翌朝。
眼前のタイルの目地であみだくじをしていたら...。
「ユンホさん...」
耳元でささやかれ、首筋に温かい吐息。
「チャンミン!
こぼすところだったじゃないか!」
ここは男子トイレ、俺は用足し中だったのだ。
ぼうっとしていて、背後に近づいたチャンミンに全く気付かなかった。
(違うな...チャンミンは俺に気付かれないよう、抜き足差し足、忍者のように忍び寄ったんだ。『ユンホさんを驚かしちゃお』なんて可愛いいたずら心を起こしてさ)
「......」
「...ん?」
俺の肩に顎を乗せたチャンミンの視線は、俺のあそこに注がれていて...。
「見るなって!
恥ずかしいだろ」
肘でチャンミンを押し避けて、下着の中に納めスラックスを元にもどした。
「ユンホさん、おはようございます」
「おはよう」
俺の後にくっついてくるチャンミンに、「あれ?お前はしなくていいの?」と尋ねた。
「ユンホさんにお話があったのです」
手を洗う俺の背後に、ぬっと立つチャンミンが鏡に映っている。
いつもと変わらない七三分けヘアに紺のスーツも白シャツもシワひとつない...ビシッとしているのに、どこか垢抜けないのだ。
「話?
何?」
話があるって一体、今日は何を言い出すんだろう?
愉快な気分になるけれど、ウメコに何やら仕込まれているチャンミンだから、何を言い出すのか想像つかない。
濡れた手をハンドドライヤーで乾かそうとしたら、さっとハンカチが差し出された。
遠慮なくイチゴ柄のハンカチを借り、相変わらず気が利くなぁと感心した。
(チャンミンがイチゴ推しには、ちゃんと理由があるのだ。『情熱の残業』編を参照のこと)
「ユンホさん。
喜んでください!」
「?」
「ユンホさんと僕。
おんなじ部屋ですよ」
同じ部屋?と首を傾げていると、
「旅行ですよ、社員旅行」
「へえぇ。
部屋割り、もう決まってるんだ?」
「実行委員の特権を利用して、ユンホさんと同じ部屋にしたのであります。
えっへん!」
「えっ!?
チャンミン、実行委員だったの?」
チャンミンの「えっへん」はスルーした。
「そうですよ。
ユンホさんは再来年くらいに回ってくるでしょうね」
「面倒くさそうだなぁ」
実行委員メンバーは、各部署から1名ずつ選出された者たち。
(実行委員なんて皆のお世話係、遠足に引率する担任教師のような役割。皆がやりたがらない役目なのだ。立候補する者などおらず、部署によってローテーション制やくじ引きで決定しているらしい)
「僕らが男同士で助かりましたね」
「?」
「ユンホさんが男だったおかげで、疑いをもたれる恐れなし、です。
正々堂々と同室です!
6人部屋、というのが面白くありませんけど...」
鼻にしわを寄せたチャンミン...か、可愛い。
「お布団は隣同士に敷きましょうね。
ユンホさんの浴衣姿...ぐふふふ。
はだけた胸...ぐふふふ。
ユンホさんと温泉...ぐふふふ。
背中を流しっこするのです...ぐふふふ。
旅行まで我慢するつもりでしたが、さっき息子さんを見ちゃいました...ぐふふふ」
そうだよなぁ、じっくり観察していたからなぁ。
「あとはバスの席順を隣同士にするだけです。
ユンホさんを狙う女豹がいっぱいいるから、ちょっと骨が折れますが頑張ります」
口を覆う両手の指先から、半月型に笑った眼が覗いていて、か、可愛い...。
今朝は始業前からチャンミンに萌えてしまった。
「いつまで便所にいるつもりだ?
オフィスに行くぞ」
チャンミンの腕をとり、トイレを出ようとしたら...。
「わっ!」
俺の方が腕をとられ、あっという間にチャンミンに抱きすくめられていた。
「???」
「チューしてください」
「ちゅー」の形に尖らせた唇がずいっと迫ってきた。
「待て待て!
ここは職場だぞ?
お前の主義に反するんじゃないのか?」
「始業前なので『可』とします」
「なんだよ、それ...」
俺の返事もきかずに重ねられた唇。
チャンミンの常識や信念はわりと柔軟で、その時々で緩くなることがある、と心のチャンミン録にメモした。
この大胆さはウメコの呪術のせいか...?
違う、呪術は未だ効いていないはずだ。
じゃなきゃ、重ね合わすだけのキスで済むはずない。
俺とキスを交わして満足したらしいチャンミンの、廊下をずんずん歩く彼の猫背を見ながら安心した。
(つづく)
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