【短編】くまたん~Honey Funny Bear~★

 

僕の名前はチャンミン。

 

小学生だ。

 

僕のリュックサックには、相棒のくまたんが入っている。

 

くまたんは、むくむくのボア素材でできた茶色の熊のぬいぐるみだ。

 

小学生にもなって、熊のぬいぐるみを肌身離さず持ち歩いているなんて、同級生には内緒だ。

 

赤ちゃんの頃からずっと一緒だったから、革製の肉球は擦り切れ、ボタンの目玉はこれまでに何度も取れちゃった(今の目玉は、透明なプラスチックの中で青い玉が動く)。

 

大好きだったおじいちゃんが僕に贈ってくれたくまたんは、一人っ子の僕の兄弟代わりだし、引っ込み思案な僕の友達なんだ。

 

お父さんとお母さんは、そのことを知っているのに。

 

「小さな子供でもあるまいし、恥ずかしいから捨てなさい」って、僕が小学校に行っている間にゴミ袋に捨ててしまったことがあった。

 

それを知った僕は狂ったように泣いて、翌朝ゴミステーションへ捨てられるのを待つゴミ袋の中身を玄関に全部出して、生ごみにまみれたくまたんを救い出した。

 

普段大人しい僕が初めて見せるパニックぶりに、お父さんもお母さんは沢山謝ってくれて、洗剤を薄めたお湯で洗ってくれた。

 

洗濯ハサミでぶら下がったくまたんを、フクロウとかコウモリとか夜の生き物にさらわれてないか、夜中に何度も起き出して確かめた。

 

くまたんの目がとれかかると、手先が器用なおじいちゃんが付け直してくれた。

 

保育園に連れていけるように、熊のイラストの巾着袋も縫ってくれた。

 

棒みたいに細い脚をからかわれて半泣きで帰宅した日、僕は力いっぱいくまたんを抱きして、くまたんの匂いを胸いっぱい吸い込んだ。

 

僕の匂いと、この前こぼしたケチャップの匂いがする。

 

安心した僕は、眠くなる。

 

くまたんは僕のお守りだ。

 

 

くまたんが年々小さくなっていくのが、僕の悩み事だった。

 

僕の身体は年々大きくなってきたせいもあるけど、ずっと一緒にいる僕でもはっきりと分かるくらい、くまたんが縮んできた。

 

毎日ランドセルの底に押し込められてぺっちゃんこになってたし、僕に撫ぜられ過ぎてふわふわだった生地も擦り切れていたから。

 

お母さんは裁縫が苦手だし、直してくれるおじいちゃんはもういない。

 

僕はくまたんがどんな姿になっても、くまたんがいないと学校にいけないんだ。

 

 

小学4年生になった僕は、同級生の女の子に恋をした。

 

走るのがとても速くて、リコーダーを吹くのが下手くそな子だ。

 

でも、その女の子は僕をいじめなかったし、教室でうっかりくまたんが入った巾着袋を落としてしまった時も、さっと拾い上げてくれた。

 

帰り道が一緒になった時、「見せて」って言われた僕は、「うん」と言えなかった。

 

熊のぬいぐるみと登校してるなんて、とっても恥ずかしいことだとジカクしていたから。

 

「ぜーったいに、笑わないから。

ねぇチャンミン、見せて?」

 

僕はこくん、と頷いて、自販機の後ろに隠れてランドセルからくまたんを出した。

 

そういえば、家族以外にくまたんを見せるのは初めてだった。

 

その子は古いタオルみたいにくったりとしたくまたんを、ひっくり返したり、動く青い目を指で揺らしてみたりした後、

 

「バムセみたい」って言った。

 

「バムセ?」

 

「外国の映画に出てくるの。

バムセっていうぬいぐるみが。

ロッタちゃんっていう女の子が大事にしてるの」

 

「へぇ...。

バムセも熊なの?」

「ううん、バムセは豚だよ」

 

「豚...」

 

「この子の名前は?」

 

「名前はないけど...『くまたん』って呼んでる...」

 

絶対に僕をケーベツするって思った。

 

でもその子は、

 

「ふうん。

くまたんをキーホルダーにしたら?

ぎゅっと小さくして。

それなら、学校へセイセイドードーと持っていけるよ?」

 

いいアイデアだと思った。

 

「どうやってキーホルダーにするの?」

 

「お母さんに頼んでみたら?」

 

「お母さんは、ミシンとか縫うとか嫌いなんだ」

 

「そっかー。

いい方法があると、いいよね~。

やっぱり、ぬいぐるみを学校に持っていくのはマズイわよ」

 

僕はもう10歳だけど、くまたんナシで学校に行くなんて無理だった。

 

くまたんを両手で握ってボールみたいにしてみた。

 

うん、小さく、はなる。

 

これに、キーホルダーの金具をつけたらいいかもしれない。

 

金具ってどこに売ってあるんだろう、と考えているうちに僕は眠くなってしまった。

 

くまたんの匂いを嗅ぐと、僕はすやすやと眠れるんだ。

 

いつもの朝のように、僕の下敷きになっているだろうくまたんを手探りした。

 

くまたんがいなかった。

 

ベッドの下を覗いた、シーツもはがしてみた、クローゼットの中も、ランドセルの中も探した。

 

勝手口のゴミバケツの中もあさってみたけど、くまたんがいない。

 

涙がじわっと出て来たけど、一日中くまたんを探したかったけど、僕はぐっと我慢した。

 

