(42)チャンミンせんせとイチゴ飴

 

ユノがこの町に到着したのは、午前9時頃のことだった。

 

老若男女問わず、人通りが多いことに気づく。

 

ナビゲーションは商店街通りを通過するよう案内したが、ユノの車は進入禁止の三角コーンに阻まれ遠回りを強いられた。

 

立て看板には、花火大会の案内が貼り紙されていた。

 

(せんせの言った通りだ。

夜になったら歩行者天国になるんだな、きっと)

 

揃いのTシャツを着た大人たちが、脚立や提灯、ロープを携え忙しそうに立ち働いていた。

 

チャンミンの班は櫓(やぐら)の設営担当で、午後からの出動だと聞いている。

 

ユノの車は消防署と夏休み期間の小学校の前を通り過ぎて行った。

 

スーパーマーケットの駐車場は、買い物客の車でほぼ埋まっていた。

 

徐々に人家が減ってゆき、制限速度を守るユノの車を地元の者らしい車が追い越していった。

 

ラジオの天気予報によると、今日は雲ひとつない快晴だという。

 

煙を散らす程度の微風が吹けば、絶好の花火日和になるだろう。

 

チャンミンの案内通り、廃業したガソリンスタンドを左折し、水田を貫く1本道をひたすら走ってゆくと、目指す赤い屋根の一軒家が見えてきた。

 

(あそこがせんせんちだな)

 

ユノはレンタカーを家屋の正面に停車すると、エンジンを切った。

 

無事故無違反、およそ半日に及ぶ長旅は終わった。

 

ユノはハンドルに額を付け深呼吸をし、面を上げたとき、こちらに駆け寄る人物に気づいた。

 

「せんせ...!」

 

玄関の戸を開けては閉め、家族たちにうっとおしがられながら、ユノの到着を今か今かと待っていたのだ。

 

そして、チャンミンの背後からEが顔を出した。

 

Eは兄の恋人登場に興味津々、上がり框に座り込んでソワソワと落ち着かないチャンミンの様子を面白がっていたのだ。

 

「お兄ちゃんの彼氏って、あの人?」

 

ユノにくぎ付けのチャンミンは、Eの質問など耳に入っていなかった。

 

出迎えられたユノもチャンミンの顔しか見ておらず、チャンミンの背後から顔を出した若い女性に全く気付いていなかった。

 

「ユノさん」

「せんせ!」

 

 

交際中の彼氏が訪問する旨を、家族に伝えていた。

 

交際相手を実家に連れてくる行為は、実は初めてのことだった。

 

息子の「彼氏」!

 

父親は一瞬驚いた表情を見せたものの、怪我のせいで気弱になっていたこともあって、「そうか」とあっさり頷いた。

 

すると母親と妹E、そしてチャンミンから次の句を待つかのようにじっと見つめられ、「うちに泊まってもらいなさい」と付け加えた。

 

母親は「オードブルの追加をしなくっちゃ」と仕出し屋へ電話をかけにいった。

 

彼らは、息子がゲイであることを受け入れられるようになるまでに10年を要した。

 

チャンミンは神経質で心配性な面がある一方、温厚で呑気な面があるのは、家族のおかげなのだろう。

 

「お兄ちゃんの彼氏、見てみた~い」

 

好奇心を抑えられないEは、嫌がる兄チャンミンを無視してユノの到着を待っていたのだった。

 

「どんな人?」

 

「いい子だよ。

僕にはもったいないくらいだ」

 

「『いい子』?

年下?

いくつの人なの?」

 

チャンミンは一瞬ためらったが、どうせこの後本人が登場するのだしと、早々と明かすことにした。

 

「20歳」

 

チャンミンの答えに、Eは絶句した。

 

「...さすがだね」

 

「どこが?」

 

平均以上のルックスの持ち主である認識が薄いチャンミンは、Eの言葉の意味が理解できずにいたのだった。

 

 

「せんせ!」

 

ユノは喜びのあまり、出迎えたチャンミンに抱きついた。

 

「ちょっ、ユノさん!

 

「せんせ!

手が邪魔っす!」

 

押しのけようと抵抗するチャンミンの腕ごと、抱きしめた。

 

背丈は同じであっても、若いユノの方が筋力は勝っており、チャンミンは諦めて抱きしめられるに任せるしかなかった。

 

「お疲れ様」

「まじ疲れたっす」

 

チャンミンはユノの肩に頬を摺り寄せた。

 

トレーナーはユノの香りで上書きされていた。

 

2人の熱い抱擁を前にして冷やかす気を失ってしまったEは、足音をたてないようその場を離れたのだった。

 

「せんせに会いたかったんすよ。

1年ぶりの再会みたいな気分っす」

 

ユノはチャンミンに回した腕に力を込める。

 

「丸1日程度なのにね。

どうしても会わないと駄目だったのですか?

