罪の意識が、俺を興奮させ猛々しくさせるのだろうか。
女のように尻を突き出すあなたを抱くことは罪なのか。
高級な身体に触れるのは、土で汚れひび割れて、硬い俺の手なのだ。
あなたの二度目の縁談が決まった夜、俺は荒々しくあなたを抱いた。
「安心しなさい」
あなたは俺をなだめた。
「あなたがいなくなってしまったら、自分はどうかなってしまいます」
最初の結婚の時は、淡い恋心だった。
契りを交わした今となっては、この離別は想像を絶する痛みを伴う。
遠い遠い彼の地へあなたは行ってしまう。
「わたくしは、必ず戻ってきますよ」
あなたはそう言うが、果たせない契りだ。
「...不可能です...」
「口にしてはいけません」
しーっと、あなたの細指が俺の唇に押し当てられた。
「わたくしは交わした約束を、必ず果たす人間です」
あなたが何を言おうとしているか察した。
「魂...となって?」
「そうですよ、魂なら千里を越えて会いに来られます」
寒気が走った。
「菊花の約(ちぎり)ですか?」
「覚えていましたか」
あなたは、くすくすと笑った。
「駄目です!
死んでしまったら意味がないでしょう?
俺が赦しません!」
俺はあなたの肩をつかんで揺すった。
「肉体が足かせとなることもありますでしょう?」
「あなたのために、俺が魂となります」
「それはいけません。
ゆのが死んでしまったら、意味がないでしょう」
俺の肩に顔を伏せ、あなたはそう言った。
俺はあなたのために、身も心も捧げたい。
・
俺たちの恋は、成就することはない。
俺は諦めかけていた。
今朝降った、季節外れの雪は溶けてしまった。
擦り切れた畳の寝床を見るのも、これが最後だ。
名残惜しい気持ちはない。
俺の気持ちは固まっていた。
・
皆が寝静まった頃、ガラス戸をコツコツと叩く音がする。
黒い外套を羽織ったあなたが、忍び込んできた。
大きな風呂敷包みを抱えている。
俺はあなたを引き寄せ、唇を吸う。
俺たちの足元に、外套と風呂敷包みが落ちる。
性急にあなたの着物を引きはがす。
白足袋を履いたままのあなたのふくらはぎに、舌を這わせた。
この後、俺の決心を聞いたあなたの返事が怖かった。
不安を打ち消すように俺は、うなじに、肩に、腹部に俺は接吻の道筋をつけた。
最後に平らな...肉体労働など縁のない...白い胸に顔を埋めた。
そこだけ柔らかな、桜色の小さな膨らみを吸って、噛んだ。
あなたの腰を引き寄せて、指で愛撫する。
俺たちは立ったまま繋がった。
(これが最後です)
ガラス張りの空間は、俺の呻きとあなたの甘い悲鳴...湿った破裂音だけ。
あなたは俺のうなじを撫でたかと思うと、ぎゅうっと後ろ髪をつかんだ。
髪がひっぱられる痛みすら、快感だった。
のけぞるあなたの喉を吸った。
あなたは俺の肩を噛む。
昨夜もそうだったように、俺は涙を流していた。
(もし、あなたに断られたら、
常夏の、天国のようなこの場所で、あなたを抱くのは今夜が最後になります)
・
「ハサミを用意してくれましたか?」
ぎりぎりまで燈心を絞った洋燈の灯りに、あなたの真剣な顔が照らされていた。
「渡すことはできません」
あなたはそれで、喉を突くつもりだ。
「いいから渡しなさい!」
「それはできません!」
制止する俺を振り切って、あなたはハサミを手にする。
そして、鷲づかみにした髪を、じゃきじゃきと切り始めた。
一切のためらいもなかった。
切り落とされた黒髪が、束になって床に落ちる。
取り巻くしがらみを、ばっさりと切り捨てるかのように、潔い行動だった。
最初の婿入りの時さえハサミを入れなかった、長く美しい黒髪だ。
「出家なさるおつもりですか?」
「まさか!」
あなたは可笑しくてたまらないといった風に、ころころと笑う。
「わたくしは欲深い男です。
禁欲の世界なんぞ、ごめんです」
たまらなくなった俺は、あなたの名前を呼んだ。
「俺と...逃げてください」
「ゆの...」
「俺と、行きましょう。
ここから出ましょう!」
決心の言葉を叫んだ。
俺の叫びをきくと、あなたは裸のまま立ち上がり、風呂敷包みの結びを解いた。
「ゆのも着替えなさい」
メリヤスの詰襟シャツを頭からかぶり、着物と袴を身に着けた。
白足袋を脱いで紺色のそれに履き替えた。
「兄のものを失敬してきました」
あなたに急かされ、俺も木綿の着物に袖を通す。
「女の格好は、今夜でお終いです」
そして、二人の書生姿が出来上がった。
「あの中に入れてしまいます」
ひと抱えもある陶器の鉢を指さした。
今日の昼間、俺が中身を掘り出したものだ。
あなたの贅沢な着物も、俺の粗末なそれも、あなたが切り落とした髪も全部、この中に放り込んだ。
最後に脇によけておいた土をかけ、植え付けられていた苗木も元に戻した。
「庭を掘り起こしたりしたら、目立ちますでしょう」
泥だらけになった手で、汗を拭ったから、あなたの白い顔が黒く汚れてしまった。
汗が浮かんだ俺の額も、愛しいあなたの手で拭われた。
「わたくしたちの想いは、同じでしたね。
夜が明けたら、行きましょう」
「夜のうちに、出た方がよいのでは?」
「暗闇では、洋燈の灯りでかえって目立ちます。
つまずいて怪我をします」
冷静なあなたの判断に、俺は吹き出してしまった。
ざんぎり頭のあなたが美しかった。
贅沢三昧だったあなたが、これからの生活に耐えられないのでは、という不安は一切なかった。
あなたならやり抜く。
「当分の間は、これでしのげるはずです」
あなたは袂に忍ばせていたものを、俺に見せる。
宝石がはめられた髪飾りと真珠の首飾り、そして金時計。
「ふふふ、父の物も失敬してきました」
「あなたときたら...大胆ですね。
あなたのものと比べたら、うんと少ないですが。
俺も貯めてきたんですよ」
あなたは、笑った。
「わたくしは生き抜きますよ。
魂になんてなるものですか」
「死んでしまったら意味がない...でしたよね」
「その通りです」
「あなたの魂も肉体も、両方必要です」
「わたくしと同じ想いですね」
あなたは俺に頬をよせた。
「居が決まってからも、わたくしは男です。
ゆの、いいですか?
間違っても『坊っちゃん』と呼ばないように。
分かりましたか?」
「では、なんとお呼びすれば?」
「そうですね。
昌珉...そのままで呼びなさい。
それから、ゆの。
敬語は止めなさいね」
「はい。
それにしても...あなたは...。
ずいぶんと、
美少年に仕上がりましたね。
もっと深く帽子を被った方がよろしいですよ」
「ゆの、貴方もよく似合っててよ」
「では、行きましょうか」
あなたの手を握ると、立ち上がった。
「男同士が手を繋いでいたら、おかしいですか?」
「まさしく、禁断の恋、そのものですね」
俺たちは顔を見合わせて笑った。
俺たちの恋は、悲劇の物語にはしない。
決して。
(おしまい)
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