「昼間来たばっかりなのに悪いな」
この日、ユノがまるちゃん宅を訪れるのは2度目だった。
(昼間、ユノはまるちゃんに『馬鹿たれ』と叱られ、冷やし中華を一緒に作って食べた)
「別に。
だって、『ユノ』だから」
「どういう意味だよ?」
「そのまんまの意味。
さっきカップ麺食っちゃったから、夕飯は何もないぞ」
チャンミンへの差し入れまで食べる羽目になったユノは満腹だった。
まるちゃんは雪ん子のように頭を覆っていたフードを脱ぐと、早速湯を沸かし出した。
「手に入れたってのはな、カフェインレスの紅茶なんだ。
果たして香味は普通のと変わらないのか、試してみたくってさ」
ユノは湯が沸くまでの間、茶葉の購入先や価格の説明を始めるまるちゃんの話を一通り聞き終えた。
湯気立つカップが万年コタツの天板に置かれ、まるちゃんが胡坐をかいて座るなり、ユノは「俺は困った状況にある」と切り出した。
「そんなこと分かってる」
まるちゃんは目を閉じて、香りを楽しんだ。
「さっき、まるちゃんが言った通りだよ。
『好き』と『好き』の違い。
俺はそこにつまづいたんだ。
...あっちぃ!」
ユノは話し出しに意識が反れてしまったことで不用意にカップに口をつけ、舌を火傷してしまった。
呆れたまるちゃんは「そういうところが、『ユノ』なんだよ」と、製氷皿ごとユノに手渡した。
「ユノが合コンに行ったこと、まさか打ち明けてないよな?」
「合コンじゃね~し!
バラすワケないだろ?」
「罪悪感に負けて、自分からバラすようなことはしてないだろうな?」
「お、おう!」
チャンミン宅でぎこちない空気に負けて、カミングアウトしてしまいそうだったユノはヒヤリとした。
まるちゃんは紅茶をひと口すすると、「カフェイン抜いてるからか...あっさりしてるな」とつぶやいた。
それから「でも...」、と言いかけたが、言葉を切ってしまった。
「でも?
...続きを言えよ」と言って、ユノは口の中で溶けて小さくなった氷をガリゴリかみ砕く。
「バレた時のダメージを思えば、前もってバラしておいた方がいいのかもしれんなぁ」
「どっちだよ!」
「嘘ついて合コンに行くのと、合コンに行ってから嘘つくのでは違うからなぁ...。
絶対にバレないように、根回しとアリバイを用意して合コンに行くべし。
今後、行くつもりはなくても、付き合い上参加せなあかん合コンもあるだろ?」
「...否定できない」
「今回の場合は、無防備に合コンに行っちゃった後だからなぁ...」
「合コンじゃね~し!」
まるちゃんはユノを無視して話し続ける。
「アリバイを偽証してくれる奴の確保。
『ユノ君は僕のおうちにいました』ってさ。
...俺じゃ無理だ。
なんせ、現場にいたところを先生に押さえられてるしなぁ...」
「現場ってなぁ...俺は犯罪を犯したわけじゃないんだぞ?」
「馬鹿。
『あの』先生が相手なんだぞ?
何ごとも必死、必死!
余裕なし!...な人なんだぞ?
ユノのバッグをこう...ぎゅっと抱きしめてた人なんだぞ?」
自分自身を抱きしめてみせるまるちゃんを見て、ユノはその時のチャンミンを想像してみる。
(キュン)
「あ~。
そん時のせんせ、見てみたかったなぁ...」
まるちゃんは、ぽわんと惚けた表情のユノの肩を突いた。
「でさ、困った状況ってのを、具体的に教えろ。
『好き』と『好き』の違い、だっけ?」
「その前に...」
ユノはほどよく冷めた紅茶を、ぐびっとカップ半分飲み込んだ。
「バラすバラさないの話どころじゃなくなった」
「どういう意味だ?」
まるちゃんはレンタルバッグからDVDを取り出すと、PCの電源を入れた。
「...せんせにバレてるかもしんない...」
「はー?
大問題じゃないか!
最初に言えよ」
「会話のリードを取ってたのは、まるちゃんじゃないか!」とユノは心の中で悪態をついた。
「そうじゃないかって思ったのは、せんせの態度が変だったんだ。
気のせいじゃない。
『しら~』っとしてたんだ。
昨日までそんなんじゃなかったのに...」
スロットルにDVDをセットするまるちゃんの手が止まった。
「バレてるのが本当だとして、ルートは何だろう?」
「それが分かんないんだよ」
「会場にユノの知り合いがいて、そいつが先生の知り合いだった。
そいつが今日の昼間、先生に告げ口した。
でも、そいつには悪気はない」
「なんで?」
「ユノと先生が付き合ってることを知らないから」
「Qと車校のK先生は知ってる」
「じゃあ、犯人はその2人だ」
きっぱり言い切るまるちゃんに、ユノは大急ぎでスマートフォンを取り出した。
「おい!
どこに連絡するんだよ?」
「Qに訊いてみるんだよ」
「早まるなって
まだそうだと決まってないだろうが!」
ユノはまるちゃんからスマートフォンを取り上げられ、唇を尖らせた。
「そういう顔を俺に見せても、キモイだけだ」
「ちっ」
「先生の様子が変だったのは、仕事で嫌な思いをしただけかもしれないじゃん。
例えば、新しい教習生が最悪なヤツだったり」
「ありうるな」
「それか、『男の子の日』だったかもしれんじゃん」
「なんだそれ?」
「僕、男の子だもん♪」
「あっそ...」
ユノは子供っぽくふざけるまるちゃんに呆れて、ため息をついた。
今夜のまるちゃんは機嫌がいい。
廃盤のアニメDVDを、まさかの近所のレンタル店で発見して興奮しているせいだと思われる。
「様子を見てみるんだな。
数日経っても態度が変だったら、探りを入れる前に土下座して謝れ。
先生の方から持ち出してきたら、土下座して謝れ。
一時的なもんだったら、スルーしておけばいい」
「結局のところ、成り行き任せってことじゃんか!」
「しょうがないじゃん。
ユノの言う『しら~』としたとこを見た訳じゃないから。
その場に居たら、バレてるバレてないを見切っていたけどな」
まるちゃんは威張った風に言うと、ヘッドフォンをはめた。
どうやら『好き』と『好き』の違いについての話を忘れてしまったらしい。
ユノの相談事は一件落着だとみなしたまるちゃんは、DVD編集にとりかかってしまった。
「ここにチャプターを入れて...やっぱ1枚にまとめるのは無理か...」と独り言をつぶやきながら、自分の世界に入り込んでしまったようだ。
ユノは今夜のチャンミン宅で感じた微妙な空気の件の他に、重大な懸念事項がもうひとつあった。
ユノは身を乗り出し、まるちゃんの耳からヘッドフォンを取り上げた。
「何すんだよ!」
至福の時を邪魔されて、まるちゃんはユノをぎりっと睨みつけた。
(美形なだけに凄みが効いているが、見慣れているユノにはどうってことない)
「俺の話はまだ途中なんだよ!」
「まだあったのかよ。
ああ...そっか。
そうだった!」
まるちゃんはユノを見ると、にやりと笑った。
「セックスの話だろ?」
(つづく)