お母さんは『女手一つ』で僕を育てているから、泣いたりしてお母さんを困らせたくなかった。

 

朝ご飯を食べ終えて、僕はのろのろとランドレスを背負った。

 

くまたんが入っていないのに、いつもよりランドセルが重かった。

 

心細い気持ちのまま校門を通った時、肩を叩かれて振り向いたら、その子が「おはよう」って。

 

その子はじぃーって僕のことを見て、しつこいくらいに見るから「なに?」って、ちょっと怒った風にきいたら、

 

「キーホルダーは止めたんだ」って言うから、僕は意味が分からなかった。

 

その子は僕の胸のあたりを、指さした。

 

「アップリケにしたんだ。

いいアイデアだね」

 

僕の紺色のトレーナーの胸に、くまたんがワッペンみたいにくっ付いていた。

 

男子が可愛いクマのアップリケだなんて、余計に恥ずかしいと思った。

 

だから、その日はいつも以上にうつむいて過ごしたし、教科書で胸を隠していた。

 

くまたんを隠すのに一生懸命だったから、ぬいぐるみのくまたんがランドセルにいなくて寂しい気持ちを忘れていた。

 

「安全ピンで取り外しができたらいいね。

そうすれば、違う服にも付けられるし、みんなに見られないところにも付けられるよ」

 

胸にくっついたくまたんは、ぬいぐるみだったくまたんとおなじ茶色で、ふかふかだった。

 

くまたんは恥ずかしいけど、くまたん無しで学校に行くのはやっぱり心細いのだ。

 

紺のトレーナーは洗濯機に入れないようにして、次の日も着て行こうと思った。

 

でも、毎日同じトレーナーを着ていけないし、困ったなぁって思った。

 

翌朝、くまたん付きの紺のトレーナーを着ようとしたら、胸のアップリケが消えていた。

 

どうして?

 

悲しくて泣きそうになりながら、別のトレーナーを着て登校するしかなかった。

 

ランドセルにはぬいぐるみのくまたんはいない、胸にもくまたんがいない。

 

体育の授業で着替えをしているとき、ズボンのボタンの横のあたりにくまたんがいた。

 

トレーナーの裾に隠れていたから、分からなかったんだ。

 

次の日は靴下に、その次の日は膝小僧に、そのまた次の日は下着のパンツに。

 

「今日はどこにいるかな?」って、くまたんを探すのが楽しみになってきた。

 

家ではいなかったのに、学校に着いてから登場する日もあった。

 

その子も毎朝、僕を見ると「今日はどこ?」ってきいてくれた。

 

 

小学6年生になった時、僕はあることに気付いた。

 

その日のくまたんは、僕のセーターの真ん中に直径30センチのアップリケとなって登場した。

 

家を出る時は小さかったのに、学校についてジャンパーを脱いだら大きくなってたんだ。

 

みんなに笑われるから、もう家に帰ろう、って思った。

 

両手で隠していたら、担任の先生から「お腹でも痛いの?」って聞かれた。

 

誰も僕を笑わなかった。

 

不思議に思った僕は、近くにいた同級生に初めて自分から声をかけて、「セーターに何か付いてる?」って質問したんだ。

 

そしたら、「何もついていないけど...?」って答えるんだ。

 

次に、僕の好きなその子を廊下まで連れて行って、同じことを質問した。

 

「今日は大きなくまたんね」って。

 

くまたんは、僕とその子にしか見えないみたいだった。

 

不思議だったけど、当時の僕は子供だったから、「そういうこともあるんだなぁ」、って素直に受け取った。

 

それからもくまたんは日替わりで登場し、くまたん探しが楽しかった僕は休むことなく小学校を卒業した。

 

 

その子は私立の中学校へ進学していき、顔を合わせることもなくなってしまった。

 

暗い子だった僕も、化学や物理の面白さを知り、部活動に夢中になり、3人ばかりの友人ができた。

 

くまたんも、1週間おきに、1か月おきにと出没するペースが少なくなってきて、中学2年に進級する頃には、ほとんど登場しなくなった。

 

くまたんがいなくても、僕は平気になっていた。

 

でも、挫折して悔し涙を流す時、大きなイベント前で緊張した時などに、ほんの短い時間だけ現れる。

 

ぬいぐるみのくまたんでも、キーホルダーのくまたんでもなく、やっぱり胸のアップリケの形をとって。

 

平和で、とぼけた顔のくまたん。

 

僕の左胸で、ファニーな笑い顔のくまたんが、ハイペースな鼓動を鎮めてくれるんだ。

 

 

待ち合わせの改札口に、早歩きで向かう僕の胸にはくまたんがいる。

 

入社試験の時以来だったから...7年ぶりの登場だった。

 

僕の非常事態をくまたんが察してくれたんだ。

 

大の大人が、熊のアップリケだなんて恥ずかしくて仕方がないけれど、くまたんは僕にしか見えない。

 

腕時計に視線を落としていた彼女は、近づく僕に気付いて小さく手を振った。

 

彼女は片手で口元を隠して、くくっと笑った。

 

「くまたんを久しぶりに見た」って。

 

「やっぱり、見える?」

 

「ええ、もちろん」

 

僕も照れ笑いのまま、彼女の背をそっと押した。

 

「行こうか?」

 

僕は今日、彼女に交際を申し込むつもりなんだ。

 

 

(おしまい)

 

 

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