~チャンミン~
僕の片想いを応援するからと言って、ウメコさんの提案は耳を疑うものだった。
「惚れ薬!?」
ウメコさんは、大きく頷いた。
「ウメコさんは、危ないクスリを密造する人なんですか?
危険な植物を育ててたり、パウダーを調合したり...。
捕まらないのですか?」
どうりで棚をぎっしりと埋めているガラス瓶の数が尋常じゃないはずだ。
「密造!?
何てこと言うのよ!
違うわよ!
...私はねぇ...魔女なの」
「えぇぇっ!」
床に固定されたスツールに後ずさりを邪魔されて、僕は後ろにひっくり返りそうになる。
どうしよう。
ウメコさんはどうやら頭がおかしい人なのかもしれない。
「言葉の意味そのまんま受け取ってどうするの!
『呪術研究家』っていう意味よ」
「びびびびっくりしました」
胸をなで下ろしつつも、胡散臭さ1000%で思いっきり顔をゆがめていたら、ウメコさんに「こら!」って鼻をつままれた。
「これが、そう」
カウンターテーブルにことり、と置かれた小瓶が2本。
「こっちが『媚薬A』
緑がかってる方が『媚薬B』」
小瓶を満たすのはラピスラズリ色の液体だった。
「2種類あるんですか?」
「ちょっとだけ作用が違うの。
でも、『惚れ薬』であるのは変わらない」
暗すぎる狭い店内、カウンターテーブルの上のキャンドルの揺らめくオレンジ色の妖しい灯り。
非科学的過ぎるし、大の大人が大真面目に『惚れ薬』だって胸を張られても、普段の僕だったら相手にしなかった。
ビールを一気飲みしたせいでほろ酔いだし、僕の禁断の恋心を見抜かれて動揺していたし、眼光鋭いウメコさんの眼差しに、僕の意識はふらふらだ。
信じてもいいかな、って気になってきたんだ。
「いい?
1杯目はユノ。
2杯目はチャンミン君が飲むのよ」
「間違えたらどうなります?」
胡散臭いなと思いながら、僕は2本の小瓶を灯りに透かしてみたり、キャップを開けて匂いを嗅いでみたりした。
「ユノの方は『惚れ薬』だから、チャンミン君が飲んだら意味がないじゃないの?
ユノのことが既に好きなあなたが、あらためてユノに惚れる必要がないわよね」
「そっか...。
で、僕の分はどんな成分が入っているんですか?」
「成分、っていう言い方は気に入らないわね。
チャンミン君の方は、ちょっとした淫乱剤」
「淫乱!?」
僕の頭に、目をぎらぎらさせてよだれを垂らして、ユンホさんに飛び掛かる自分の姿がぼわーんと浮かぶ。
「ちょっと、それは...困ります。
ユンホさんに嫌われてしまいます」
「嫌われるもなにも、惚れ薬でユノはあなたにメロメロになってるんだから、気にしなくてもいいことよ。
それにねぇ...。
ユノはね、わりかし鈍感な子なのよ。
ストレートに言わなくっちゃ、あなたの『好き』は伝わらない。
だってあなた...」
ウメコさんにあご先をつつっと撫ぜられて、「ひぃっ」と悲鳴をあげてしまう。
「モジモジ君なんだもの...。
ちゃんとユノに告白できる?」
「...無理です」
「でしょう?
私の見立てだと...5年はかかりそう。
チャンミン君が5年もウジウジしているうちに、ユノは結婚しちゃってるかもね」
「ええぇぇぇぇ!?」
「可愛い奥さんでぇ、子供もぽこぽこ作っちゃってぇ...」
「うわぁぁぁぁ!!!
駄目です!
駄目駄目駄目!!!
