僕はユンホさんが大好きだ。
僕の頭や背中を撫でる手のひらも、がっしりと逞しいユンホさんの胸に顔をうずめることも大好きだ。
僕を呼ぶ低い声音も、ユンホさんの足首にまとわりつくことも、全部全部、大好きだ。
僕はユンホさんのベッドで目を覚まし、昼間はユンホさんの帰宅を待ち、夜は再び、ユンホさんのベッドで眠る。
ユンホさんのことが大好きだから、ユンホさんの部屋を訪ねてくる男の人が大嫌いだ。
彼がやってきた時は、僕はユンホさんの寝室から締め出される。
どんなに鳴いても、ドアは閉まったままなんだ。
頭にきたから、この前、僕を抱っこしようとした時、僕は彼の腕を思い切りひっかいてやった。
「こら!チャンミン!」
と、ユンホさんに怒られたけどね。
いいんだ、僕のユンホさんをとっちゃう奴なんか大嫌いだ。
・
ここ最近、僕は心配していることがある。
ユンホさんの様子がおかしいんだ。
飲めないお酒を飲むようになったし、
部屋の中はぐちゃぐちゃに散らかってきたし、
僕へのご飯を忘れたり、
スマホの画面を見つめては何度もため息をついているんだ。
青ざめて痩せたユンホさんの頬を、僕は舐めてあげた。
「チャンミン、ありがとな」と僕をなでながらも、ユンホさんの表情は固いまま。
「遠くへ引っ越さないといけなくなりそうなんだ」」
ユンホさんはすごく、悲しんでいる。
ユンホさんの頬を舐めるのが、僕にできる唯一のこと。
ユンホさんの腕に抱かれるばかりじゃなく、僕はユンホさんを胸に抱いて慰めてあげたい。
僕だったら、ユンホさんに寂しい思いはさせない。
どうか神様、1日だけでもいいから、僕にユンホさんを守る力を下さい。
最近、そう強く願っている。
・
窓から注ぐ朝日の光で、部屋の中は真っ白にまぶしい。
僕は毎朝、ユンホさんより早く起きるようにしているんだ。
うっすらとまぶたを開けると、ユンホさんの頭のてっぺんが間近に迫っていた。
あれ?と思った。
いつもなら目を覚ますと、最初に目に飛び込んでくるのは、ユンホさんの胸元のはずなのに。
前脚を持ち上げてみたら、毛むくじゃらじゃない、すべすべの腕。
顔を触ると、やっぱりすべすべ、髭もない。
がばりと飛び起きて、僕は身体のすみずみまで点検する。
洗面所まで走って行って(2足歩行ができる!)、鏡で顔を映してみた。
やった!
人間だ!
願いが叶った!
あまりの嬉しさに小躍りしていると、「チャンミーン」と寝室から僕を呼ぶ声が。
「ユンホさん!」
ユンホさんの元へ駆け戻った。
「チャンミン、裸じゃないか!
風邪ひくぞ」
と、ユンホさんはクスクス笑った。
・
「今日は、何する?」
ユンホさんは、ニコニコと楽しそうに僕にたずねた。
僕は牛乳をひと口飲んでから、
「散歩して、買い物して、一緒にご飯を作りたい」と答えた。
「いいね!
