席について食事をする間も惜しくて、片手で食べられるものを適当に買い込んで車に戻った。
気をつけないと、積もった雪で足を滑らせてしまう。
「まずいな...」
車を離れた十数分のうちに、バンの屋根とフロントガラスに雪が降り積もっている。
「...遅いなぁ」
俺はイライラとハンドルを指で叩きながら、チャンミンの戻りを待っていた。
自動ドアから背の高い男が飛び出してきて、周囲をキョロキョロしている。
俺を探しているんだな、ワイパーを動かして雪をかき、運転席から手を振った。
「お!」と言った感じにチャンミンの顔が輝き、両手に下げたビニール袋を持ち上げて何かをアピールしている。
早く戻ってこいと手を振ると、チャンミンは大きく頷いた。
待てチャンミン...無防備に駆けだしたりしたら...。
「あ!」
すってんころりん。
だから言わんこっちゃない。
アニメのような、見事なコケっぷりを披露してくれた。
チャンミン...すまん...笑ってしまった。
「コケちゃいました」
てへへと後頭部をかく仕草に、か、可愛い...と胸がきゅんとする。
地面にちらばった買い物袋を両腕に抱きしめ、今度は転ばないようすり足で車まで戻って来た。
「お待たせしました!」
チャンミンは助手席に飛び乗ると、パンパンに詰まった買い物袋を俺におしつけ、コートに付いた雪を払っている。
転んだ拍子に乱れたチャンミンの髪にも、雪が積もっていた。
それを払ってやろうと手を伸ばしたら、チャンミンは首をすくめた。
暑いくらいに暖房をきかせていたから、頭の上の雪なんかすぐに溶けてしまう。
チャンミンは首をすくめたまま、目もつむっちゃって、あまりにも可愛かったから、彼の髪を梳く手を止められない。
前を通り過ぎた車のヘッドライトが、チャンミンの見開いた眼を舐めていった。
俺の手は自然とチャンミンのうなじに移り、その手に力がこもり、自分の方に引き寄せてしまっても仕方がない。
チャンミンの唇から5センチの距離で、「嫌?」と尋ねた。
「い、嫌じゃ...ないで...す」
チャンミンの返事を確かめて、俺は頬を伏せた。
一度口づけて、次はチャンミンの唇全体を食むように覆いかぶせた。
もう一度離して、チャンミンの上唇を、そして下唇を食む。
チャンミンの唇は引き結ばれたまま、固まっている。
チャンミンの指がかぎ型に曲げられ、そのまま静止している。
緊張しているのか?
「キャッ」という悲鳴に顔を起こすと、フロントガラスの向こうで女三人組の視線とぶつかった。
男同士のキスの何が悪い。
ワイパーを切って、雪が降り積もるままに任せた。
チャンミンの唇をこじあけて、舌を入れようか迷ったが、この様子じゃまだ早いかな。
きっと、歯を食いしばっているだろうしね。
チャンミンはキスの経験がないのだろうか...上手いとか下手のレベルじゃない、キスを受け入れる体勢になっていない。
「出発しようか?
時間がない」
チャンミンの上に伏せた上半身を起こし、シートベルトを締めた。
「ん?」
金縛りにあったかのように静止したままのチャンミン。
シートに深くもたれたチャンミンの視線は、ぽぉっとあらぬところに向けられている。
「おい!」
ぐらぐらと肩を揺すったら、「ああ!」と正気を取り戻し、落ち着かなさげに髪を梳き始めた。
こりゃ照れてるな、とくすっとしてしまう。
「向こうに着くまでノンストップだ」
「はい」
サービスエリア内を慎重に徐行し、雪が斜めになって降りしきる本線へ合流する。
「ユンホさん」
「ああ?」
「僕たち...キスしちゃいましたね」
口に出して言うか、普通?
