(20)チャンミンせんせ!

 

 

チャンミンの追跡模様を覗いてみよう。

 

歩道を歩く者はおらず、前方を歩く二人と、彼らから一定距離を保って後をつけるチャンミンのみだった。

 

声をかけるタイミングなどとうに失い、尾行の止め時が分からなくなってしまっていた。

 

(ユノの友人の家に向かっているんだろうな)

 

教習簿に記載されている住所から、ユノの自宅がこの辺ではないことは知っている。

 

 

教習中の会話から、大学で専攻している科目、二つ掛け持ちしているバイト先名、昨晩食べたメニュー、最近感銘を受けた本のタイトル、家族構成...日ごとチャンミンの中で、ユノの情報が増えてゆく。

 

「はいはい。

今は教習中です。

運転に集中しましょう」

 

と言って嘆息ついてみせているくせに、実はひと言も漏らさず聞き取っていた。

 

(ユノのことを知りたい。

でも、知ったところで、発展させられるだけの勇気も甲斐性も僕にはない)

 

チャンミンの対応は職業人として当然のことなので、相手がユノだからとそっけない対応をしているわけではないが...。

 

とは言え、ユノから話が振られても指導員という立場上、当たり障りのない答えしか返せないことを残念に思っていた。

 

ユノは、すぐ隣に好きな人...チャンミンが座っている現状にテンションが上がり、自分のことを知って欲しくてたまらなくて、おしゃべりになってしまっていた。

 

そして、自分ネタをオープンにすることで、チャンミンも踏み込んだ内容を教えてくれるかも...という期待もあった。

 

話に夢中になるあまり、前方不注意(チャンミンの方を見る)で何度チャンミンから注意されたことか。

 

 

「!!」

 

前方を歩く二人が立ち止まったのに気づくのが1歩遅れ、チャンミンは彼らと接近し過ぎてしまった。

 

とっさに、横にすっ飛んで街路樹の陰に隠れた。

 

(あぶなかった...見つかるところだった)

 

チャンミンは深呼吸をした。

 

長身をかがめ、抜き足差し足歩く姿からして不自然で、見咎められた際、何と言い訳するつもりだったのか。

 

彼らの動きに注意を払い、少しでも後ろを振り返りそうな気配を感じると、電柱や看板の裏に隠れたり、靴の紐を結ぶ真似(チャンミンはサンダル履きだ)をしてやり過ごした。

 

幸い会話に夢中になっている二人は、チャンミンに気づいていない。

 

(何を話しているんだろう?

どうせ馬鹿話だろうなぁ...)

 

コンビニエンスストアの照明で辺りは明るいのに、大胆になったチャンミンは距離を縮めていた。

 

「!!」

 

コンビニの看板裏に駆け込むことで、今回も難を逃れた。

 

夜空にはか細い三日月、星々は雲に半分隠れている。

 

街路灯の灯りを受けた電柱と街路樹が、濃くて長い影を歩道に作り、いい塩梅にチャンミンを隠してくれた。

 

声をかけることはとうに諦めた、どうせ追跡するのなら、住まいを目にしたい欲ができてきた。

 

(ユノの友人宅を見たって、だからどうする?状態だが...。

それにしてもあの2人...大荷物だな。

何だろう)

 

直進すれば自宅マンションへ帰れる交差点では、2人を追って左折した。

 

数十メートル歩いてさらに左折すると、センターラインのない狭い道路になった。

 

寝静まった住宅地では、距離をとらないと足音が聞かれてしまいそうだった。

 

「せんせはそんなんじゃねーよ!」

 

ユノの大声にチャンミンは飛び上がった。

 

(せんせ!?

せんせ、って言った?

言ったよね!)

 

突然、二人の姿が消えた。

 

見失ったかと焦って駆けつけるとそこは一軒のアパートだった。

 

(ここか...。

2階建て...。

自転車の多さから、学生が中心なのかな...。

...あのさ、チャンミン。

ユノの友人のアパートを知って、君は何をしたかったんだい?)

 

と、自分で自分に突っ込みながら、門柱から目だけ覗かせて建物と敷地を観察した。

 

アパートの外灯が逆光となり、二人の姿はシルエットになっている。

 

ビニール袋のガサガサ音もあり、耳をすませても会話の中身までは聞こえない。

 

(さっきの『せんせ』って...勘違いじゃなければ...僕のこと?)

 

チャンミンは「チャンミンせんせ!」と手を振るユノの呼び声を思い出した。

 

(『せんせ』って『チャンミンせんせ』のことだよね?

『せんせ』の何を話してるんだろ?)

 

チャンミンが門柱から身をのり出しかけたその時、こちらを振り返ろうとするまるちゃんの動きに気づいた。

 

(やばっ!)

 

チャンミンは頭を引っ込めたが、その素早い動きの残像が、まるちゃんの目にとまった。

 

「どうした?」

 

「いや...何かが通り過ぎたような...視線を感じたような...」

 

「猫か?」

 

(猫...!?

猫の鳴き声!)

 

そうしようにも、緊張でからからの喉に鳴き真似声が引っかかってしまった。

 

たたたっとこちらに向かってくる足音に、チャンミンの身体に緊張が走る。

 

ゴミ収集ボックスの裏に隠れたチャンミンは、両膝を引き寄せ限界まで長身を折りたたんだ。

 

「......」

 

ユノから3メートルの距離に、チャンミンがいる。

 

バクバクいう心臓の音がうるさい。

 

ユノの初路上教習の時以上の冷や汗が、Tシャツを濡らした。

 

チャンミンの脳裏に、『担当教習生をストーキングした末、懲戒免職』の新聞の見出しが浮かんだ。

 

(どうか見つけないで...!)

 

「何もいないぞ」

 

「気のせいか」

 

ユノとまるちゃんが立ち去った後、チャンミンは安堵のあまり、アスファルトの地面にごろんと横たわった。

 

(あっぶね~)

 

真面目一徹のチャンミンにここまでのことをさせるとは...いかにユノに参っているかの証拠である。

 

 

 

本日の教習は晴天の下、行われた。

 

「次の信号を右折したら、車を停めます」

 

チャンミンは前方を指さした。

 

「あそこです、広くなっているところ。

あそこに停めてください」

 

「は~い」

 

幹線道路を反れた先は、片側1車線のゆったりとした通りで交通量が格段に減った。

 

マンションの他、小規模病院、オフィスにブティック等が並び、飲食店はほとんど無い静かな通りだ。

 

樹齢の経った街路樹が延々と続き、風にあおられてザワザワ揺れる緑が清々しい。

 

「方向指示器を出して...そうそう。

左後方を確認して...そうそう...うまいうまい」

 

チャンミンの優しい声に導かれ、ユノのブレーキペダルの踏み加減は完璧で、教習車はノッキングすることなくなめらかに停車した。

 

見覚えのある風景に、ユノは「あれ?」と思った。

 

「!!!!」

 

(こ、ここは!

せんせのマンションの前じゃないですか!!)

 

 

 

(つづく)