チャンミンの追跡模様を覗いてみよう。
歩道を歩く者はおらず、前方を歩く二人と、彼らから一定距離を保って後をつけるチャンミンのみだった。
声をかけるタイミングなどとうに失い、尾行の止め時が分からなくなってしまっていた。
(ユノの友人の家に向かっているんだろうな)
教習簿に記載されている住所から、ユノの自宅がこの辺ではないことは知っている。
・
教習中の会話から、大学で専攻している科目、二つ掛け持ちしているバイト先名、昨晩食べたメニュー、最近感銘を受けた本のタイトル、家族構成...日ごとチャンミンの中で、ユノの情報が増えてゆく。
「はいはい。
今は教習中です。
運転に集中しましょう」
と言って嘆息ついてみせているくせに、実はひと言も漏らさず聞き取っていた。
(ユノのことを知りたい。
でも、知ったところで、発展させられるだけの勇気も甲斐性も僕にはない)
チャンミンの対応は職業人として当然のことなので、相手がユノだからとそっけない対応をしているわけではないが...。
とは言え、ユノから話が振られても指導員という立場上、当たり障りのない答えしか返せないことを残念に思っていた。
ユノは、すぐ隣に好きな人...チャンミンが座っている現状にテンションが上がり、自分のことを知って欲しくてたまらなくて、おしゃべりになってしまっていた。
そして、自分ネタをオープンにすることで、チャンミンも踏み込んだ内容を教えてくれるかも...という期待もあった。
話に夢中になるあまり、前方不注意(チャンミンの方を見る)で何度チャンミンから注意されたことか。
・
「!!」
前方を歩く二人が立ち止まったのに気づくのが1歩遅れ、チャンミンは彼らと接近し過ぎてしまった。
とっさに、横にすっ飛んで街路樹の陰に隠れた。
(あぶなかった...見つかるところだった)
チャンミンは深呼吸をした。
長身をかがめ、抜き足差し足歩く姿からして不自然で、見咎められた際、何と言い訳するつもりだったのか。
彼らの動きに注意を払い、少しでも後ろを振り返りそうな気配を感じると、電柱や看板の裏に隠れたり、靴の紐を結ぶ真似(チャンミンはサンダル履きだ)をしてやり過ごした。
幸い会話に夢中になっている二人は、チャンミンに気づいていない。
(何を話しているんだろう?
どうせ馬鹿話だろうなぁ...)
コンビニエンスストアの照明で辺りは明るいのに、大胆になったチャンミンは距離を縮めていた。
「!!」
コンビニの看板裏に駆け込むことで、今回も難を逃れた。
夜空にはか細い三日月、星々は雲に半分隠れている。
街路灯の灯りを受けた電柱と街路樹が、濃くて長い影を歩道に作り、いい塩梅にチャンミンを隠してくれた。
声をかけることはとうに諦めた、どうせ追跡するのなら、住まいを目にしたい欲ができてきた。
(ユノの友人宅を見たって、だからどうする?状態だが...。
それにしてもあの2人...大荷物だな。
何だろう)
直進すれば自宅マンションへ帰れる交差点では、2人を追って左折した。
数十メートル歩いてさらに左折すると、センターラインのない狭い道路になった。
寝静まった住宅地では、距離をとらないと足音が聞かれてしまいそうだった。
「せんせはそんなんじゃねーよ!」
ユノの大声にチャンミンは飛び上がった。
(せんせ!?
せんせ、って言った?
言ったよね!)
突然、二人の姿が消えた。
見失ったかと焦って駆けつけるとそこは一軒のアパートだった。
(ここか...。
2階建て...。
自転車の多さから、学生が中心なのかな...。
...あのさ、チャンミン。
ユノの友人のアパートを知って、君は何をしたかったんだい?)
と、自分で自分に突っ込みながら、門柱から目だけ覗かせて建物と敷地を観察した。
アパートの外灯が逆光となり、二人の姿はシルエットになっている。
ビニール袋のガサガサ音もあり、耳をすませても会話の中身までは聞こえない。
(さっきの『せんせ』って...勘違いじゃなければ...僕のこと?)
チャンミンは「チャンミンせんせ!」と手を振るユノの呼び声を思い出した。
(『せんせ』って『チャンミンせんせ』のことだよね?
『せんせ』の何を話してるんだろ?)
チャンミンが門柱から身をのり出しかけたその時、こちらを振り返ろうとするまるちゃんの動きに気づいた。
(やばっ!)
チャンミンは頭を引っ込めたが、その素早い動きの残像が、まるちゃんの目にとまった。
「どうした?」
「いや...何かが通り過ぎたような...視線を感じたような...」
「猫か?」
(猫...!?
猫の鳴き声!)
そうしようにも、緊張でからからの喉に鳴き真似声が引っかかってしまった。
たたたっとこちらに向かってくる足音に、チャンミンの身体に緊張が走る。
ゴミ収集ボックスの裏に隠れたチャンミンは、両膝を引き寄せ限界まで長身を折りたたんだ。
「......」
ユノから3メートルの距離に、チャンミンがいる。
バクバクいう心臓の音がうるさい。
ユノの初路上教習の時以上の冷や汗が、Tシャツを濡らした。
チャンミンの脳裏に、『担当教習生をストーキングした末、懲戒免職』の新聞の見出しが浮かんだ。
(どうか見つけないで...!)
「何もいないぞ」
「気のせいか」
ユノとまるちゃんが立ち去った後、チャンミンは安堵のあまり、アスファルトの地面にごろんと横たわった。
(あっぶね~)
真面目一徹のチャンミンにここまでのことをさせるとは...いかにユノに参っているかの証拠である。
・
本日の教習は晴天の下、行われた。
「次の信号を右折したら、車を停めます」
チャンミンは前方を指さした。
「あそこです、広くなっているところ。
あそこに停めてください」
「は~い」
幹線道路を反れた先は、片側1車線のゆったりとした通りで交通量が格段に減った。
マンションの他、小規模病院、オフィスにブティック等が並び、飲食店はほとんど無い静かな通りだ。
樹齢の経った街路樹が延々と続き、風にあおられてザワザワ揺れる緑が清々しい。
「方向指示器を出して...そうそう。
左後方を確認して...そうそう...うまいうまい」
チャンミンの優しい声に導かれ、ユノのブレーキペダルの踏み加減は完璧で、教習車はノッキングすることなくなめらかに停車した。
見覚えのある風景に、ユノは「あれ?」と思った。
「!!!!」
(こ、ここは!
せんせのマンションの前じゃないですか!!)
(つづく)