(7)会社員-情熱の残業-

 

 

「それは...はい...申し訳ありません...はっ...今すぐ伺わせていただきます」

 

事務所の戸口に立ったチャンミンは、慌てた風に手を振っている。

 

俺はそんなチャンミンを無視して、話を続ける。

 

「いえいえ...当方が...はい...今から...はい」

 

通話を切った俺はバッグを抱え、課員たちに「今日は直帰するよ」と声をかけた。

 

「ユンホさん、どちらへ?」

 

正面デスクのA子が、俺に尋ねる。

 

「C社へ。

今日中に欲しいというから、挨拶がてら届けに行ってくるんだ」

 

「じゃあ、私もー、行きます」

 

腰をあげかけたA子に、俺の方こそ慌ててしまった。

 

「それはっ、いいから。

俺だけでいいんだ」

 

「だってー、私も営業ですしー。

C社に行かれるのなら、途中でD社にも寄ってくれますかー?」

 

「ハックション!!」

 

派手なくしゃみの音に、俺とA子が戸口の方を見ると、背中を丸めたチャンミンが。

 

「ゲホゲホゲホゲホッ...!」

 

チャンミンの作戦を察した。

 

「A子ちゃん、ごめん。

チャンミンが体調悪くってさ、早退するんだって。

あいつを家まで送っていくから、寄り道は出来ないんだ」

 

「大丈夫ですよー。

私の方はー、17時までに行けばいいですからー」

 

「ゲホゲホッ...ユンホさん...僕、もう駄目です」

 

よろめいたチャンミンは、戸口にもたれかかってフラフラだ。

 

「大変だ!

病院に連れて行った方がいいかもしれない。

D社は病院とは逆方向だから、寄れないなあ」

 

腹を押さえたチャンミンは、床に片膝をついて上目遣いで俺を見ている。

 

「そういうわけで...」

 

俺はチャンミンの元に駆け寄り、彼の腕を首に回して抱きかかえた。

 

「行ってきます」

 

「...お大事に...」

 

急病人となったチャンミンの腰を抱いて、半ば引きずるように事務所を出た。

 

 

 

「お前な―。

やり過ぎなんだよ!

救急車呼ばれたらどうするつもりだったんだ?」

 

「ユンホさん」

 

「ん?」

 

「...手をっ、放してください!」

 

「悪い!」

 

チャンミンの腰を抱いていた手を放した。

「こ、ここはっ、職場なんですよ!

時と場所をわきまえてください!」

 

スケベ心を出して触ってきたみたいな言い方はよせよなー、と思ったけど、言わない。

 

俺もこのパターンに慣れてきたから、「はいはい」と言うだけにとどめた。

 

それにしても...。

 

女のものとは全く違う、くびれのない引き締まった筋肉...。

 

先程までチャンミンの腰を引き寄せていた手の平を、じぃっと見る。

 

胸が高まるのは何故だろう?

 

ちらりと隣のチャンミンを見ると、しかめっ面で階数ランプを見上げている。

 

俺はこいつのどこにエロスを感じるのだろう、などと心を探っていた。

 

「ユンホさん、着きましたよ」

 

「お、おう!」

 

チャンミンに背中を押されて、地下駐車場へと降り立ったのだった。

 

あらら。

 

ずんずんと先を行くチャンミンの両耳が赤くなっていて、こぶしを握った両手をぎくしゃくと振っている。

 

か、可愛い...。

 

「早く!

日が暮れてしまいますよ!」

 

小憎たらしいことを言う時は、大抵の場合照れているらしい、と心のチャンミン録にメモをした。

 

 

チャンミンは当然、ぬかりなく社用車の鍵を借り出してきていた。

 

バンだから後部座席はなく、荷台にバッグを放り込んだ俺は、運転席に乗り込んだ。

 

「お願いします」

 

助手席に座ったチャンミンは、早速カーナビを操作して目的地を設定し始めた。

 

チャンミンの両膝が内股になっているのを見て、チャンミンはホンモノのカマなのかどうか、急に気になりだした。

 

最初から言い切っているように、俺はチャンミンのことが好きだ。

 

恋愛対象として、好きだ。

 

これまで深く考えずにいたけれど、ベッドインしてからの流れが不安になってきた。

 

俺とチャンミンは付き合ってるんだから、近いうちに『そういう関係』になるわけで...。

 

そうそう!

