(1)会社員-愛欲の旅-

「で?」

 

「『で?』って、何の『で?』だよ」

 

カウンターの向こうで、ウメコは塗りたてのマニキュアの爪にふっと息を吹きかけている。

 

酒瓶を並べた棚の上に置かれたTVから、任侠映画が流れている。

 

店を入って右手に3メートルほどの長さのカウンターがあるきりのこぜまい店内で、客は俺ひとり。

 

俺はどろどろに甘ったるいカクテルをすすっていた。

 

ウメコというのは学生時代からの友人で、彼が脱サラしたバー『ウメコ』に週一ペースで顔を出すくらいの仲だ。

 

彼、と言ったのは、青々しい髭の剃り跡が厚化粧でも隠し切れない証拠に、ウメコは男。

 

俺とウメコは“そういう関係”ではない。

 

原則として、俺の恋愛対象は女性だ。

 

『原則として』と前置きしたのは、現在進行形の恋愛が『例外』に近いものだったから。

 

俺は今、同僚のひとりに真剣に恋をしていた。

 

その同僚の名前はチャンミンといって、年齢は俺と同じくらい。

 

『例外』と言ったのは、名前の通りチャンミンは男なのだ。

 

しかも、単なる男ではなく、軌道が数ミリズレたところを爆走する変わり者なのだ。

 

トリッキーな見た目と言動をする、という意味じゃない(髪型や服装はダサいが)

 

こういう受け答えが一般的だろうと予想したものとは違うリアクションが、ワンテンポ遅れたタイミングで返ってくる。

 

どんな変化球でも落とさず食らいついてゆこうとなれば、正面切って彼と向き合う必要がある。

 

そうなのだ。

 

俺は正々堂々と、全力でチャンミンと恋をしようと心に決めたのだ。

 

とはいえ、男を恋愛対象とするのは初めて。

 

この恋は片想いの段階はとうに済んで、俺とそいつは『お付き合い』しているところまで進展しているのだ。

 

(ここまでの経緯を語ると長くなるので、割愛する)

 

交際したてのホヤホヤ期なのにもかかわらず、俺が今、旧友の前でため息をついているのには訳がある。

 

 

 

 

「チャンミン君とヤッてどうだった?」

 

「......ヤッてないよ」

 

ぼそっとつぶやいて俺は、カウンターテーブルに身を伏せた。

 

ウメコの店に来ると大抵俺は、愚痴ってばかりだ。

 

オフィシャルな俺は人付き合いのよい、明朗快活、ポジティブシンキングな人物に見られている。

 

もし、まんまその通りだったら、単なる能天気な幸せ者だ。

 

(チャンミンの場合、俺よりも屈折した奴なので、彼のキャラについてはおいおい説明する)

 

俺にだって悩みはあるし、同僚、後輩たちに愚痴るわけにもいかず、独身だから部屋には誰も待っていない。

 

だからこうやって、弱みを見せられて、愚にもつかない会話、お友達価格で俺好みのドリンクを出してくれる場所は貴重なのだ。

 

「うっそぉ!

あの電話の後、てっきりあなたたちヤッたんだと思ってたのよ!」

 

「できるかよ!」

 

ウメコは呪術研究家で、怪しさ満点の丸薬や呪文の新作が生まれるたび俺を実験台にしてきた(これも説明が長くなるから省略する)

 

先日は、『元気が出る』呪文を教えてもらったところ、俺が唱えるべきものを、何をどう間違ったのかチャンミンが唱えてしまった。

 

そうしたところ、あら大変。

 

見た目はバンビで、下半身は虎になってしまった。

 

(あまりのトラぶりに、パンツを脱いでもいないのにアメパトに捕まってしまった)

 

マグマのように煮えたぎるヨクボウを処理しきれなかったチャンミンは、ショートしたみたいにプツン、と色っぽいシーンから離脱してしまった。

 

(ヨクボウとは、『欲棒』ではなく『欲望』だから、お間違えないよう。似たような意味だから、どっちでもいいか)

 

俺の方も同様で、男の身体をまさぐるのも初めてだったし、初めてを社用車でいたすのはちょっと、ムードがない。

 

『俺たち、好き合ってるんだよね?』

『はい、僕はユンホさんが好きです』

『次の休み、デートしようか?』

『わぉ、楽しみです。でも...初デートでえっちは早いですよ?』

『もぉ、チャンミンこそえっちだなぁ』

『いやん、ユンホさんったらぁ』

 

...みたいな段階にはきていた。

 

(実際にこんな会話があったわけじゃなく、こういう関係性という例え)

 

だから、ほっとしたのだ。

 

知識はあるけれど、それを実行に移せるかどうかは甚だ自信がない。

 

だからといって、ハウツーについてその手のエキスパートであるウメコに伝授してもらう為に、ここに来ているわけではないのだ。

 

「確かに、車の中は狭いわよねぇ...。

あなたもチャンミン君も大きいからね」

 

それほど酒に強くない俺の為に、氷水を手渡しながらウメコは言った。

 

「言っとくけど、この『大きい』ってのは背の高さのことよ。

アソコのことじゃないから」

 

「おい!」

 

「あなたのサイズは、修学旅行でも、野郎どもでくだまいてた部屋でもさんざん見たから知ってるけど...。

チャンミン君の方は、どうかしらねぇ...。

Petitでも可愛いし、あの顔であなた以上のサイズだったら、それはそれで...」

 

「おい!

チャンミン相手にやらしい妄想をするなって!」

 

ニヤニヤ笑うウメコの肩を突く。

 

チャンミンの股間に関しては、社用車の中でなんとなくのサイズ感は確認済なのだ。

 

「で、ユノの相談事っていうのは、方法をレクチャーして欲しいってことね?」

 

「やり方くらい分かってるよ!」

 

『...頼む、ワシを男にしてくれ』

 

と、頭上のTVでヤクザ山守の名台詞が...。

 

ウメコはTVのボリュームを下げた。

 

「じゃあ、何に困ってるのよ?」

 

ウメコ相手に遠回しで開示していたら、茶化されるだけで話が進まない。

 

具体的な例を挙げながら順を追って、説明していこう...よし。

 

グラスに残ったカクテルをぐびっと一息で飲み干した。

 

「俺んちにチャンミンが来たんだ」

 

ひゅうっとウメコの口笛。

 

「...で、不発だったの?」

 

「俺の話を最後まで聞けったら。

成功したとか不発だとか、そういうんじゃないんだって」

 

「性交?」

 

「そっちのセイコウ、じゃない!」

 

 

(つづく)

 

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