仕掛けた俺の方が、照れてくる。
「...したな」
「キス...しちゃいました」
「ああ」
「ユンホさんから、キスしました」
「ああ」
「僕とユンホさん...2度目のキス...」
「ああ」
「キスしちゃいましたね」
「ああ」
「ふふふ。
ユンホさんからキス...」
「ああ」
「ユンホさん、僕とのキスどうでした?」
「いい感じじゃなかったかなぁ」
「よかったですか?」
「ああ」
「僕も...いい感じでした。
ドキドキしました」
「そりゃ、よかった」
「ふふふ。
キス...しちゃいました...ぐふふふ」
チャンミン...しつこい。
しつこいけど、乙女のように嬉しそうだし、俺も嬉しいよ。
「キス...ふふふ」
「おい!
俺たち仕事中なんだぞ?」
「わかってますよ。
只今、休憩中なのです」
サービスエリアを出て1時間ほど、ぺらぺらとチャンミンは饒舌だった。
へぇ...チャンミンはおしゃべりなんだと意外に思って、心のチャンミン録にメモった。
話の内容は大したことないが、チャンミンにしてみれば大事件らしく、事細かに説明してくれるのだ。
一応、どんな内容だったかをここでプレイバックしてみる。
「僕の趣味を披露しちゃいますね」
「いいねぇ。
教えてよ」
「僕、追っかけしてるんです」
「へぇぇ(そんな感じがしたから、意外じゃない)」
「追っかけしててハプニングに遭っちゃったんです。
誰の追っかけをしてるのか、って訊かないでくださいね。恥ずかしいですから。恋人のユンホさんにも内緒です。秘密がある男って魅力でしょ。だからっていう意味じゃありませんが、いくらユンホさんでも、引いちゃうと思うのでシークレットです。ただのミーハーじゃないですよ。アーティスト性が素晴らしいのです。おっと、こんな話がしたいわけじゃなくて、僕のハプニングです。その追っかけをしてるアイドルのライブがあったんです。あ!アイドルって言っちゃいました。そのアイドルの名前は秘密ですね。言っても多分、ユンホさんは知らないと思います。すごいんですよ、彼らは...あ!アイドルが男ってバレちゃいました。ユンホさん、引かないで下さいね。僕は男だから好きっていう意味じゃなくて、純粋に素晴らしいと思ったから、ファンをしているだけであって、誤解しないでくださいね。彼らとどうこうなりたいなんて、よこしまなことは妄想していませんからね」
「前置きはいいからさ、そのハプニング話ってのを教えてくれよ」
「おー、そうでした!
先週、ライブがあって行ってきたんです。アイドルとファンとの距離がすごいんですよ。団扇にねメッセージを書くんです。今回は縁に白いファーを付けました。冬ですからね。雪っぽくしてみたんです。彼らはちゃんと見てくれて、目立てば目立つほど見てくれて、指さしてくれるんです。でね、そんな時嬉しくって。次は何を作ろうかなぁって楽しいんです」
「で、ハプニングは?
うわ~、降るなぁ」
ワイパーを最速にしてもかき切れないべた雪で、前方の視界が悪い。
前のめりになっての神経をつかう運転と、一向に本題に入らないチャンミンに若干苛ついていた。
「前置きが長くてすみません。
地下鉄の乗り換えの時、バッグを落としてしまいまして、その時トートバッグだったのですが、中身をぶちまけてしまって...。
僕の恥部をさらしてしまったのです」
「チブ?」
「渾身の団扇を、公衆の面前にさらしてしまったことです」
「うわぁ...。
そりゃ、恥ずかしいね」
「僕のやってることが、世間一般的に恥ずかしいことだって認識してますからね」
「で、ハプニング話って...このこと?」
「はい
ユンホさん、ヤキモチ妬かないで下さいね」
「ヤキモチを妬く必要が、どこにある?」
「彼らもカッコいいですが、ユンホさんの方がカッコいいですからね」
「...なるほど...」
北工場まで、残り200㎞。
(つづく)
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