 

チャンミンにはっきりと「好きだ」と言わないとな。

 

恋の媚薬の勢いで『お付き合い』が始まったことになってるし、「僕たちは『カップル』ですよね?」「そうだよ」、なあんていうやり取りで、そういうつもりでいる俺たち。

 

やっぱり、ズバリ口に出さないと駄目だよなぁ...。

 

「なあ、チャンミン。俺さ...お前が好きだ」「ユンホさん!ぼ、僕も好きです!...あっ...ユンホさん!運転中にキスなんて、駄目です!あっ...ああーー!!」とかなんとか...っておい!

 

「おっと!」

 

交差点を直進しそうになって、ハンドルを切って右折車線に入る。

 

「ユンホさん!

北工場はこっちじゃないです!

高速に乗るんですよ!」

 

チャンミンは俺の肩をつんつんと突く。

 

「分かってるよ!」

 

本社から車で10分の出荷倉庫に車を乗り入れた。

 

俺は車を降りると、ハッチを開けてカートを抱えて荷受け場に走る。

 

俺の行動が読めないチャンミンは、助手席に収まったまま首を傾げている。

 

目的のものをカートに乗せ、バンまで小走りで戻る。

 

「チャンミン、ぼーっとしてないで手伝え」

 

「はい!」

 

バンの荷台へカートに積んだ段ボール箱を積みこむ。

 

「ユンホさん!

頭がおかしくなったんですか?」

 

「おかしくなってないよ!」

 

「僕たちが運ぶ荷物は、北工場に配達されたものですよ?

これじゃないです!」

 

「わかってるよ!」

 

「じゃあ、どうして?」

 

疑問に思いながらも、俺の勢いにのせられて軽々と荷物を抱え上げるチャンミン。

 

スーツを脱いで(汚れるのが嫌なんだろう)シャツを肘までまくり上げている。

 

上げ下ろしの度に、チャンミンの一の腕が筋張っていて、やたら発達した筋肉に俺の手はついつい止まってしまう。

 

「これはな、カムフラージュなの。

用事もないのに車借りて行ったら変だろう?

C社なら北工場に近いし、あそこに行く為だって名目をたててるの。

あそこにはずっと顔を出していないし、納品しがてらサンプルを置いていくつもりなんだ」

 

「さっきの電話は、そういうことでしたか!」

 

「その通り」

 

「お主も悪よのぉ...」

 

「!」

 

今、何て言った!?

 

にたにたと笑うチャンミンだが、俺の方と言えば彼らしくない台詞にフリーズするしかない。

 

チャンミン、お前は全くもって退屈しないやつだ。

 

「じゃあ、僕はどうなるんです?

ユンホさんの納品と営業についていったら、変でしょう?」

 

「え?

チャンミンは急病で早退してるんだから、それでいいじゃん」

 

「まあ、そうですけど...。

明日の出社時間に遅れたら、変でしょう?」

 

「お前の明日は、病欠だ」

 

「ええーーっ!

無遅刻無欠勤が僕のモットーなんです」

 

「諦めろ。

よいしょっと...これで最後だ。

よし、行くぞ!」

 

突っ立ったままのチャンミンに声をかけた。

 

恐らく、明日遅刻、もしくは欠勤(仮病)するのが嫌なんだろう、難しい顔をしている。

 

「ユンホさんの為なら、どこへでもついていきます、って言ってたの、嘘だったのか?」

 

チャンミンを煽るつもりで、言ってみた。

 

「言い回しがちょっと違います。

『ユンホさんと一緒なら構いません』と言ったんです!」

 

「同じことだろ?

いちいち細かい奴だなあ」

 

「よく言われます」

 

「明日休むのが嫌なら、お前だけ社に戻るか?

ここからは俺一人でいいからさ」

 

チャンミンの反応が見たくて、本心とは裏腹なことを言ってみた。

 

「駄目です!」

 

予想通りの回答だ、とほくそ笑んでいたら...あれ?

 

顔を真っ赤にさせて、俺をぎりりと睨みつけている(全然、怖くないんだけど)。

 

「ユンホさんはっ!

僕と一緒にいるのが嫌なんですか!」

 

「だって、無遅刻無欠勤を維持したいんだろ?」

 

「そうですけど...。

でも、ユンホさんの為に、僕は不良社員になります!」

 

「はあぁぁ...」

 

俺はため息をつくしかないが、これからのロングドライブ、愉快なものになりそうだった。

 

 

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