普通っぽい過ごし方って、今までしたことなかったなぁ」
キラキラ光るユンホさんの目。
黒くて、奥行きのある、宝石みたいに...僕は猫だから「宝石」を見たことはないんだけどね...綺麗なユンホさんの目。
「今すぐ出かけましょう!」
ガタリと勢いよく立ち上がったせいで、僕の椅子がバタンと後ろに倒れてしまった。
「チャンミン、喜び過ぎ!」って、ユンホさんは笑ってた。
僕が人間でいられるのは、たった1日だけ。
1分でも無駄にできない。
「ジャージーでもスウェットでも、何でも似合うんですから、洋服なんてどうでもいいでしょう?」
着替えに手間取るユンホさんを急かし、僕はユンホさんの洋服を借りて、外出までこぎつけた。
僕はずっとユンホさんと手をつないでいた。
ユンホさんの大きな手に、僕は愛おしい気持ちでいっぱいだった。
「ユンホさんのことが、大好きです」
「僕はユンホさんのことが、大切です」
「ユンホさんとこうして、一緒にいられて幸せです」
ユンホさんが照れても、僕は構わず、何度も気持ちを伝えた。
愛情を言葉で伝えられるって、なんて幸せなことなんだろう。
ユンホさんの隣を歩いて、スーパーで一緒に買い物をして、同じ部屋に帰って、1つのテーブルで食事をする。
すべてが貴重で、今日だけの思い出だ。
ユンホさんは、一日中、笑っていた。
ユンホさんの笑顔がまぶしくて、僕は彼をギュッと抱きしめてしまう。
何度も何度もユンホさんを抱きしめた。
「僕はユンホさんの味方です、どんなときも」
「僕は何があっても、ユンホさんを守るから」
ユンホさんは、「チャンミンったら」と照れてばかりだったけど、しまいには泣いてしまった。
僕は「ごめんね」と謝って、ユンホさんを抱く腕の力をさら強めた。
ユンホさんの匂いと肌に包まれて、僕の心はぽかぽかと温まる。
でも、
楽しい時間は、過ぎるのがあっという間だ。
僕は、ユンホさんと交わした言葉のひとつひとつを、ユンホさんと一緒に見た景色を、絶対に忘れないように、心に刻んだ。
明日からは、ユンホさんと会話を交わすことは出来ない。
ユンホさんを抱きしめてあげることもできない。
ただの猫に戻って、ユンホさんに可愛がってもらうだけの存在になってしまうから。
ユンホさんとひとつベッドで横になった時も、僕は彼の手を握っていた。
「俺はどこにもいかないよ」
ユンホさんはくるりと寝返りをうって、僕の方を見た。
「ずっとチャンミンの側にいるから」
でもね、ユンホさん。
人間のチャンミンは今日でどこかへいってしまうんだよ。
ユンホさんの潤んだ瞳を見つめているうち、僕の目から涙がこぼれ落ちた。
僕はこのまま、人間の男でいたいよ。
「やだなぁ。
泣いてるのか?」
ユンホさんは、親指でそっと僕の涙を拭いてくれる。
ますます切なくなってしまって、僕はユンホさんの胸にしがみついて、もっと泣いてしまった。
「おかしなチャンミン。
泣き虫だな」
ユンホさんは僕の背中をとんとんと、なだめるように叩いてくれた。
これじゃあ、いつもと同じじゃないか、ユンホさんに抱かれるなんて!
僕は思いきって、ユンホさんの小さな顔を両手で包んで、彼の唇にやさしくキスをした。
「チャンミン、嬉しいよ」
ユンホさんも、やさしく僕にキスをしてくれた。
僕の心は、幸福でいっぱいになった。
ユンホさんをギュッと抱きしめた。
ユンホさんも、僕の背中に手をまわして抱きしめてくれた。
このまま夜が明けなければいいのに。
神様は、2つもお願いはきいてくれないだろうな。
僕は猫。
ユンホさんに飼われている、ちっぽけな猫。
人間の男になって、ユンホさんと一緒に過ごせた今日一日のことを、僕は死ぬまで忘れないだろう。
気持ちよく晴れた朝だ。
感じる肩の重みは、彼の腕。
横向きに、軽く口を開けて眠っている彼の、寝ぐせだらけの髪をなでる。
寝ているかと思ったら、ぱちっとまぶたが開いて、三日月型になった。
「もっとなでて、気持ちいいから」
「いいぞ、いくらでも」
彼は、猫みたいに俺の胸に頬をすり寄せてきた。
「チャンミンみたいだな」
「僕も猫になりたい。ずっとユンホさんの側にいたい」
「本気か?
