僕はユノとキスをした!
マスクの不織布を通して、ユノの唇の柔らかさと温かさをはっきりと感じとっていた。
押し当てるだけの、間接キスにもならない慎ましいキスだった。
口元を離した時のユノはぼぉっとしていて、僕とキスした時の姿勢のまま静止していた。
僕は調子にのり過ぎたみたいだ。
ユノのパーソナルなエリアに入るのを許され、シーツ越しだったけど、僕の身体にもたれかかっていた。
いいのかなぁ、こんなことしちゃっていいのかなぁ、と戸惑いながら、嬉しがっていた。
大事な人を亡くしたばかりなのに、他事に気が散ってしまう自分はなんと冷酷なのか、その人への愛情はそんな程度だったのか...これがユノを苦しめている考え。
その悩みを僕に打ち明けてしまうこと自体が、その人への愛情と、喪失の苦しみがとても大きいことを証明していると、僕は思うんだ。
今の僕がユノの立場だったら、知り合ったばかりの男に、心のうちを細かに打ち明けたり出来ない。
ところがユノは無防備にも、僕が質問しないうちからさらけ出すのだ。
心のガードが甘々なんだ。
ゴーグルの下でギラリと光る鋭い眼差しの持ち主のくせに、この警戒心のなさ。
あ~あ、ハートがボロボロになっている証だ。
僕は我にかえって、ベッドから飛び降りた。
6層の不織布を通過してきた僕のばい菌に、怖気立つユノを見たくなかった。
ユノの行動は理解できてるつもりだけど、ばい菌扱いされると傷つく時もある...それがキスだったから余計に。
「後で顔を洗ってね。うがいもしてね」と声をかけてから、ユノの部屋を出た。
・
当然、眠気は一向に訪れなかった。
諦めた僕は枕元灯をつけ、読みさしの本を開いてみたけれど、内容が頭に入ってこなかった。
懐中電灯を持った巡回のスタッフが2度、僕がちゃんと部屋にいるかを確認していった。
読書も諦めた僕はベッドを下りるとルーバー窓を開けて、ガラス板の隙間からそよぐ風で火照った頬を冷やした。
僕とユノの部屋がある側は中庭に面していて、外は真っ暗闇で何も見えない。
クローゼットの扉を開け目をつむった僕は、最初に手に触れたワンピースを取り出した。
手にしたワンピースを胸に当て、鏡に映してみる。
薄茶色の地に、焦げ茶と紺のチェック柄で、ウエストを黒の革ベルトで締めるデザインになっている。
白のソックスに、黒のワンストラップ靴に合わせよう。
今日はそうしよう。
さっきのキス、パジャマじゃなくてワンピースを着ていたら...。
キスから先...ぬくもりが欲しいユノと、肌と肌を合わせられたら...。
ユノの指が背中のファスナーをじじっとゆっくり下ろしてゆく。
「はあ...」
僕はうっとりと、ため息を漏らした。
ごめん、ユノ。
ずるい男になって、ユノの弱った心につけこむよ。
だって僕は、ユノに一目惚れしてしまったんだ。
ユノはおそらく、ストレートだと思う。
なんとなく、そう思った。
ぐらぐら不安定なところに僕が現れて、お世話し始めた。
空いた隙間をぬくもりで埋めたくて、僕の中から亡くしたその人を探している。
たまたま隣にいた僕に、刷り込みみたいに懐いてしまったことを、好意によるものだと勘違いしている。
勘違いの好意だとしても好意は好意だ、力技で大切な人とやらを忘れさせるから。
僕には時間がないんだ。
「...あっ」
心の小箱がガタガタ揺れ出した。
ワンピースの胸元を握りしめ、小箱が大人しくなるのを待った。
「...ふう」
額に浮かんだ汗を手の甲で拭い、ベッドにぱたんと背中から倒れ込んだ。
ユノはワンピース男を目にしても、眉をひそめなかった。
大丈夫だ、僕でもいける。
(つづく)
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