「それは...はい...申し訳ありません...はっ...今すぐ伺わせていただきます」
事務所の戸口に立ったチャンミンは、慌てた風に手を振っている。
俺はそんなチャンミンを無視して、話を続ける。
「いえいえ...当方が...はい...今から...はい」
通話を切った俺はバッグを抱え、課員たちに「今日は直帰するよ」と声をかけた。
「ユンホさん、どちらへ?」
正面デスクのA子が、俺に尋ねる。
「C社へ。
今日中に欲しいというから、挨拶がてら届けに行ってくるんだ」
「じゃあ、私もー、行きます」
腰をあげかけたA子に、俺の方こそ慌ててしまった。
「それはっ、いいから。
俺だけでいいんだ」
「だってー、私も営業ですしー。
C社に行かれるのなら、途中でD社にも寄ってくれますかー?」
「ハックション!!」
派手なくしゃみの音に、俺とA子が戸口の方を見ると、背中を丸めたチャンミンが。
「ゲホゲホゲホゲホッ...!」
チャンミンの作戦を察した。
「A子ちゃん、ごめん。
チャンミンが体調悪くってさ、早退するんだって。
あいつを家まで送っていくから、寄り道は出来ないんだ」
「大丈夫ですよー。
私の方はー、17時までに行けばいいですからー」
「ゲホゲホッ...ユンホさん...僕、もう駄目です」
よろめいたチャンミンは、戸口にもたれかかってフラフラだ。
「大変だ!
病院に連れて行った方がいいかもしれない。
D社は病院とは逆方向だから、寄れないなあ」
腹を押さえたチャンミンは、床に片膝をついて上目遣いで俺を見ている。
「そういうわけで...」
俺はチャンミンの元に駆け寄り、彼の腕を首に回して抱きかかえた。
「行ってきます」
「...お大事に...」
急病人となったチャンミンの腰を抱いて、半ば引きずるように事務所を出た。
・
「お前な―。
やり過ぎなんだよ!
救急車呼ばれたらどうするつもりだったんだ?」
「ユンホさん」
「ん?」
「...手をっ、放してください!」
「悪い!」
チャンミンの腰を抱いていた手を放した。
「こ、ここはっ、職場なんですよ!
時と場所をわきまえてください!」
スケベ心を出して触ってきたみたいな言い方はよせよなー、と思ったけど、言わない。
俺もこのパターンに慣れてきたから、「はいはい」と言うだけにとどめた。
それにしても...。
女のものとは全く違う、くびれのない引き締まった筋肉...。
先程までチャンミンの腰を引き寄せていた手の平を、じぃっと見る。
胸が高まるのは何故だろう?
ちらりと隣のチャンミンを見ると、しかめっ面で階数ランプを見上げている。
俺はこいつのどこにエロスを感じるのだろう、などと心を探っていた。
「ユンホさん、着きましたよ」
「お、おう!」
チャンミンに背中を押されて、地下駐車場へと降り立ったのだった。
あらら。
ずんずんと先を行くチャンミンの両耳が赤くなっていて、こぶしを握った両手をぎくしゃくと振っている。
か、可愛い...。
「早く!
日が暮れてしまいますよ!」
小憎たらしいことを言う時は、大抵の場合照れているらしい、と心のチャンミン録にメモをした。
・
チャンミンは当然、ぬかりなく社用車の鍵を借り出してきていた。
バンだから後部座席はなく、荷台にバッグを放り込んだ俺は、運転席に乗り込んだ。
「お願いします」
助手席に座ったチャンミンは、早速カーナビを操作して目的地を設定し始めた。
チャンミンの両膝が内股になっているのを見て、チャンミンはホンモノのカマなのかどうか、急に気になりだした。
最初から言い切っているように、俺はチャンミンのことが好きだ。
恋愛対象として、好きだ。
これまで深く考えずにいたけれど、ベッドインしてからの流れが不安になってきた。
俺とチャンミンは付き合ってるんだから、近いうちに『そういう関係』になるわけで...。
そうそう!
