ユンホさん...早く帰ってこないかなぁ。
僕は毛布を頭からかぶって、カーテンの隙間から道路を見下ろしていた。
12月の夜明けは遅いから、外は当然真っ暗。
しんしんと雪が降り積もっていて、窓ガラスに押しつけた鼻先が結露で濡れた。
電気料金がはね上がっては困るから、極力ストーブはつけないようにしている。
でも...もうすぐユンホさんが帰ってくるから、部屋を暖めておこう。
・
僕らは貧しかった。
ユンホさんのお給金も多くはない。
加えて僕は、身体が虚弱でフルタイムで働くことができない。
それならばと、始めたスーパーマーケットのアルバイトも、品出し中に倒れてしまって務まらなかった。
僕の薬代が家計を圧迫して、申し訳ない気持ちでいっぱいだ。
ユンホさんの役に立ちたい。
無力な自分が情けなくて泣いていたら、
「チャンミンは家で俺を待っていればいい。
図書館で好きなだけ本を読んでいてもいい」
と、読書好きな僕のために気遣いの言葉をくれるのだ。
「でも...。
ユンホさんだけ働いていて、僕だけ遊んでいて...そんなの駄目です」
そう言ったらユンホさんは、
「チャンミンが好きなことをして楽しそうにしてくれるだけで、俺は幸せだ」
なんて言ってくれるから、僕の涙は止まらない。
「チャンミンは泣き虫だなぁ」と、僕の頭を撫ぜてくれる。
・
ユンホさんはジャム工場で働いている。
少しでもお給金が多い方がいいからと、夜勤シフトで一生懸命働いている。
僕は毎晩、布団の中でひとりユンホさんを待っている。
僕は夜、ユンホさんは昼に眠るから、布団はひと組で足りるのだ。
ユンホさんが帰宅する1時間前には起床して、ユンホさんのためにご飯を作る。
朝の5時きっかりに、ユンホさんは玄関ドアをこんこんとノックする。
僕は喜び勇んでドアを開け、イチゴジャムの香りを漂わせたユンホさんに抱きつく。
ドアをノックして、僕が出迎えるのを待ってるくせに、
「ちゃんと寝ていないと駄目だろう?」って、毎朝ユンホさんに怒られるんだ。
ユンホさんに小言を言われて嬉しいだなんて、僕は相当ユンホさんに参っている。
・
ユンホさんと暮らすうち、やりくりもうまくなってきて、節約料理のレパートリーも増えた。
今日はクリスマス。
ユンホさんを喜ばせたくて、特別なことをしてあげたい。
プレゼントを買ってあげることは出来ないけどね。
だからこの日の為に、僕はコツコツと準備をしてきたのだ。
・
僕らは駆け落ちした身。
誰にも頼れない。
でも、ユンホさんがいてくれれば、僕は幸せだ。
ぐうぐう眠るユンホさんの寝顔を見ながら、本を読む時間は僕にとっての至福の時。
・
5:10
ユンホさんが帰ってこない。
5:15。
まだ帰ってこない。
5:20。
ドアは静かなままだ。
5:25。
残業しているのかな。
この部屋には電話がないから、連絡のしようがない。
おかしい。
こんな時間までユンホさんが帰ってこないなんて、おかしい!
事故にあったとか!?
5:30
じっとしていられなくて、オーバーを羽織り、スニーカーをつっかけて外に飛び出した。
ぼた雪が頬に落ち、すぐさま解けて僕の顔を冷やしていく。
キャンバス地のスニーカーも、べた雪がすぐさま沁みて足先がかじかんだ。
「あ...!」
坂の向こう。
あのシルエットは...。
「ユンホさん!」
「チャンミン!」
ユンホさんに向かって走り出す。
足がもつれてつんのめり、転倒する直前にユンホさんに抱きとめられた。
「馬鹿野郎!
外に出てくるなんて!」
「だって...だって。
なかなか帰ってこないし。
心配で...心配で」
僕はユンホさんの二の腕に取りすがる。
「ごめんな。
忘れ物をしちゃって、引き返したんだ」
「そんなの置いていけばいいじゃないか!
