(前編)恋する尻尾

 

 

ネコは尻尾が弱いみたいだ。

 

ネコの反応が面白くて、俺は何度も尻尾を撫ぜる。

 

「尻尾ばかり、触らないで」

 

怒ったネコに、手の甲を引っかかれてしまった。

 

俺の手を傷つけたことに、ネコはすぐに後悔したようで、

「ごめんね...痛いよね、痛いよね?」

俺の手を両手で包み込み、みみず腫れになった箇所にふぅっと息を吹きかけた。

 

こんな風にしてもらったこと、過去にもあったなぁ。

 

 

 

去年のあいつの誕生日に、手料理を振舞おうと俺は張り切っていた。

 

危なっかしい包丁つかいに、隣に立ったあいつはヒヤヒヤしていた。

 

「そんなところで切っちゃうなんて...勿体ない」

「押さえる手は、猫の手にしないと!」

「ホントにヘタクソだなぁ」

 

「黙ってろ」

 

口うるさいあいつの忠告を無視して俺は、まな板の上の野菜を乱暴に、ザクザクと切った。

 

「...あっつ!」

 

押さえていた指に激痛が走り、包丁を放り出してその個所を確かめようとした。

 

ところが、その前に俺の手はあいつにかっさらわれた。

 

「もぉ!

血が出てるじゃないか!

もぉ!

僕の言うことを聞かないんだから...痛いよね...痛いよね」

 

怪我はたいしたことなくて、中指の節を少し切っただけ。

 

それなのに、まるで俺が骨折でもしたかのように、おろおろの仕方が凄かった。

 

怪我をしたのは俺の方なのに、その様子が面白くってクスッとすれば、あいつは当然ムッとするわけだ。

 

怒ってるのになぜか眉が下がってて、頬を膨らませちゃってて、すごい可愛かった。

 

 

 

 

「...ネコ...」

 

ネコの毛皮の胸に顔を埋めてつぶやいた。

 

俺の背中をネコは優しくさすってくれる。

 

「...寂しいですか?」

 

「寂しいね」

 

俺は素直に認めた。

 

「相方さんはどこへ行っちゃったんですか?」

 

「さあ...実家に帰ったか...友達んちか...」

 

ネコの背中を抱き直した。

 

「でもなぁ、あいつは友達が少ない奴だから。

ホテルに泊まってるだろうなぁ。

それでさ、ルームサービスであれもこれもと注文して、腹いっぱい食べて。

カードの請求額に、俺は真っ青になるんだ...きっと、そうだよ。

もの凄く、怒ってたから」

 

「喧嘩したんですか?」

 

「...うん」

 

「原因は?」

 

「大した内容じゃなかった。

長く一緒にいるとね、小さなことに気が障ることが増えてくる。

仕事が忙しくて...イライラしてたんだ。

突き詰めてみると...俺が悪いんだろうね」

 

「じゃあ。

ちゃんと謝らないとね」

 

「...そうだな。

許してもらえるかな?」

 

「許しますよ。

ユノの『ゴメン』を待ってると思います」

 

「これまで、ちゃんと謝ったことがないんだ。

なんとなく仲直りしてて。

言わなくても分かるだろう、って。

...甘えていたんだろうね」

 

「...いらっしゃい」

 

「...え?」

 

ネコに腕をひかれ、寝室へと誘われた。

 

「僕を可愛がって」

 

両手を広げたネコの胸に、俺は飛び込んだ。

 

 

 

 

俺はネコに口づけながら、毛皮のビスチェを脱がせた。

 

二つ並んだ桜色のボタンに、俺は堪らず吸い付いてしまう。

 

「...っあ...あぁ...」

 

あまりに可愛らしい声を漏らすから、俺の行為はつい激しくなってしまう。

 

「待って...」

 

もっともっとと吸い付く俺の口を、片手で押しとどめると、ネコは毛皮のショートパンツをするりと脱いだ。

 

小さな白い尻が露わになって、その中央から猫の尻尾が生えている。

 

「可愛い尻尾だね」

 

「でしょ?」

 

裸になって急に恥ずかしくなったのか、俯くネコの顔は真っ赤になっている。

 

さっきから俺を煽る、揺れる尻尾。

 

軽く握って、先から付け根に向けてその手を滑らすと、

 

「んんっ...」

 

甘い声を、喉奥でくぐもらせるのだ。

 

くくっと緩く引っ張ると、

 

「ああっ...」と、より甘高い声を漏らすのだ。

 

「ダメ...引っ張ったらダメ」

 

「ネコは尻尾が敏感なの?」

 

「...うんっ...」

 

「触るの...止めた方がいい?」

 

 

「......」

 

恥ずかしくてたまらないのか、俺の腕の中の肌が熱く汗ばんでいる。

 

「もっと引っ張ってもいい?」

 

尻尾の付け根をつかんで、じわじわと引く力を込めていく。

 

「...ああっ...あぁぁ...!」

 

もっと甲高い悲鳴を上げて、顎も肩もマットレスにぺたりと落としてしまった。

 

高く突き出した腰。

 

愛らしい割れ目の中央に、黒く長い尻尾。

 

「いつまで猫をやってるつもりだ?