さあ、チャンミンを入れてあげないと」
彼をベッドに残したまま、リビングに締め出していたチャンミンを探す。
チャンミンを抱き上げ寝室に戻ると、彼は起き上がってTシャツの袖に腕を通しているところだった。
彼の腕に走る痛々しい傷。
「痕が残るかもしれないな。
悪かったな、うちのチャンミンのせいで」
「いいんです。
彼が怒るのも当然です。
僕はいつもあなたを一人にしていたから」
彼は腰かけたベッドを叩いたので、その隣に俺は座る。
「一人にしておいたのは、俺の方だろ?」
「ねぇ、ユンホさん」
彼はチャンミンを抱いた俺の肩にとん、と頭をのせる。
「僕は昨夜、不思議な夢をみました」
「どんな?」
「僕は...猫に...ユンホさんのチャンミンになっていました。
猫のチャンミンは毎日留守番で、寂しくてたまらないのですよ。
でも。
ユンホさんの方も、とても寂しい思いをしているって、知りました。
それから、ユンホさんと過ごす時間がどれだけ大切なものかも」
「お前が...猫に?」
「チャンミンがユンホさんのことが好きでたまらないことも、よく分かりました」
「チャンミンは俺にべったりだからな、はははっ」
彼は微笑んだ。
「...なんだか妙な気持ちです。
ユンホさんのチャンミンと、僕が同じ名前だなんて」
俺はチャンミンの肩を抱く。
「だって、お前がプレゼントしてくれた猫だから。
お前の名前を呼んでいたいんだ」
「ユンホさんの匂い...大好きです」
チャンミンはクスクス笑って、俺の首筋に鼻先をこすりつけた。
「くすぐったいよ」
「ねえ、ユンホさん」
チャンミンは俺の顔を覗き込んだ。
「ユンホさんは忙しいから、なかなか僕に会える時間がとれませんよね?
もう少ししたら、ユンホさんは遠くへ行ってしまう。
僕はユンホさんの近くにいたいんです。
だから、解決法を考えました」
チャンミンは言葉を切ると、ふっと真面目な表情になる。
「僕と一緒に住みませんか?」
「えっ?」
「僕と住みましょう」
「チャン...ミン?」
「ユンホさんがどんなに忙しくても、帰るところは僕の元です。
もちろん、僕が忙しくても、帰るところはユンホさんと一緒の場所です」
鼻の奥がつんとしてきた。
「僕...ユンホさんについていきます、どこまでも」
チャンミンはぎゅうっと俺の手を握った。
フーフーいう猫のチャンミンの頭を、チャンミンは撫でた。
「実は、引っ越しの準備を始めているんです。
ユンホさんの答えを聞く前に...気が早いですね、ふふふ」
ひっかこうとする猫のチャンミンのパンチを避けながら、チャンミンは俺の手を引いて立ち上がらせた。
「向こうでは広い部屋にしましょうね。
それから、大きなキャットタワーも置きましょう。
チャンミンが喜ぶように。
あ、僕じゃないですよ。
猫のチャンミンのことです」
「お前がキャットタワーで遊んだりしたら、壊れちゃうよ」
笑い泣きする俺の頬を、チャンミンは両手で包んだ。
「僕んちまで来てください。
引っ越しの手伝いをして欲しいので。
ほらほら!
出かけますよ」
チャンミンは俺の腕をぐいぐい引っ張る。
「待てったら!
ヒゲも剃ってないし、着替えも...」
「ユンホさんは、どんな格好でもかっこいいですよ。
その前に...涙を拭いてください」
チャンミンはTシャツの裾を引っ張ると、俺の涙を拭う。
「ユンホさんって、実は泣き虫なんですね」
「チャンミンの方が泣き虫だって」
「いいえ。
ユンホさんの方が泣き虫ですよ。
でも、安心してください。
泣きたい時は、僕が胸を貸してあげますから」
そう言ったチャンミンは、チュッと音をたてて、俺にキスをした。
不機嫌そうな(猫だから表情は読めないが、きっとそうに決まってる)猫のチャンミンの喉を撫ぜてやる。
ビロードのように滑らかで艶やかな毛皮、グレーの瞳。
なあ、チャンミン。
お前はなんて、美しい猫なんだろう。
ああ、俺は幸せだ。
俺とチャンミンと、猫のチャンミンとの生活。
2人のチャンミンに挟まれた生活を想って、ワクワク感で胸がいっぱいになった。
[maxbutton id=”24″ ]
[maxbutton id=”23″ ]
[maxbutton id=”2″ ]