(8)チャンミンせんせ!

 

 

ユノがチャンミンを尾行した5日後、麗らかなる初春の晴れ。

 

この日は入校式。

 

チャンミンが勤める自動車学校では、週に2度行われる。

 

朝礼後、チャンミンは割り振られた担当教習生の一覧に目を通していた。

 

(50代のご婦人...旦那さんが亡くなって移動手段に困ったため、オートマ限定。

20歳大学生の男子、マニュアル車、原付・二輪共に免許なし

男子の方はスムーズだろうけど、ご婦人の方は手こずるかもしれない...)

 

入校生たちは学費の支払い、視力検査、写真撮影を済ませると、ひとつの教室に集められる。

 

ここで彼らは、卒業までの流れや校内ルール、予約の取り方などの説明を受け、最後に教習簿を手渡されるのだ。

 

学科教習の必要のない教習生たちが、受付カウンター前にぞろぞろと集まってきた。

 

ライダースジャケットを着た若者たちや、建設会社の制服を着た中年男性を指導員たちは出迎えた。

 

チャンミンの同僚や先輩指導員は普通免許の他に、二輪や大型免許の教習生も併せて担当する。

 

車庫の脇に駐車したトラックとローダー、400ccバイクの方へ向かう彼らの後ろ姿を見送りながら、チャンミンはそっとため息をついた。

 

悲しい、寂しい、怒り、情けない...失恋生活5日目のチャンミンだった。

 

「チャンミンさん、1時限目始まりますよ」

 

事務兼受付のEさんから声をかけられた。

(すべての教習生の顔と名前を一致させている凄い人)

 

「すみません!」と教則本を手に、チャンミンは学科教室へと走った。

 

本日の第1時限目の学科教習は、チャンミンせんせだ。

 

 

進学に便利な近場の自動車学校は他にもあるにも関わらず、ユノはアパートとも大学とも遠いこの学校を選択した。

 

チャンミンにお近づきになりたい一心のユノにとって、距離など問題にならない。

 

計算外だったのは、同じバイト先の後輩女子Qがくっ付いてきたことだ。

 

「離れろよ」

 

今も隣の席にちょこんと座り、ユノの身体にくっついてくるのを、乱暴にならないよう押しのけた。

 

「だってぇ~」

 

口を尖らせて拗ねてみせるQに、ユノは「これでも飲んでろ」とバッグからペットボトルのジュースを出して手渡した。

 

Qのご機嫌取りに長けたユノだったが、彼女は“彼女”ではない。

 

ユノは、Qが“彼女”になりたがっていることに気づかない程の鈍感男ではない。

 

気づいてはいるが、それを突っぱねたり受け入れるだけの強い動機がないというだけ。

 

この曖昧さがのちに衝突の種にならなければいいのだが。

 

この学校では指導員が担当制だと入校式で初めて知り、ユノは緊張していた。

 

入学しさえすれば、フラれ男(つまりチャンミン)の教習を受けられるものだと思い込んでいた。

 

(違う先生だったらどうしよう...。

その時は、ごねて指導員の変更をしてもらおう。

そのための口実を考えておかなければ)

 

さきほど配られた用紙に担当教習指導員の名前が記載されており、『チャンミン』とあった。

 

(チャンミン先生か...。

どうか、レンタルビデオ店でフラれたあの人でありますように!

男の先生はいっぱいいたからなぁ...難しいかなぁ)

 

ユノは彼との再会を控え、美容院へゆき、買ったばかりのパーカーを着ていた。

 

(第一印象は大事だ。

“いい感じの子だな”と思われたい。

...ああ、俺って、あの人にマヂになってるみたいだ。

今日やっとであの人の顔を見られる、あの日は暗くてよく見えなかったから)

 

隣のQはバイト先で遭遇した迷惑な客についてぺちゃくちゃと喋っているが、当然、ユノの耳は素通りだ。

 

がらり、と戸が開いた。

 

ドア枠をくぐる際、長身あるある、頭をかがめて入室してきた指導員。

 

紺色のブレザーとグリーンのネクタイ、濃いグレーのスラックスを身に付けている。

 

(若い指導員たちの間ではダサいと不評)

 

(あ゛あ゛~~~~~!!)

 

ユノは心の中で叫んだ。

 

(この人、この人、この人だよ...。

フラれた人だ!

俺が尾行した人!)

 

ついでに、ユノのつむじに3つ目の稲妻が落ちた。

 

(グッジョブ、俺!

苦しい...胸が苦しい)

 

感動のあまり、ユノは涙がにじんだ目をそっと、人差し指でぬぐった。

 

(よかった...よかった...!

再会できた!)

 

チャンミンがユノに対して初めて抱いた印象が、「熱心な子」だった。

 

今回の普通免許入校生はわずか10名ほどで、最前列の席につき、チャンミンを注視するユノは大いに目立った。

 

(やっぱり綺麗な人だ。

顔色があまりよくないな...寝不足なのかな。

だよな、彼氏と別れたばかりだから)

 

チャンミンの胸につけた名札に、ユノは心の中で大絶叫した。

 

(なんだってぇ――――――!?)

 

ビンゴだ。

 

(ああ...神様、ありがとうございます)

 

ユノの担当教習指導員は、チャンミンだったのだ。

 

「1時限目は僕が担当します。

皆さんは学科教習を通して道路交通法を学び、仮運転免許試験合格を目指します。

試験範囲に今日の1時限目の内容も含まれます」

 

チャンミンの言葉に、教習生たちの背筋は伸びた。

 

「それでは~、5ページを開いてください」

 

そう言いながらチャンミンは、こちらの方を熱っぽく見つめてくるユノに気を遣っていた。

 

目を反らし過ぎても、目が合い過ぎても不自然だ。

 

(僕の新しい教習生は...隅の席にいるご婦人Nさんと、ど真ん中にいる男の子...ユノ。

隣にいる子は、ユノの彼女だろうな)

 

教則本を読み上げながら、チャンミンはユノをさりげなく観察していた。

 

(...このユノという子。

入学早々、勉強熱心というか、ヤル気に満ちているというか。

見た目は今どきなのに、ちょっと変わった子だな)

 

チャンミンは落ち着かない。

 

(...この眼。

僕のことが気になっているのかな)

 

チャンミンが自惚れてしまっても仕方がない。

 

(男が好きな子だったりして。

...まさかね、ははは)

 

キュッと目尻が切れ上がった黒々としたユノの眼光が凄かった。

 

宝石のようにキラキラと輝いていた。

 

 

長くなってしまったが、以上がユノとチャンミンの出会いの経緯だ。

 

 

(つづく)

 

[maxbutton id=”23″ ]