尻尾をとらないと、できないよ?」

 

「......」

 

「抜いてやろうか?」

 

「うん...」

 

引っ張ったり押し戻したり、さんざん焦らして、ネコの尻尾が抜けるまでに、たっぷり時間をかけた。

 

背中を丸めて、俺の太ももにしがみついて、ネコは猫の鳴き声を忘れてしまっていた。

 

いつもの、聞きなれた、切なげに、かすれた甘い声音で。

 

揺さぶる度、ネコの首で鈴が鳴る。

 

 

 

 

「ごめん...怒鳴ってごめん」

 

額にはりついた、汗に濡れた前髪を人差し指でそっとよける。

 

3度目の「ごめん」で、ネコはやっとで頷いてくれた。

 

「...許してあげる」

 

不承不承、ネコはそう答えた。

 

尖らせた唇が可愛くて、ついついパクリと咥えてしまった。

 

 

「...僕こそ...ごめん」

 

俺以上に意地っ張りで照れ屋なネコ、俺の口の中でもごもごとつぶやいた。

 

 

「聞こえないなぁ」

 

「...ごめんね」

 

「いいよ。

謝らなくても、俺はとっくに許してたよ」

 

 

シーツの中からもぞりと抜け出たネコは、俺の上になると、俺の枕元に両手をついた。

 

大きな猫耳が、ダウンライトの黄色い灯りにふちどられている。

 

俺を見下ろす1対の眼は、猫というより子犬の眼だ。

 

「ユノ」

 

「ん?」

 

 

 

「お誕生日おめでとう」

 

「うん、ありがと」

 

 

「僕たち、喧嘩しちゃったでしょう?

でも、お祝いしたかったから、戻ってきました」

 

「おかえり」

 

「僕からのプレゼント。

気に入ってくれた?」

 

「うん。

可愛いネコだった」

 

「気合を入れたからねぇ。

ネコの僕、どうだった?」

 

 

「最高だよ。

チャンミンは...俺だけのネコだよ」

 

 

 

 

玄関ドアを開けた時。

 

尻尾を付けたチャンミンが、ドアの前にうずくまっていたんだ。

 

「何してるんだ!?」の大声を、ぐっと飲みこんだ。

 

猫みたいに「にゃあぁぁぁ」って鳴くのを聞いて、吹き出すのを必死で堪えた。

 

 

俺は猫になったチャンミンをそのまんま、受け入れた。

 

羽織っていたダウンコートを脱いだ姿に、俺は度肝を抜かれた。

 

だってさ、チャンミンの奴、バニーガールみたいな格好をしていたんだ。

 

身に付けているものは、黒いファー製のビスチェにショートパンツだけ。

 

猫耳といい尻尾といい、この日のために用意していたんだと思う。

 

せっかく仕込んできたのに、喧嘩中だからって中止するのも悔しかったんだろう。

 

誕生日プレゼント兼仲直り。

 

チャンミンの計画は大成功だ。

 

いかにも俺が喜びそうなコスチュームに身を包んで登場するんだから。

 

喧嘩のきっかけはお互い様なところがあって、どちらが悪いとも言い切れない。

 

実際の俺たちは、仲が良すぎるくらい良いから、たまの喧嘩もいいスパイスだ。

 

それにしても...。

 

可愛かった。

 

とんでもなく可愛いかった。

 

 

俺が特に気に入ったのはもちろん、尻尾だ。

 

 

「もう一回、付けてくれる?

俺が挿れてやろうか?」

 

「えー、恥ずかしいから...嫌だ。

あれは、年に一度のお楽しみ。

そう言うユノこそ、尻尾をつけてよ」

...よいしょっと」

 

チャンミンは、ベッドの下に落とした尻尾を拾い上げた。

 

「どう?」とクスクス笑って、毛先でさわさわと、俺の鼻先をくすぐった。

 

「ネコなのはチャンミン。

俺はネコじゃないの!」

 

 

「ふふっ。

分かってるよ。

...そうだ!」

 

チャンミンは自身の頭から、猫耳のカチューシャを取って、俺の頭に装着する。

 

「うん、可愛い。

よく似合ってる」

 

「そう?」

 

「僕より似合ってる」

 

俺の目尻にとん、とチャンミンの細い指が添えられた。

 

「あーがり目、さーがり目、くるっと回って、ニャンコの目。

ほら、ユノの目って猫っぽいでしょ?」

 

「そう?」

 

「うん」

 

「...腹が減った。

御馳走の続きを食べようよ」

 

 

「僕もペコペコ。

あのシャンパン、ちょっといいやつなんだ」

 

「チャンミンはネコだから、ミルクだぞ?」

 

「ヤダね。

猫の時間は終わりだよ」

 

ベッドを下りたチャンミンにはもう、あの尻尾はない。

 

俺が引っこ抜いちゃったから。

 

「次は白猫になってあげるね。

来年のユノの誕生日を、こうご期待!」

 

チリチリと鈴を鳴らしながら、リビングに向かうチャンミンの背中を、俺は追った。

 

 

(おしまい)

 

 

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