~チャンミン~
病院までのタクシーの中、猛烈な睡魔に襲われた僕はうとうとしかけていた。
ジェットコースターみたいに感情が急上昇と急降下を繰り返して、ヘトヘトだったのだ。
これから数日間はお兄ちゃんちの家事手伝いで大わらわになって、思い煩う暇もないだろうから助かった。
ユノさんはタクシーに乗り込んでからずっと無言で、反対側のサイドウィンドウの外を見ている。
深夜過ぎに一人で行かせるのは心配だから送っていくって、僕を子供扱いするユノさん。
タクシーを使うから、外を歩くこともないのに。
でも、ちゃんと僕のことを思ってくれてることが分かって嬉しかった。
お兄ちゃんみたいに頼れる人。
ユノさんを見ていたら、YUNさんとのキスが遠い出来事になってきた。
それくらい、ユノさんとリアさんのことが衝撃だった。
ユノさんに質問したのに僕の欲しい回答は得られなかったし、彼の言い訳も聞けなかった。
病院まではあと30分以上はかかるから、時間は十分。
ユノさんに、もう一回質問してみよう。
「あ...!
忘れるところだった...」
YUNさんに連絡を入れなくては!
お義姉さんの出産の件で数日間お休みをもらうことは、面接の時に伝えてあったから、許可はもらえれるはずだ。
時刻はもうすぐ午前3時で、YUNさんは寝ている時間だろうからメールを送ることにした。
『夜遅いですので、メールにて失礼します...』とメールを打った。
YUNさんが恋人の背中を抱いて眠っている光景が、ぼわーんと頭に浮かんだのを首を振って消去した。
長文にならないように簡潔に文章を考え考え、送信ボタンを押した僕はふうっと息を吐いてシートに深くもたれた。
「チャンミンちゃん?」
窓の景色を眺めていたユノさんが、いつの間にか僕の様子を窺っていたのだ。
「上司に連絡をしました。
数日はお仕事を休まなければならないので...」
「そっか...」
「ふう」って深く息を吐いたユノさんの胸が、大きく上下した。
視線を落とすと、ユノさんは落ち着きなく膝をとんとんと指で叩いている。
何かイライラすることでもあるのかな...って思っていたら、
「ひ!」
リュックサックを抱えていた僕の手に、ユノさんの手が重なった。
ビクッと跳ねると、ユノさんの手に力がこもった。
隣のユノさんは、じっと視線を前に向けたままだ。
「え...っと?」
ユノさんの手の中でもぞもぞと指を動かしていたら、僕の指の間に彼の指が滑り込んできて、ぎゅっと握りしめられた。
こ...これは...『恋人繋ぎ』ではないですか!?
ぐんと体温が上がって、脇の下や手の平にどっと汗がにじみ出たのが分かる。
ユノさんの意図がわからなくて、繋がれた手と彼の横顔を交互に見た。
「チャンミンちゃん」
「はい...」
「ここでの生活は慣れた?」
「は、はい。
未だに反対方向の電車に乗っちゃうこともありますけど...なんとかやってます」
「そっか...。
仕事は楽しい?」
「楽しいと感じられるまでには至ってません。
おっちょこちょいですし、要領が悪くて...でも、上司の方が寛大な方なんです。
本当にありがたいことです」
ユノさんは僕の手を握ったままだ。
僕も男だけど、ユノさんの方が一回り大きな手をしていて嬉しかった。
ユノさんの手に包まれた指を動かして、彼の手の甲や指の節の骨を、指先でなぞる。
ユノさんは何も言わない。
「上司の人はいい人なんだ?」
「はい。
今夜は夕ご飯を御馳走してくれたんですよ...。
あっ!!」
しまった!!
仕事終わりに”上司と食事”...よくよく考えたら怪しい響きじゃないですか!(ユノさんに心配をかけてしまう)
「えっ!
そうだったの?」
繋いだ手に力がこもり、ユノさんが僕を覗き込む。
「えーっと...その...歓迎会みたいなものです...」
職場は僕とYUNさんの2人だけですけどね、と心の中で補足した。
「だから、ワンピースを着て行ったんだ?」
「そうです。
似合いもしないのに、着て行っちゃったんです...。
気合を入れ過ぎました」
両耳が熱い。
手の平も汗でびしょびしょだろうから、恥ずかしくて繋いだ手を引っ込めようとしたけれど、ユノさんは離してくれない。
「似合ってたよ、すごく」
「ホントですか!」
嬉しくてぱっと顔を上げたけど、ワンピース姿を見られた時の状況を思い出してしまった。
ユノさんはリアさんと、アレをしようとしていた(アレの後かな?前かな?最中かな?)
「あの状況で、よく見えましたね」
ぼそっと言った僕の声が、嫌味に満ちていてイヤになる。
「ちゃんと見えてたよ...あんな状況だったけれど...。
ねえ、チャンミンちゃん...」
ユノさんの声のトーンが低くなった。
「ひとつだけ言い訳させてくれないかな?」
そうなんだ。
ユノさんから言い訳が聞きたかったんだ。
(つづく)