「どうなった?」
「何が?」
ぬぅっと俺の真ん前に突き出されたウメコの額を、人差し指で突いて奥へ押しやる。
ウメコの質問の意味は分かっていたけど、俺は分からないふりをしていた。
「チャンミン君のことよぉ。
で、どうなった?」
俺は今、バー『ウメコ』のカウンター席について(もっとも、カウンター席しかない)、厚化粧のウメコと対峙している。
ウメコは男で、当然「ウメコ」は本名ではない。
高校生の時、ふざけてつけたあだ名が定着してしまい、脱サラして始めたバーの名前も「ウメコ」だ。
ウメコの趣味は魔術、呪術もので、眉唾ものの呪文を唱えたり、得体の知れない液体を作っては俺を実験台にしている。
成功確率10%未満のそれらが、つい最近最高傑作を生みだして、それを飲まされた暁に俺が望んでいた結果に近づけた。
俺には好きな奴がいて、そいつは同僚で、面倒くさいことに男だったりする。
整った顔立ちをしているのに、ダサいヘアスタイルと新入社員みたいな紺のスーツ、堅苦しい敬語を話す男だ。
その男の名前はチャンミン、と言う。
そんなチャンミンに俺はかなり真剣に恋をしている。
その想いを敏感に察したウメコは、俺とチャンミンを騙して変な薬を飲ませたのだ。
変な薬とは『恋の媚薬』、つまり『惚れ薬』。
2人一緒に飲むと、相思相愛になるのだとか。
うさん臭さ300%のシロモノだったのに、意外や意外、効果はホンモノだったんだ。
もともとチャンミンに惚れていた俺に、その媚薬が効くはずがない。
ところが、チャンミンには、恐ろしい程に媚薬が効いた。
「好きです」と告白され、しなだれかかり、しまいには俺にキスをしてきた。
展開の早さについていけなくて、どぎまぎしているうちに、チャンミンの奴、俺を置いてひとり帰ってしまったのだ。
媚薬の効果は12時間、翌朝には消えてしまうシロモノ。
けれども、俺に対して抱いた恋心や、繋いだ手、キスした感触の記憶は残っているはずだと、ポジティブに解釈した。
「で、どうなったのよ?」
カウンターに肘をついてぼーっとしたままの俺に、しびれをきらしたウメコは俺の肩を力任せに突く。
ウメコは100㎏級の巨体だから、力も強い。
「いってえな!」
「次の日はどうだったのよ?」
「俺に弁当を作ってきた」
「うっそぉ!!
凄いじゃないの!」
「ま、まあな」
・
媚薬の翌朝、チャンミンから電話があった、それも午前5時。
常識の塊みたいな奴のくせに、電話をかけてくる時間じゃないだろう?
着信音でたたき起こされて、寝ぼけと不機嫌度MAXだったのが、チャンミンの声を聞いた途端、しゃきっと目が覚めた。
まず開口一番に、「苦手なものはありますか?」と尋ねられて、
「...香水臭い女」と、同課のA子を思い浮かべて答えたら、
「違います!
食べ物のことです!」とチャンミンの大声。
「特にないよ」
「了解です」
そして、ぷつりと通話が切れてしまった。
「なんだ、あいつ...?」
チャンミンの電話は、さっぱり意味不明だったけど、電話を貰えたことは滅茶苦茶嬉しかったのは確実。
ウキウキで出社して、即チャンミンを見つけ、「おはよう」と言い終える前にチャンミンに腕を引っ張られて、給湯室に連れ込まれた。
(おいおいおいおい!
給湯室でキスでもするのか?)
なんて期待してしまう俺は、どうかしてる。
ビールをがぶ飲みしていたはずなのに、チャンミンはすっきりとした顔で、今日もびしっとスーツを着込んでいる。
「ユンホさん。
本日のご予定は?」
「えっと...A社に新商品の提案に行って...B社には謝罪の念押し...それから、出荷場をのぞきに行ってくるくらい、かな」
「ふむ。
ということは、車を使いますね」
チャンミンは満足そうに大きく頷いている。
「そうなるね。
それがどうかしたのか?」
「僕はその...ユンホさん、引かないでくださいね」
「?」
「じゃーん!」
(『じゃーん』?
今、『じゃーん』って言ったか?)
俺の目前に突き出されたのは、風呂敷包みのでっかいもの。
「何?
B社へお詫びの品か?
あそこへは、とっくの前に持っていったぞ?」
このサイズ、フルーツバスケットかな、と。
つい先週、俺はB社相手にとある失敗をしでかしてしまったのだ。
「違います!」
俺と背丈は変わらないのに、なぜか上目遣いでむぅっと膨れている(か、可愛い)。
「これはお弁当です!
ユンホさんの為に、作ってきました」
「弁当!?」
チャンミンに手渡された、ずしりと重くかさばる包みを見下ろす。
「昨夜、僕、言いましたよね。
ユンホさんにお弁当を作ってあげたいって。
だから、作ってきました」
これは昼の弁当サイズじゃない、数人分の運動会やお花見レベルだ。
「ピクニックに行くんじゃねぇんだぞ?」
素っ頓狂な声を出した直後、「しまった」と後悔してしまったのは、チャンミンが心底悲しそうな顔をしていたから。
「迷惑...ですよね...。
すみません...出過ぎた真似をしました...」
「ごめんごめん!」
しゅんと、なで肩をもっと落として、頭を垂れてしまったチャンミンの肩を揺する。
「すげぇ、嬉しいよ!
ありがとう!」
「ホントですか!?」
即行頭を上げたチャンミンは、目をキラキラとさせていた(か、可愛い)。
「嬉しいよ。
量が多くてびっくりしただけだ」
「すみません。
ユンホさんの好みが分からなくて、全ジャンルを網羅してみたら、つい作り過ぎてしまいました。
お昼に食べてください」
チャンミンはてへへ、っと鼻の頭をかくと、くるりと回れ右をして給湯室から去っていってしまった。
(こんなに沢山...どうしよう...)
残してきたりなんかしたら、チャンミンを悲しませてしまう。
知恵を絞った俺は、昼間際に出荷場のある自社倉庫に立ち寄り、そこのスタッフたちと共にこの巨大弁当を食べたのだった。
帰社後、給湯室で汚れた重箱を洗いながら、若干ズレてはいるが、チャンミンの心遣いにじんときていた。
空っぽになった弁当箱に、チャンミンは指先をぴんと揃えた両手で口を覆い、「まあ」といった風に目を丸くしていた。
両眉をめいっぱい下げて、それは嬉しそうな表情だった。
ちゃんとお礼を言っていなかったことに気付いて、「ありがとう」と空の弁当箱を返したんだった。
思い出すだけでニヤけてしまうエピソードだ。
(つづく)