「他に空いてるとこはないのかよ?」
「確認してみます」と、チャンミンはドア下の隙間を覗こうと身をかがめた。
「!」
狭い個室...チャンミンの尻が、俺の前に押し付けられているという...由々しき状態になっていることに。
「ユンホさん!
もうちょっと後ろに下がって下さい』
なんて、尻相撲するみたいに俺を押すから、俺のあそこはスラックス越しのチャンミンの窪みにおさまってしまったではないか。
(まさしく、立ちバック...)
「下からじゃよく見えません。
上から見てみましょう」
身体を起こしたチャンミンは、仕切り壁の上を指さした。
「ユンホさん、僕を抱っこして下さい」
(抱っこ!?)
「やだなぁ。
ユンホさんの...えっち...。
『抱いて』じゃなくて、僕を持ち上げて欲しいのです。
おトイレで初えっちだなんて、僕の理想じゃありません」
「チャンミン!」
左胸辺りを撫ぜるチャンミンの手を、俺は見逃さなかった。
チャンミンから奪い取らなければならない件のものは、あそこだ。
「デヘデヘしていないで、僕を持ち上げて下さい!」
「お、おう!」
チャンミンの腰に腕を巻きつけ抱き上げると、彼は仕切り壁の上辺から外を覗き込んだ。
チャンミンはドア向こうの会話を聞いているようだ。
「どうだ?」
「個室は全部で5部屋。
外のご年配方は、この部屋を狙っている風でもなさそうです」
順番待ちをする彼は、例えば奥から2番目の個室しか使わないとかこだわりを持つ人物かなぁと...そうじゃなかったらしい。
「じゃあ、なんで?」
「焼肉しゃぶしゃぶ食べ放題ツアー客らしいです。
...モツ鍋がどうのこうの、と言ってます。
それから...ビール工場を見学したそうです」
「ご年配に脂っこいものはヘヴィだろう。
しこたま食ってビールがぶ飲みじゃあ、腹を壊すだろう」
バタン、ガチャとドアを開け閉めする音、水洗のザーザー音。
「ここを占拠しているわけにはいかないな...」
「強行突破しかありませんね」
「そうだな...」
俺たちは顔を見合わせ、頷き合った。
個室の一つから二人の男が登場するという不自然さも、切羽詰まった彼らはそれどころじゃない、深い意味に捉えないだろう。
「へい、お待ち!」
鍵にかけた手は、チャンミンによって阻まれた。
「何だよ?」
「もう一回、チューして下さい」
毎度チャンミンに唇を奪われるばかりの俺じゃないのだ。
俺は振り向きざまに、チャンミンの後頭部を引き寄せた。
このキスは俺のリードだ。
唇が重なる前に、待ちきれなかった舌同士が合わさった。
チャンミンの唇を、尖らせた舌先でつつっとたどると、彼の身体から力が抜けてがくんと落ちた。
ウエストをさらって、チャンミンを支える。
「ふっ...うん...」
半眼に落とした上瞼が濡れたように艶めいている。
その下の眼が焦点が合っていないのは、恍惚の世界を覗き込んでいるせいだろう。
くちゅくちゅと粘膜同士が立てる音は、騒がしいここでは気にしなくていい。
俺の首はチャンミンによって、これ以上振り返られない程引き寄せられていた。
ヤル気スイッチが入った俺は、身体を回転させてチャンミンと対面した。
反対側に頬を傾け、唇を重ねなおす。
「...っふ...ふっ...」
こんなエロいキスを交わしていたら、社員旅行中だという現実を忘れてしまいそうだ。
6組延べられた布団、その上でくんずほぐれつ抱き合う俺たちの姿が思い浮かんだ。
見られてはいけない焦りと緊張が、興奮度を加速させる。
欲情を煽られながら、チャンミンの襟元を覗き込んでみても、俺の狙いのものは当然、目視できない。
スイッチが入ったチャンミンは、エロい...そして、キスがうまい...と、心のチャンミン録にメモした。
(上顎を舐められるのが好きらしい...と、追記した)
まずいな...。
キスを止められない!
血流集まる股間の昂ぶり。
「実行委員!」
「!!!」
「!!!」
俺たちは、ハッと唇を離す。
「実行員!」
「チャンミンさ~ん!」
「待ってんだよ!」
腕時計を確認すると、集合時間を10分過ぎていた。
「しまった...!」
ここまでの行程で、集合時間を一度たりとも守らなかった酔いどれたちは、今回に限っては律義に集合したらしい。
俺とチャンミンは、顔を見合わせたままだ。
チャンミンの瞳は思索にくれているのか、揺れている。
「混んでるなぁ」
「いませんね」
「売店にはいなかった」
「じゃあどこにいるんだよ?」
「他のツアーバスに乗っていってしまったとか?」
「そこまで馬鹿じゃないだろう」
「ユンホ先輩もいません」
「綺麗な姉ちゃんを引っかけにいってるとか?」
『綺麗な姉ちゃん』に反応したチャンミンの頬が、ピクリと引きつった。
「どういうことですか!?」
ぎろりと、見事な三白眼で俺を睨みつけている。
「どうもこうも、俺は『今』、チャンミンといるじゃないか!」
「ユンホさんが軟派なキャラだと思われていることが、大問題なんです」
「チャンミン、しっかりしろ!
今はそれどころじゃないだろう!」
小さなことにこだわり出したチャンミンの肩を揺さぶった。
酔っ払いの行動は大胆だ。
塞がった個室のドアひとつひとつ、ノックしかねない。
「置いていくぞ~」
「実行委員を置いていっていいのか?」
「それはそれで、面白いな」
今ここで二人揃って登場したら、いかがわしいことをしていたと誤解される。
(いかがわしいことをしていたのは事実。彼らはキス以上のことを想像するに決まってる!)
チャンミンはこくんと頷き、便座の蓋を開けた。
ここからの行動は素早かった。
「うわっ!」
叫んでしまったのは、背中をドンと突かれ、後頭部を下へと押されたからだ。
「な、なにする...っ!」
チャンミンは水洗ボタンを押すと、がちゃん、と派手な音を立ててドアを開けた。
「!!」
「ユンホさん!」
丸めた俺の背を撫ぜて「困った人ですねぇ」と、ボリューム高く言うと、俺の耳元で、
「具合悪くしててください」と囁いた。
「えっえっ?」
「よく噛んで食べましょう、と注意したでしょう」
チャンミンの作戦が読めた俺は、げーげーいうふりをした。
「実行委員!
そこにいたんだ」
「すみません。
ユンホさんが気持ち悪いと言い出しまして...」
おえおえっと、えずいてもみせた。
「なんだ...そうだったのか」
「はい。
ずっとこんな調子です」
俺はうつむいたまま胃の辺りをさすり、はあはあと肩で息をしてみせた。
「ピーナッツを一袋全部食べちゃうなんて...。
困った人ですねぇ」
ピーナッツを一袋平らげたのは、チャンミンの方だろう?
心の中で呆れ、窮地を脱したと安堵のため息をついた。
(つづく)