チャンミンにはっきりと「好きだ」と言わないとな。
恋の媚薬の勢いで『お付き合い』が始まったことになってるし、「僕たちは『カップル』ですよね?」「そうだよ」、なあんていうやり取りで、そういうつもりでいる俺たち。
やっぱり、ズバリ口に出さないと駄目だよなぁ...。
「なあ、チャンミン。俺さ...お前が好きだ」「ユンホさん!ぼ、僕も好きです!...あっ...ユンホさん!運転中にキスなんて、駄目です!あっ...ああーー!!」とかなんとか...っておい!
「おっと!」
交差点を直進しそうになって、ハンドルを切って右折車線に入る。
「ユンホさん!
北工場はこっちじゃないです!
高速に乗るんですよ!」
チャンミンは俺の肩をつんつんと突く。
「分かってるよ!」
本社から車で10分の出荷倉庫に車を乗り入れた。
俺は車を降りると、ハッチを開けてカートを抱えて荷受け場に走る。
俺の行動が読めないチャンミンは、助手席に収まったまま首を傾げている。
目的のものをカートに乗せ、バンまで小走りで戻る。
「チャンミン、ぼーっとしてないで手伝え」
「はい!」
バンの荷台へカートに積んだ段ボール箱を積みこむ。
「ユンホさん!
頭がおかしくなったんですか?」
「おかしくなってないよ!」
「僕たちが運ぶ荷物は、北工場に配達されたものですよ?
これじゃないです!」
「わかってるよ!」
「じゃあ、どうして?」
疑問に思いながらも、俺の勢いにのせられて軽々と荷物を抱え上げるチャンミン。
スーツを脱いで(汚れるのが嫌なんだろう)シャツを肘までまくり上げている。
上げ下ろしの度に、チャンミンの一の腕が筋張っていて、やたら発達した筋肉に俺の手はついつい止まってしまう。
「これはな、カムフラージュなの。
用事もないのに車借りて行ったら変だろう?
C社なら北工場に近いし、あそこに行く為だって名目をたててるの。
あそこにはずっと顔を出していないし、納品しがてらサンプルを置いていくつもりなんだ」
「さっきの電話は、そういうことでしたか!」
「その通り」
「お主も悪よのぉ...」
「!」
今、何て言った!?
にたにたと笑うチャンミンだが、俺の方と言えば彼らしくない台詞にフリーズするしかない。
チャンミン、お前は全くもって退屈しないやつだ。
「じゃあ、僕はどうなるんです?
ユンホさんの納品と営業についていったら、変でしょう?」
「え?
チャンミンは急病で早退してるんだから、それでいいじゃん」
「まあ、そうですけど...。
明日の出社時間に遅れたら、変でしょう?」
「お前の明日は、病欠だ」
「ええーーっ!
無遅刻無欠勤が僕のモットーなんです」
「諦めろ。
よいしょっと...これで最後だ。
よし、行くぞ!」
突っ立ったままのチャンミンに声をかけた。
恐らく、明日遅刻、もしくは欠勤(仮病)するのが嫌なんだろう、難しい顔をしている。
「ユンホさんの為なら、どこへでもついていきます、って言ってたの、嘘だったのか?」
チャンミンを煽るつもりで、言ってみた。
「言い回しがちょっと違います。
『ユンホさんと一緒なら構いません』と言ったんです!」
「同じことだろ?
いちいち細かい奴だなあ」
「よく言われます」
「明日休むのが嫌なら、お前だけ社に戻るか?
ここからは俺一人でいいからさ」
チャンミンの反応が見たくて、本心とは裏腹なことを言ってみた。
「駄目です!」
予想通りの回答だ、とほくそ笑んでいたら...あれ?
顔を真っ赤にさせて、俺をぎりりと睨みつけている(全然、怖くないんだけど)。
「ユンホさんはっ!
僕と一緒にいるのが嫌なんですか!」
「だって、無遅刻無欠勤を維持したいんだろ?」
「そうですけど...。
でも、ユンホさんの為に、僕は不良社員になります!」
「はあぁぁ...」
俺はため息をつくしかないが、これからのロングドライブ、愉快なものになりそうだった。
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