(前編)夜明けの空気

 

 

「次の休みには、会いにいきます」

「ああ。

その次は、俺がそっちに行くから」

「待ってます」

「そろそろ行った方がいいぞ」

「...時間ですね」

「じゃあ...また、な」

「いつでも会えます」

「いつでも会えるさ」

 

 


 

 

~チャンミン~

 

 

繋いだ手をぎりぎりまで離せずにいた。

保安検査場の手前で、僕らは別れた。

列が一歩ずつ前に進むたび、彼の存在を確かめた。

振り向くたび、彼は軽く手を挙げた。

10回目に振り向き見たのは、大股で歩き去る彼の背中だった。

彼とは...僕の恋人、ユノのこと。

 

 

・・・

 

 

搭乗口前のベンチに腰かけた僕は、別れ際に、互いのおでこと鼻先をくっつけた感触を思い出していた。

この場所は、僕をこっちへ、ユノをあちらへと何度も分けてきた。

 

今回は意味合いが違う。

これからは、僕はずっとこちらへ行ったきりになる。

 

 

 

 

僕は2つの選択の間で迷っていた。

僕が国に帰らなくてはならないと告げた時、ユノは、30秒くらい考え込んだ末、

「わかった。

いつでも会えるんだから、俺たちは大丈夫」と言った。

 

落胆した顔をユノに気づかれないよう、僕は必死に笑顔を取り繕った。

 

チクタクと、普段の2倍のスピードで僕の出国日は迫っていった。

 

「行くな」

 

もしくは、

「チャンミンに付いていくよ」

これら2つの台詞のどちらかを、ユノが口にしてくれるのを期待していたのだ。

でも。

 

そのどちらも、ユノが言いそうにない台詞であることは、3年間彼と一緒にいた僕がよく分かっていた。

 

僕の本音は、身勝手で女々しい。

僕について来て欲しかった。

 

​ユノには、住まいも仕事もあちらに置いて、僕と一緒にこちらに来て欲しかった。

 

だから今日、手ぶらのユノを見て落胆したのだ。

「やっぱり一緒に行くことにしたよ」と、スーツケースを転がすユノを期待していたからだ。

 

一方で。

 

僕は、ユノの国で彼とずっと一緒にいたかった。

けれども、チャンスをみすみす恋人のために、ふいにしてしまうような、女々しい奴だと思われたくなかった。

 

どちらも選べなかった僕は、一人で国に戻ることにしたんだ。

 

 


 

~ユノ~

 

 

チャンミンが、国に帰ってしまう日までの間、俺は迷っていた。

「僕と一緒に来てくれ」とも。

 

「ここに残って、ユノといる」とも。

 

チャンミンは、どちらの言葉も口にしなかった。

俺と離れたくないからと、母国に帰らずここにずっといて欲しかった。

でも。

 

チャンミンのチャンスを潰すような、身勝手な男になりたくなかった。

一方で、チャンミンについて行きたかった。

 

でも、恋人のために自分のチャンスを、みすみす逃す野心のない男だと思われたくなかった。

どちらも選べないうちに、チャンミンの出国日を迎えてしまった。

検査を待つ行列に並ぶ、頭一つ分背の高いチャンミンの後ろ姿を、こうして見送っているのだ。

冬休みに入った初日とあって、列はじりじりとしか進まない。

チャンミンの姿が見えなくなる前に、俺は踵を返した。

俺には時間がない、急がないと。

 

宅配便カウンターで、前日のうちに発送しておいたスーツケースを受け取る。

バッグからパスポートを引っ張り出して、チェックインを済ませた。

「行く?」

 

「行かない?」

 

心はすでに決まっていた。

俺はチャンミンと一緒にいたい。

 

それ以外のことは、後から考えればいい。

チャンミンの乗った航空機に2時間遅れて、俺は彼を追いかける。

チャンミンへのサプライズ。

俺はチャンミンの側に居続ける選択をした。

なんて馬鹿な男なんだ?

 

でも、いいんだ。

俺はこんなにもチャンミンに夢中な、馬鹿な男だから。

 

 


 

 

~チャンミン~

 

ユノはとっくに帰宅しているだろう。

通話可能になったのを確かめて、ユノへ電話をかける。

『おかけになった電話は現在、電源が切られているか…』のアナウンスが流れた。

すぐにでもユノの声を聞きたかったから、少しだけ寂しかった。

 

僕は再び、搭乗口前のベンチに腰かけていた。

ユノの驚く顔を早く見たかった。

母国で待っている新しいチャンスなんか、ちっぽけなことに思えてきた。

仕事のチャンスなんて、また作ればいい。

心はすでに決まっていた。

僕は、ユノと一緒にいることを選択した。

これまで常識や見栄を意識して、本心に正直じゃなかった。

ユノの決断を待つばかりの僕だった。

仕事よりも恋人を優先させた僕は、腑抜けた野郎だろう。

言いたい奴には言わせておく。

これは僕が決めた道なんだ。

 

 


 

~ユノ~

 

チャンミンの母国に到着した俺は、彼の新しいアドレスをメモした紙をバッグから取り出した。

 

几帳面なチャンミンだから、荷ほどきを済ませている頃だろう。

 

待ちきれなくて、電話をかけることにした。

 

チャンミンの驚く顔を想像すると、笑みがこぼれてしまった。

 

発信音が3回なった後、チャンミンの声が聞こえる。

 

 

(後編へつづく)

 

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