ユンホさんは結婚したりしたら、駄目です!」
想像するだけで苦しくなってきて、僕はムンクの叫びみたいなポーズで大声で叫ぶ。
同じ課の一番美人(との評価だけど、僕は全然そうは思わない)のA子さんの顔が、ぼわ~んと浮かんできたからたちが悪い。
A子さんはユンホさんに気がある素振りをしてたんだから。
「それじゃあ、急ぎなさい!」
「はいっ!」
「チャンミン君が飲む方は、淫乱剤って言うけど、『自白剤』に近いかもねぇ。
『自白剤』...言っとくけど、ホンモノの『自白剤』じゃあないわよ。
捕まっちゃうじゃないの。
これは、魔薬。
想いを伝えたくて伝えたくてたまらなくなる媚薬。
目の前の人が...ユノのことが...愛しくて愛しくてたまらなくなるの。
モジモジ君のあなたの背中を押してくれるの」
「つまりそれを飲むと、勇気が湧いてくるってことですね」
「そういうこと」
「あの...ウメコさん。
心配なことがあります。
この薬を飲んだ僕は、勇気100倍になって、ユンホさんに告白できるようになります。
でも...告白されたユンホさんはどうです?
気持ち悪いですよね?
僕は男だし...ユンホさんにドン引きされるかもしれません」
「気持ち悪いなんてことないわよ。
なんてオカマなあたしが言っても、説得力ないわね」
「どうしよう...気持ち悪いって嫌われたら、どうしましょう?」
「だからこそ『惚れ薬』をユノに飲ませるんじゃないの」
「でも!
この薬を飲んだユンホさんは、そのつもりがなくても僕のことが好きになっちゃうんでしょ?
その『好き』はニセモノになっちゃいます。
そんなの...嫌です」
「チャンミン君ったら...もう」
「いででっ!!」
両耳をぎゅうっと引っ張られた。
「可愛い!
可愛いこと言ってくれるわねぇ」
「ウメコさん...痛いです」
耳をさすっていると、ウメコさんは真っ赤な唇の端をにゅうっと持ち上げた。
「惚れ薬の効果は約12時間。
明日の朝には消えてしまう。
惚れ薬によってユノはあなたに夢中になるのも一時的。
でもね。
チャンミン君との会話や、あなたに惚れたという感覚まで忘れてしまうわけじゃないの。
短期集中!
ユノにあなたの想いのたけをたっぷりぶつけるの。
想いが通じやすいこの時を大事にして、しっかり想いを伝えなさい!」
「はい!」
目の前がぱあっと開けた感じがした。
与えられたチャンスはとことん利用するんだ、シムチャンミン!
「ウメコさんは...どうして協力してくれるんですか?」
「...面白いから」
「...ひどいですね」
むぅっと膨れていたら、
「買ってきたぞ!」
買い物袋を下げたユンホさんが、ドアの向こうから現れた。
ドキドキ。
押し過ぎたかな。
ユンホさんにキスしてしまった自分自身を受け止めきれなくて、いたたまれなくなって、ユンホさんを残して帰ってきてしまった。
自分の大胆さに、思い出すだけで顔がかっかと熱い。
首に巻いたマフラーに鼻先を埋めて、深呼吸を繰り返す。
ユンホさんの匂いがする。
ユンホさんのマフラーを持ち帰ってきてしまった。
デザインが似ているから、ユンホさんのことだ、多分気付かないはず。
自室のベッドに寝っ転がった僕は、ユンホさんのマフラーに萌えているのだ。
我ながら変態じみていて、自分で自分に引きそうになる。
身体はまだ熱い。
ウメコさんの媚薬の力は凄かった。
ユンホさんに告白ができたし、ユンホさんから『好きだ』と言われた。
僕のことを、「前から」好きだったって言ってた。
本当かなぁ?
僕を喜ばせようとした、ユンホさんのサービス精神によるものかなぁ。
ユンホさんの香りに包まれて、うとうとしていたらいつの間にか眠ってしまい、肌寒さに目覚めた時には午前5時。
慌てて飛び起きて、僕はキッチンに向かう。
僕には計画があるのだ。
「おっと、その前に...」
業務連絡する際に、ユンホさんの電話番号をこっそりと記憶していたのだ。
知らない電話番号だから、警戒したユンホさんは出てくれないかもしれない。
大丈夫、ユンホさんは出てくれる。
「ぐふふふ」
媚薬(僕の場合は、自白剤)の効果はとっくに消えてしまっただろうけど、昨夜の勢いでユンホさんに迫らないと!
『ユンホさん。
お弁当を作ってきました。
苦手なものがなければいいのですが...
出先で食べてください』
台詞を頭の中で諳んじながら、発信ボタンを押した。
(恋の媚薬編おわり)
[maxbutton id=”22″ ]
[maxbutton id=”23″ ]
[maxbutton id=”2″ ]