全く...無茶するんだから。

明日には戻るつもりだったのですよ?」

 

「中途半端で嫌だったんす」

 

「喧嘩したわけじゃないのに」

 

「だからですよ」

 

そう言ってユノは腕を解き、チャンミンを解放した。

 

「喧嘩したわけじゃないからタチが悪いんすよ」

 

ユノは不貞腐れたような顔をした。

 

「俺がせんせを追いかけたのは、不安だったこともあります。

お互いを知る必要があるって

『一刻も早く』です」

 

「...僕も同じことを考えていました」

 

「ギクシャクするのは嫌なんすよ。

俺が男とヤることに抵抗があるんじゃないかって、せんせは心配してるんでしょ?」

 

チャンミンはユノの指摘に黙り込んでしまった。

 

「ぎくしゃくしたまま連絡が取れないのって、すげぇ不安だったし気持ち悪かった。

喧嘩すらしてなかったじゃないっすか」

 

「そうですね」

 

交際期間が短いこともあるけれど、これまでの2人は言葉選びや行動に慎重になっていた。

 

「せんせとはじっくり、話し合う必要があるんじゃないかって、思ったんす」

 

ユノはチャンミンの肩を抱くと、耳元で囁いた。

 

「...セックスのことだけじゃないっすよ」

 

「分かってますよ」

 

チャンミンは真っ赤に染まった頬をユノに気づかれる前にと、ユノの手首をつかんだ。

 

「ささ。

家に入ってください。

疲れたでしょう」

 

「ううん。

せんせに会ったら疲れなんて吹き飛びましたよ。

今日は忙しいんでしょ?

祭りでしたっけ?

俺も手伝う気マンマンなんすけど?」

 

「いいえ!

ダメです。

うちで寝てて下さい。

 

「ええ~。

嫌っす」

 

「ダメです」

 

「嫌っす」

 

「寝不足のあなたを働かせられません!」

 

頑として譲らないチャンミンを前に、ユノは「こういう面倒くさいところも好きなんだよなぁ」と、再認識した。

 

「ふ~ん。

近所の人に俺を見られたくないんだ?」

 

「それは絶対にありません!

ユノさんの身体が心配なんです!」

 

「べたべたしないっす。

職場の先輩後輩みたいな顔してます。

約束します」

 

「僕はユノさんを寝かせたいだけです!

ユノさんを連れまわすのが恥ずかしいわけじゃありません!」

 

(よかった。

俺を他所様に見せることが嫌なわけじゃないんだ)

 

チャンミンの言葉にこれっぽちも迷いがなかったことが、ユノには嬉しかった。

 

(約束しなくったって、俺はせんせが嫌がることは絶対にしないけどさ)

 

「俺はせんせと違って若いんすよ?

一徹くらい、大したことないっすよ」

 

「どうせ、僕は年寄りですよ!

ユノさんの相応しくなくて申し訳ありませんね」

 

本心ではなかった。

 

ユノが年齢差など意に介していないことなど知っていた。

 

(ユノは出逢いの時から、10歳以上年上だってことを全然気にしていなかった)

 

拗ねたり、心にもない愚痴をこぼしたりと、ユノを前にすると途端に子供っぽくなってしまうことを分かりかけてきた。

 

(きっと、昨日の件も同じだった。

僕が一方的にいじけてただけ。

年齢についても、僕が男だということも。

気にしていたのは、僕の方だ。

『そうじゃないよ、せんせ。

せんせが三十路だろうが、男だろうが、俺にとってはどうでもいいんす

そう言って欲しいんだ。

何度も、何度も。

僕が安心できるまで、何度でも)

 

チャンミンの気持ちは、この気づきのおかげでずいぶんと楽になった。

 

「すんません!

せんせは十分若いっす。

俺の失言でした」

 

チャンミンは、「まあまあ、怖い顔しないでよ」とあやすようにポンポン肩を叩かれているうちに、機嫌を直したのだった。

正確に言うと、機嫌を直したフリをしたのだった。

 

「わかったす」

 

ユノは諦めのため息をついた。

 

「俺、せんせが嫌がることしたくないから、せんせの言うとおりにします...」

「よろしい」

 

チャンミンはにっこりと笑った。

 

「二人とも、いい加減家に入りなさい!」

 

居間の窓から声をかけたのは、チャンミンの母Fだった。

Fはいつまでたっても家に上がらない2人にしびれを切らしていた。

そして、息子の恋人とやらがEの説明通り、やたら美青年だったことにFは息をのんだのだった。

 

(つづく)

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