしいです」
民の着替えを揃えようとクローゼットの引き出しを開けてみて、民の所有する衣服の少なさに切なくなった。
(民ちゃんは節約に節約を重ねてお金を貯めて、都会に出てきたんだった。
空っぽに近い引き出しを見て、自分色に染めたいと思ってしまった。
でも...。
他の誰かに想いを寄せている民ちゃんだ。
今のうちに、僕の元にとどめておかなければ...)
「シャツとボトムスは僕のものだけど...別にいいよね?」
「はい。
ありがとうございます。
じゃあ、着がえますね」
民の見据えるような視線に気づいて、
「ごめん!
じゃあ...僕は、会計してくるよ。
請求書をちょうだい」
「そんな...。
悪いですよ。
事故ですから、保険証が使えないんですよ?」
「大丈夫。
お金をおろしてきたから」
「じゃあ...お言葉に甘えて...。
後日、絶対にお返しします」
・
会計に手間取っているのか、チャンミンがなかなか戻ってこない。
民はベッドに腰掛けて、チャンミンの戻りを待っていた。
チャンミンが用意したのは、ブルーのストライプシャツとライトグレーのパンツ、白いスニーカーと、夏らしい爽やかなコーディネイトだった。
自身の身なりに満足していたら、
「民くん?」
間仕切りのカーテンの隙間から覗いた顔に、民は驚嘆した。
「ユンさん!」
(つづく)
[maxbutton id=”27″ ]