どれだけ心配したかっ...!」
僕には、ユンホさんしかいないんだ。
ユンホさんは着ていたオーバーを脱ぐと、僕に羽織らせる。
ふわりとユンホさんの体温と香りに包まれて、凍えた身体が一瞬で温まった。
ユンホさんのオーバーコート、安物で着古して裾が擦り切れた、毛玉だらけの...。
今年の冬は寒さ厳しいから、「新しいものを買って」と何度もお願いしていたのに。
いつになっても古いこれを着続けていて。
「そういうわけには行かなくて、さ。
ちょっと早いけど...ま、いっか」
そう言って、ユンホさんは手にした紙袋をゴソゴソやっていたかと思うと、
「あ...」
最初は何なのか分からなかった。
ふかふかの柔らかなものにあご先まで埋もれて、この温かいものに両手を添えた。
「これ...?」
「俺からのクリスマスプレゼント」
貧乏人の僕でも、これがいいモノだって分かる。
「でも...」
「これはね、ストールなんだ。
今みたいに首にぐるぐる巻きにしても...」
首にかけただけのものを、ぐるりと二重巻きにしてくれた。
「うん、可愛い」
ユンホさんは身を引いて、僕の全身を見て満足そうに頷いた。
「大きいから膝かけにもできる。
本を読むときにいいんじゃないかな?
あの部屋は寒いからね」
ユンホさんがどうやって、これを手に入れたのか分かってしまったけど、僕は口に出さない。
「僕のものより、自分のオーバーを買ってよ!」だなんて、ユンホさんを責めるみたいなことは言いたくない。
満面の笑みを浮かべた「ありがとう」。
ユンホさんが欲しいのは、このひと言だって知ってるから。
「いいものを貰ってきたんだ。
さあ、早く家に帰ろう」
「いいものって?」
「帰ってからのお楽しみ」
僕らは手をつないで部屋に向かう。
・
ユンホさんがバッグから取り出したのは、大きなガラス瓶。
「ジャム...?」
「ジャム工場に勤めているのに、一度も持ち帰ったことなかっただろ?」
「もらってきて...大丈夫だったの?」
ユンホさんはキャップを外し、台所からとってきたカレースプーンを僕に差し出した。
「クリスマスだからな。
どうだチャンミン、スプーンですくって食べるか?」
「僕らは以心伝心だね」
「?」
僕も台所に立って、フライパンを持って食卓に置いた。
「何を作ったんだ?」
空腹のユンホさんの頬がゆるんでいる。
「ふふふ」
うやうやしく蓋を開けた。
「ケーキ?」
「うん。
オーブンがないからフライパンで焼いたんだ。
卵もいっぱい使ったから、美味しいはずだよ」
「うわぁぁ。
チャンミン、凄いよ!」
「クリームは買えなかったけどね。
ユンホさんのジャムがあるから、ちょうどよかった」
「ジャムケーキ?
初めて食べるよ」
黄金色の生地の上に、ルビー色のものをたっぷりとこぼす。
大きく切った一切れを、「あーん」と口を開けたユンホさんに食べさせる。
美味しい。
幸せだ。
ユンホさん...大好きです。
・
「ユンホさんに...プレゼントがあります」
僕は押し入れからそれを取り出して、背中に隠した。
ユンホさんがさっきしてくれたように、僕も同じことをした。
「マフラー?」
ユンホさんは首にひと巻きしたそれを、さっき僕がしたみたいに撫ぜた。
「うん」
「もしかして手編み?」
「うん」
僕のセーターをほどいて編んだもの。
ユンホさんの帰りを待ちながら、編みました。
「嬉しいなぁ」
ユンホさんの目が、猫みたいに細くなった。
「よかった...」
ユンホさんの笑顔は真夏の太陽みたいで、僕のハートをとろとろに溶かす。
・
12月の日の出は、もう少し後。
午前6時。
しっとりとした歯触りと濃厚な卵の風味。
甘くて酸っぱくて。
そして僕らは、イチゴジャム味のキスをした。
(おしまい)
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