(11)虹色★病棟

 

 

メレンゲをひとつ食べるごとに、紅茶を飲んだ。

 

これを繰り返すうち箱の中身は空っぽになって、僕の胃袋は紅茶でたぷたぷになっていた。

 

ユノが用意してくれたメレンゲが美味しすぎたせいだ。

 

ユノも僕もマスクと手袋を外していた。

 

ただし、ユノは温室の中に戻っていて、手持ち無沙汰なのか空になったカップを手の中で弄んでいる。

 

どこか上の空にも見えた。

 

ひがみ屋の僕は、ユノは僕がいつまでの部屋に居座っているから居心地が悪いんだと思った。

 

「ねぇ...ホントは迷惑なんでしょ?」

 

急に自分がとても汚らしい存在に思えてきたんだ。

 

「いや。

誰かと同じ部屋で過ごすのが久しぶりで...疲れただけだ」

 

ユノはベッドに寝っ転がった。

 

「そっか...気が付かなくてごめん。

昼寝をしたらどうかな?

僕は、部屋に戻るよ」

 

僕は立ち上がり、ポットとカップをトレーに戻し、ビニールカーテンの隙間からユノのカップを受け取った。

 

「なあ、チャンミン」

 

「ん?」

 

ユノに呼び止められ、ドアの前で僕は振り返った。

 

「俺は冷たい男なんだろうか?」

 

「どこが?」

 

ユノはぶっきらぼうで我が儘だけど、冷たい男だなんて思ってもいなかった。

 

僕は引き返して、デスク前の椅子に座り直した。

 

なんとなく、ユノは重要なことを話したいんだと察したんだ。

 

ユノの青ざめた肌と目の下の紫色の隈、紅色の唇。

 

...狩りを終え唇を血で濡らしたドラキュラのようにも見えた。

 

 

 

 

「僕はユノが冷たい奴とは思わないけど?

どうして?」

 

むくりと起き上がったユノは、髪をむちゃくちゃにかきむしった。

 

「この世を去ってしまいたい...実際に行動に移そうとした俺なのに。

なんなんだ、今の俺は?

お前の前でちょろっと泣いた程度だ。

『無』なんだよ。

悲しくもなんともない。

今すぐLOSTを出て行っても平気なんじゃないかって思えるくらいだ。

今こうしている間も、『無』なんだ」

 

「それは、麻痺しているせいじゃなのかな?

ショックが大き過ぎて、受け止められなくて、心の防衛反応っていうの?」

 

「怖いんだ。

ある時、喪失感に憑依されるんじゃないかって。

憑りつかれた時、また物騒な物を手にするんじゃないかって」

 

「...そうだね。

あるだろうね」

 

「そんなこと起こらないから安心しなよ」なんて言えない。

 

僕だって同じだったから...かつても今も。

 

「...これはイメージの話なんだけど。

ユノさんはその人を失くしてしまった辛い思いや、その人との思い出をどうしてる?」

 

「イメージ?」

 

ユノはマスクを装着すると温室から出てきた。

 

そして、もう一つの椅子に腰かけ僕と対面した。

 

そそけだっていた頬に赤みがさし、眼球を潤す涙が煮えたぎっていた。

 

それはすがる目だった。

 

これはいい加減なことは言えないぞ、と緊張した。

 

「うーんとね、僕の場合は箱の中に押し込めてるの。

でね、鍵をかけてる。

出てこないように」

 

「俺のイメージは...」

 

ユノは上向いて天井へ視線をさまよわせ、それから目をつむって腕を組んだ。

 

「でかい鍋に苦悩のスープがあるんだ」

 

「ぷっ、スープ?」

 

吹き出した僕をユノはぎろり、と睨みつけた。

 

黒目がちの眼をしているから、イマイチ凄みが不足しているんだけどね。

 

「ごめんね」

 

「ぐらぐらに煮えたぎってるんだ。

熱くてとても飲めやしない。

スープは蒸発して減っていく。

濃くなっていく。

もうすぐ焦げ付きそうになって、俺は少しだけ水を加える」

 

「焦げ付いたらどうなるの?」

 

「そりゃぁ...ここに来る前の俺になってしまうな」

 

「そうなんだ...」

 

正直、ユノの例えが分かるようで分からなかった。

 

苦悩をやり過ごす方法のイメージは、人によってずいぶん異なっているものなんだなぁ、と思った。

 

「綺麗に空っぽになった時が、克服した時なのかな?」

 

「...できてるんだろうな」

 

ユノがそう思っていないことは、彼の浅い笑いで分かった。

 

今はとてもとても、克服した姿を想像できなくて当然なのだ。

 

 

 

「これ頂戴」メレンゲが入っていた綺麗な箱と、お茶セットを持って僕は部屋を出ようとした。

 

間際にもう一度、ユノに呼び止められた。

 

「『さん』付けしなくていいぞ。

ユノ、と呼んでくれていいぞ」

 

「ホント?」

 

「気付いてるか?

『ユノさん』って呼んだり、『ユノ』って呼んだり、どっちかにしろよ」

 

「あは、そうだっけ?

ユノ、夕飯の時に会いましょう」

 

「散歩は?」

 

「16時に集合」

 

僕がユノに懐く、というよりユノが僕に懐いている。

 

こんなこと口にしたら、ユノは気分を害するだろうね。

 

 

2日後。

 

プチ事件が起きた。

 

僕が事件を起こした。

 

ある知らせを受けて、僕の小箱の鍵が壊れた。

 

本来なら喜ばしいお知らせだったはずなのに。

 

今の僕にとっては、不都合なお知らせだったのだ。

 

 

(つづく)

 

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