~ユノ~
俺の周囲から音が消えた。
「チャンミンちゃん...急に、どうした?」
「どうもこうもしてません!」
彼が消え入るような小声で言った。
「ユノさんは僕が相手でも、キスできますか?」
~タクシー・ドライバー~
深夜2時30分。
呼び出されたマンションの前で乗り込んだのは、若い男二人。
片方の頭は、雪みたいに真っ白だ。
行き先が片道1時間弱はあるところで、距離が稼げて「今夜はついている」と気持ちが上向いた。
ちらちらとバックミラー越しに後ろの様子を窺った。
俳優みたいにきれいな二人だったから、ついつい見てしまう。
ぼそぼそと会話を交わしている。
信号待ち時、さりげなく後ろを振り返ったら、手を繋いでいて「おっ!」と驚いた。
やれやれだ。
世の中、いろんな人がいるもんだ。
(!!)
頭の白い方の顔が、黒い方の頭で隠れた。
キスしてるじゃあないか。
しかも、男同士じゃないか!?
バックミラーから視線を前方に戻したら、赤信号に気付いて慌ててブレーキを踏んだ。
ぐっと前のめりになり、シートベルトが肩に食い込んだ。
危ない危ない。
「お客さん、すんません」
後ろの2人に謝りながら、振り返った。
~ユノ~
チャンミン発言、「キスできますか?」に俺はフリーズしてしまった。
俺の中では、彼の質問に「できる」と即答していた。
彼が知りたいのは「好きな人がいながら、他の人とキスができるのか?」だ。
この質問の答えは「YES」でもあり「NO」だ。
リアとのことを棚に上げられるのは、いくつかの恋愛模様を経験した結果、すれてしまった大人の俺だからだ。
でも、彼はそうじゃない。
彼が欲しい答えは、「NO」なのだろう。
彼は青い。
彼の理想は、「好きな人とだけしかキスしない人」だ、きっと。
『チャンミンとキスしたいのか?』
この質問の答えは「YES」だ。
でも、彼は俺の気持ちを知らない。
どうすればいい?
こんなことをわずか5秒の間に考えていた。
走行する車がまばらの深夜過ぎの道路。
規則的に並ぶ街灯が、規則的なリズムで彼の真剣な表情を照らしていく。
じぃっと俺を見つめている。
チャンミン、何があった?
どうして俺にそんなことを尋ねるんだ?
切なそうな目が色っぽく俺の目に映っているよ。
そんな目で見られたら、『お兄ちゃんのお友達』でいられなくなるよ?
言われなければ、女の子と間違われてしまう凛々しくも可愛らしさを同居させた顔。
その顔に、顔を近づける。
止められない。
目の前の彼が、鏡に映る自分に見えて、まるで鏡とキスをしようとしているみたいに錯覚した。
暗い車内で、彼の顔のディテールが曖昧になっていたから、余計にそう見えた。
繋いだ片手はそのままに、もう片方の手を彼の頬に添えた。
彼の頬がぶるっと震えたのを手の平で感じたら、目の前の鏡板は消滅してしまった。
斜めに傾けた顔を、15㎝の距離でぴたりと止めた。
彼は繋いだ手の力を抜いて、身動ぎせず呼吸も止めているようだ。
俺は彼とキスがしたい。
これが俺の答えだ。
・
俺の目が彼の喉がこくりと動いたのを認めたのち、俺は目を閉じて唇を彼に寄せた。
あと1㎝。
「!!!!」
俺たちの身体が前方につんのめり、その後一気に引き戻された。
彼に寄せた顔がぐいっと引き離された。
赤信号を見落としそうになったタクシーが急ブレーキをかけたのだ。
「!!」
反動で俺の唇は彼の首筋に落とされた。
彼の汗と、ミルクみたいに甘い香りをすうっと吸い込んだ。
彼の首筋がぴくりと震えた。
俺と繋いだ手に力がこもったから、男の欲が抜き差しならない状況に陥ってしまう。
「すみません!」
タクシーの運転手さんの謝罪の言葉が耳に入らない。
唇を押し当てているだけでは足りない。
唇をわずかにをずらして、口づけた。
俺の唇はうなじの方まで移動してゆき、鼻先を彼の後ろ髪に埋めた。
そしてついには、彼のやわらかい皮膚に柔く吸いついてしまう。
「あ...」
彼から掠れた声が漏れて、俺の胸がうずいた。
そんな声を出したら駄目だよ。
止められなくなるから。
彼の喉がこくりこくりと何度も動いて、俺を煽る。
俺の唇はとくとくいう彼の鼓動を感じ取っている。
タクシーの中だということを忘れて、ついばむ唇の隙間から舌先をそっと押し当てた。
「ん...」
チャンミン、そんな声出さないで。
そう思いながらも、もっと彼の掠れた声が聞きたかった。
やっぱり唇にキスしたい。
彼の耳の下から唇を離して、もう一度顔を寄せようとしたら、胸を押された。
「駄目です」
するりと手が抜かれ、俺の手の中は空になった。
彼は俺の胸に手を置いたまま、俯いてつぶやくように言った。
「ユノさん、駄目です」
(つづく)